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2010年1月

2010年1月31日 (日)

ひとは一つの詩とともに

ひとには生まれた時から、そのひとを見守る一つの神がいると聞いたことがあります。
倶生神(くしょうしん)と言ったかと思います。
ドイツ語の「ゲニウス」もそのような神を指していたのではないかと記憶します。

誤解を恐れずにいえば、
詩もまた、一人のひととともに生まれる存在ではないでしょうか。
あるいはひとは一つの詩とともに生まれる者ではないでしょうか。

金時鐘さんは『わが生と詩』で「みんなが詩を持っている」と書いていました。
詩が特権的なものではなく、ひとが生きて輝く、その輝きだとして。
私はずっとその詩観に感銘を受けています。

私たちを見守る詩。そして私たちが、生きてその輝きを実現していく詩。
書くという次元を越えた、ひとりひとりの生命を奥深く輝かせるもの。
これまで生きたすべての他者のコトバをはらむ闇から、
あるときふいに流れ星のように贈られ感受されるもの。

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「ひとは一つの詩とともに生まれてくる」
                                                    
ひとは一つの詩とともに生まれてくる
燃えるたった一つの詩に照らされながら
怒った真っ赤な額で産まれてくる
(でも星座のように読むことができるのはそのときだけだ)
永遠に読むことのできない詩のために
私たちはいやがおうでも生かされていく
権能者ではなく 孤独な書き手でもなく
むさぼりのためでなく 口実ではなく
自身の牢獄を磨いてみせることもなく
ただ詩とともにあるということで生きる・生かされる(私たち詩の囚人か、ともがらか)
あかあかと詩の尽きるとき一閃で消える(祝祭か、とむらいか)
私たちが去れば宇宙のグラスに揺れ動くワインのようにゆったりと燃え拡がるはずだ
世界は初めて美しいよこがおを虹色に染めるだろう
詩は千年をかけて夜の鳥たちのように
はるかな空無へ他者へ燃えわたされていく
(私たちがいなくなったならば誰かがまた歓喜と苦悩の油を絞る)
よりよく燃えるために私たちは生きる・書く 
風は葉を揺らし花は香りを放ちながら・書く
ふいに敗北したように空気はかたわらでくぼみ句点が打たれ
いつしかけもののように他者のために祈りつづけ世界は輝く白紙となり 
ただ証すための一篇にいとおしく焼き尽くされるため
この今を抱くように生きている

詩にとって孤独とはなにか(四)

私はどんな大文字の他者としてのコトバによって支配されているのでしょうか。
それが遙かな昔から
(まるで阿鼻地獄のように?)
無数の他者が語り、囁き、黙り、うめき、叫んできたものだとすれば、
今私が詩として書く言葉は、
その他者たちの、
無意識の闇に流れているイキモノのようなコトバと
きっと関わりがあるに違いありません。

けれどどんな関わりがあるのでしょうか。

私が日常の言葉で満足できず、
詩を書きたいと願い続けるのは、
そのような大文字の他者としてのコトバの流れが
体と心をつらぬきやまないからではないかと思うのです。
大文字のコトバの流れはきっと、
感じとれられないほどかすかな
しかし何か生命にとって本質的な振動を
体と心に与え続けているのでしょう。

つまりこれまで生き死にしてきたすべての他者たちのコトバは、
ざわめきや声に似たものとなって、
深いところで人間を揺さぶりつづけているのではないでしょうか。
自分たちのだめに語れ、書け、叫べ、
と命じているのではないでしょうか。

あるいはもう黙れ、と。

すぐれた詩の言葉とは
痛点のように私の存在のツボをさぐりあてる言葉であるようです。
私を伺い知れない大文字のコトバの振動に共振させ、
私をコトバ自身へと解体させてしまうようです。
けれどすぐれた詩とは
不安を越えて、陶酔であるのはなぜでしょうか。

それはきっと、
詩によって私が溶け込ませられていくコトバの流れとは
ひどくなつかしい、
私自身もまたそこからやって来た
深くざわめく闇の流れだからだ、と思うのです。

2010年1月30日 (土)

詩にとって孤独とはなにか(三)

コトバとはよくも悪しくも大いなる他者だと思います。

今、ラカンの精神分析についてよく耳にします。
そこにコトバを指して「大文字の他者」という用語がありますが、
私なりにもそのような捉え方で、
今コトバについて考えています。

私を支配しつづけながらけっしてその全貌をみせないもの--
私は語ったり書いたりすることで、その存在を体験はできるが、
その体験をけっしてすべて意識化することはできないもの---

