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2010年3月

2010年3月27日 (土)

また4月1日に

京都の桜はこんな感じです。Image473
五分咲き位でしょうか。
比叡山の麓にある家の付近の桜なので、南のほうよりは遅咲きかと思います。
しかし桜のけなげな咲き振りをみていると、どんな一年でも一年をたしかに生命のリズムにして、ちゃんと咲いてくれるなあと感謝したい気持になります。

いつまでも花だけをみていたい。
見上げているとそんな気持にさせる、桜は不思議な花です。

「明日は終日草花だけを見よう、脱脂綿にアルコールをつけてあらゆる心配事をこすりとろう、そんなことを考えます。あまりにも夢が散乱しているので、そう考えるのです。草花が咲いて満開になる夢、グラビアの原色版の夢、絵本を見るように楽しい夢を見たいです。」(李箱「山村余情」)

明日から所用で広島に行ってきます。
上記文を収める『李箱』(作品社)の編訳者の崔真碩さんにもお会いする予定です。
ブログはまた4月1日から再開いたします。

2010年3月26日 (金)

桔梗色の夜明け(詩)

桔梗色の夜明け──市民保守少女のための習作

朝がくる
月も星も老いしぼむ空の
夢をおかす疲弊の桔梗色
まぶたをなくした私の眼は
眠りながらみている 染まっていく
ああ虚空
あのうつろ
私のいらだちをつかのま結びとめていた青のマフラーは
するするのぼっていく
乾いた目でみつめてもみつめても
あの旗はあがらないまま
桔梗色にくろずんだマフラーが
ばたばた物質的な羽音をたてるのだ
私自身のように
この私の孤絶をあばくように
(蛇口がふいにこぼす涙のおと)
あらわすぎる空から両眼は染まっていく
この桔梗色はなんなの
はやくあのリアルな青がほしいよ
今日みんなでうちふるう
安い色で無数に印刷された国の旗の
フェイクの朱赤輝く リアルな青
(蛇口が呑みくだす時のおと)
時はなぜこんなにも与えられているの
何者から 何のために 
歴史だなんて
お父さん 私は言い訳は許さない
この桔梗色の重さを
ひとり横たわる私に押しつけるのは間違っている
間違っていると
ふいにあなたが眼を逸らしたあの時から
私が決めた
歴史は私が決めるのよ
本当の父親は
六十五年前にこの国から追い出されたんだ・・・
みんなが言う
俺たちの本当の父親を取り戻そうぜ!
みんなの血が叫ぶ
父を追い出した敵を追い出そう!
こぶしをつきあげるとき
フェイクの青はなんとリアルに輝きわたることか
私の若さの闇から
毒液のような時間が湧きつづけても
国旗のポールからつかのま離れた
アルミくさい男たちの手は
いつでもすくって飲んでくれる
夜に飲む 昼に飲む 朝に飲む
フェイクだからこそリアルな兄 そして
弟として

やがて手首から流された私の血が
街頭にあふれ
世界に私が存在する 私だけが

リーフレットの原稿が集まりました。

昨日、朝鮮高校無償化除外案反対のためのリーフレットの原稿がほぼ揃いました。Mage
みなさん締め切りを厳守して下さり、
また予想を上回る数となったことに、
今感動しています。寄せて下さった方々、本当にありがとうございました。
それぞれに熱い思いのこもった文章と詩が並んでいます。
久しぶり詩人っていいなあと思いました。

この社会に敵対と分断と差別をもたらそうとするメディアや権力者への怒り。
またそこにどこか加担していた自分自身への怒り。
共に生きる他者への共感と連帯。
そして今を生きるすべての人々への呼びかけ。
そうした思いのいわば「導線」あるいは「動線」