斎藤環さんの著書を最近読んでいます。
そこから私がコトバについて理解できたのは、
以上のようなことです。

そして私なりにさらに考えるのは、
コトバが私を越えた「大文字の他者」であるのは、
それがこれまでに生き死にしてきた無数の人々の、
願いや悲しみや痛みや喜びが、
すべてのコトバに滲んでいるからではないか、
ということです。

だからそれは時に、
理解不能の責務や倫理を私たちに負わせる。
原因不明の歓喜と陶酔を与える。

とりわけ詩人のコトバとは、
コトバそのものがあげた、
コトバ自身に対する呪詛であり、賛歌であるのではないでしょうか。
コトバにはそのような残響さえ永遠にひびきのこっている。

コトバが「私だけのコトバ」から
「大いなる他者」としてのコトバへと変わりうること--
コトバはそもそも私にとって他者であり、
だから煌めく無限の関係性へとひらかれていること--

それらの覚知は、とてもゆっくりと生まれてきましたが、
私のささやかな死の体験が私にくれた贈り物だったかもしれません。

2010年1月29日 (金)

詩にとって孤独とはなにか(二)

もちろん「関係性による自由」とはあらかじめあるものではなく、
「ひとりの自由」の限界と不自由を痛感した後に、
ようやくもとめられるものだと思います。
その限界と不自由の自覚は、
何らかの精神的な危機において滲むように生まれてくるのでしょう。

2004年に思いがけない病にかかりました。
精神的に未熟な私は大変ショックを受けました。
それまでもしかしたら自分は一生年も取らず、
何の変化もあるはずがないとさえ思っていたのかもしれません。
果てしなく落ち込んでしまいました。
それまで生き甲斐だった詩も、
たちまちにとても遠いものになりました。
それまで自分が書いた詩も、
心の中で全部灰のようになってしまいました。
まったく書けない状態が一年以上続きました。
死の不安の前に書く力はやすやすと敗北しました。
詩を書いたり読んだりすることは
残念ながら自分にとっては、病を乗り越える力たりうるものではなかったのです。
なぜそんな弱いものだったか。
恐らくそれまでの自分の詩に対する考えが、
非常に孤独な自分の中に閉じこめられていたし、
自分がどう生きたらいいのか、どう生きるべきなのか、という切実な問題と、
じつは離れたところにあったからでしょう。
「生」と幾度も書きながら生から遠く、
「死」とこともなげに記して死とたわむれ、
詩に対し、生命の次元で対峙していなかったのでした。
詩と生命。
それは次元が異なるものでありながらも、
深く交錯するだと思います。
生命が他の生命との関係へ無限にひらかれるように、
詩はコトバという大きな他者との、
「私」の果てしない葛藤と共鳴であるのだ、と。

詩にとって孤独とはなにか(一)

私の初投稿・掲載詩の根幹にあるのは、
孤独感、反抗心、
また同時に、反抗することのできない無力感や鬱屈した気分、
だと思います。
私がそうしたモチーフによってほぼ初めての詩を書いたのは、
詩とは孤独感を訴えるもの、であり、
詩作とは、コトバによって孤独をとぎすますこと、
あるいは孤独を深めること、
だといつしか考えていたからです。
しかし同時に、そうしたスタンスで書けば書くほど、
このままではゆきづまるな、という予感はたしかにどこかにあったと思う。
それは、あたりまえですが、
孤独感の中から孤独をテーマにして言葉を書く、
というやり方を続けていくと、
たとえいくら技法がうまくなっていったとしても、
言葉を誰かと共有できているのか、ということがどんどん分からなくなってくる。
確信が持てなくなってくる。
ともすれば自分の言葉がさむざむと空回りしてしまう。
独りとはたしかに自由ですが、
ある限界点を越えると、
それはきつい不自由へと位相をふいに変えます。
詩にはたしかに自由が必要ですが、
それはけっして「ひとりの自由」ではなく、
「関係性による自由」である、ということを、
私は後年になってやっと知ることが出来ました。
いえ、正確には否応なく知らされたのでした。

2010年1月28日 (木)

「高一時代」初掲載詩

月刊誌「高一時代」の投稿欄に初めて掲載された詩。
選者は故山本太郎氏です。
稚拙で恥ずかしいですが、ブログの気軽さに乗じ、記録もかねてここにアップします。

「浮遊物」とは何か正確にはもう分かりませんが。
いわばなんらかの「集団的なもの」のたとえだと思います。

幻像

誘蛾灯に群がる
あの白い浮遊物は?
存在のこわれそうな、
紫色に震えている奴──
幽遠からすべり出た夢の産物

晩夏の夕べ
私もそれを見た。
空が音を飲んでいた。

悲しかった。
何だか悲しかった。
それはやたらののしり合い、
決して融合を見せなかった。
昔も今もこんなふうなのか。
私は悲しかった。
それは生き物ではなかった。
自らを野心と弁護し、
法則的に進む物体
彼らは生きていると言い張るのだが。

アセチレンの魔力は、
あらゆる感情を覚醒させ、
あらゆる虚偽を真実の溶炉にぶち込む。
蘇ることを忘れた空から、
夜の予感の這う木立の中から
同じ色の、同じ形の浮遊物が誘われる。

哀しい行列──。
私は小石を、
青白い燈火に投げた。
手ごたえはなかった。

いつ、どうして詩を書き始めたのですか

先週の土曜日、ある会である人に、久しぶりそう問いかけられました。
最近は詩を書く者たちも、そうしたナイーブな問いかけをお互いに省きあって、
どんどん前にすすむ一方なのかもしれません。
だから新鮮に意表をつかれた気がしましたし、
そう問いかけられて、とても嬉しかったのです。
詩を書く自分を知って貰う、というのはとても贅沢なことだから。
訊いてくれる他者の大切さをあらためて感じました。

その余韻のまま、ここでも問わず語りに。

詩の出発点は、高校一年の投稿です。
今はもうない雑誌ですが、私が高校生の時には、「高一時代」といういわゆる学習雑誌があって、そこに詩の投稿欄が設けてありました。
そこに投稿を始めたのですが、動機としては、自分なりに当時いろいろ複雑な心の状態がありました。

たとえば学校。
中学では割と勉強をがんばって、高校に入りました。しかし入った学校の集団生活になじめなかったし、また思春期ということもあって、家の中でも、家族との関係がうまく行かず、その結果、孤独感、あるいは、どこにもいる場所が見いだせない閉塞感に、くるしんでいました。
ひりひりするそのくるしみのリアリティは、もう正確には思い出せませんが、
自分の声が持てない、自分の声を出せない気がしていました。
当時は、学校の授業も家の生活も、すべてに息のつまるような感じがしていたものです。
いつもこれがすべてだといわんばかりの「日常」。
あるいは「集団」。
自分を押さえ込もうとする平板な次元とは別な次元で声を上げたかったのです。
そのような中、詩という形式に出会いました。
といっても誰に習ったわけでもなく、
教科書に出てくる、中原中也や、伊東静雄や、谷川俊太郎の詩や
姉が持っていた現代詩文庫という詩のシリーズで、鈴木志郎康や吉原幸子といった、
かなり現代詩的な作品から、詩の世界に触れました。
もちろんそれらの本当の内容はほとんど分かりません。
ただ分かったのは、
詩というものが、何を書いてもいい、何でも言える、どんな長さでもどんな言葉を使ってもいい、という「自由」の輝きであり、
あるいはコトバによってコトバにがんじらめにされた自分を救う(消す)唯一の方途である、
ということ。
コトバだけでなく、自分のコトバがその下に生み出す余白が、
雪原のように眩しく輝いてみえていました。
まるで未来のように。

やがて見よう見まねで、詩を書き始めました。

詩「チンダレ」

チンダレ──空と風と星の詩人に
                 
さくら れんぎょう 雪やなぎ
花がやわらかにひらかれていく
やわらかにひらかれていく花は
すでにひかりである 空である
風 星 蝶々 わたし あなた
ふたたびめぐりくるのではない
かつてひらかれはじめたものが
うけとめられ韻きふるえている
種はいのちがけでひらいた傷の
透明な血と痛みにやさしくたえ
水の悲しみと歓びにあやされて
ここまで来て 今ひかりになる
空 風 星々 あした きのう
はるかなきのう たしかにいた
はるかなあした たしかにいる
あなたとわたしを隔たる時間を
おおきな花がいちりん咲き続け           
ちいさな花がかぎりなくみちて
瞬くまにうけとめてる韻いてる
ひとつらなりの引力みたいな花
たしかにいた花たしかにいる花
さくら れんぎょう 雪やなぎ
花のなかにはなんと多くの人の
めまいが韻きのこっているのか
かなわぬ思いが透明に打ち震え
見果てぬまなざしはげしく震え
いつしか瞳は水となってふるえ
花に隠れている影をうつしだす
はるかなきのうから香りがくる
わたしはしる その日あなたが
たった一つの花さえも逃さずに
幻視したこと いのちをあげて
未来の花をまなざしきったこと
空 風 星 蝶 ひかりひかり
いのちをあげいのちをうつした
色 やわらかさ やさしさが今
隔たりをふるえ韻き 花ひらく
紫に輝くあれはきっとチンダレ
手の届かない空のとても近くに
咲き誇るききとりがたいことば
鮮やかな幼い日の追憶のような
色 やわらかさ やさしさが今
たった一つのそしてかぎりない
かなしみとよろこびをあやして
わたしたちという花をひろげて
まばゆいひかりとなり咲き誇る

*正確には「チンダ(ル)レ」

2010年1月27日 (水)

東柱の話(四)

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昨年4月、桜が終わり京都が緑ゆたかな季節を迎え始めた頃、
私は久しぶり比叡山に登りました。
その時、なぜか乱暴にも東柱にこじつけてしまった、「不思議な」体験をしました。

まだ、花がきれいだなーっと余裕があった段階ですから、麓付近だったと思います。
写真のような花に出会いました。
紫のつつじ・・・珍しい。
もしかしたら、チンダルレ?!
早合点の私はひとりでもりあがりました。
チンダルレとは、朝鮮半島で春の訪れを告げる花として知られる、
カラムラサキツツジ(和名)です。
そう短絡したのは、この比叡山の麓に、尹東柱が下宿していたアパートがかつてあり、
彼が野山を歩くのが好きだったことを、昨年上梓された『尹東柱評伝―空と風と星の詩人』(宋友恵著・愛沢革訳、藤原書店)で読んだばかりだったからです。
京都にいた時はケーブルカーで比叡山を越えて琵琶湖にも行ったそうです。

なぜこんなところにチンダルレが?
もしかしたら東柱が未来への伝言として苗を植えた?
私は空と風と星の詩人が夢見た未来の花をみているのかしら・・・

早くも相当疲れていたようです。
冬の運動不足のためにかなり息切れがする中、酸素不足の頭の中で、
切なく淡い幻想が生まれたのでしょう。

もちろんチンダルレではありませんでした。
日本にはほとんど自生しないのです。
詳しい人に訊いたら、本州の中部、四国地方で咲くコバノミツバツツジではないか、ということです。

2010年1月25日 (月)

東柱の話(三)

詩の背景には実際の出来事があります。
(もちろん、言葉と事実の関連のほとんどは、後付です)

ある暑い梅雨の晴れ間、私は白い帽子をかぶり、鴨川にかかる加茂大橋に佇み北山を眺めていました。鬱屈とした気持の中で暑熱の異常な予感を感じながら。「白い闇」とは、私がそのとき抱えていた悩みを象徴しているつもりです。「この冬 春の幻のようにあなたをふかく知った」は、同年の冬、東柱の詩を書き写すことで、あるつらい経験を耐えたことを私なりに暗示しています。

つづいて、後付ながら言葉と事実を関連させていくと、以下のような「ストーリー」としてつながっていきます。

帽子に顔を隠し、欄干に身をあずけながら、「私」はハッと思いました。

東柱もまた通学の途中でこの山々の緑を見たのだ、右手には拘留された警察署も同じ場所にまだある──。

その実感が汗のように滲みだし、「白い闇」を洗っていきます。
帰郷の直前に逮捕された詩人が、宿命の予感の中で向けていた絶望のまなざしに、自分自身のまなざしが重なっていく。
山の緑と川の銀がかった青がふっと迫る。
詩人は、明るさを装いながらも暗い翳りをしのばせるこの北方の風景に、未来を、つまりまさに今ここにいる私が眺めている風景を見ていたのではないか。
喉がうごいていく。
この風景に対して、何かを言わなくてはならない、言葉を投げかけなくては
──不思議な衝動が残っていった・・・
詩人を非業の死へ冷然と見送りながら、微動だにもせず
(山が動かないのは当たり前ですが)、
清冽な瞳から放たれた絶望のまなざしを呑み込みつくした自然の悪意。
そして、背後を行き交う車が無慈悲に響かせる、詩人の存在を消し去りつづける時間のむきだしの笑い。
「遠近法よ 揺らげ…」と「私」は鋭く命令する。真実の過去よ戻れ。偽りの未来よ退け。「今ここ」よ、揺らげ・・・

あの時からどれだけ「私」は、人間は、世界は、「プロメテウス」になれたでしょうか。昨日鴨川は冬枯れしていましたが。

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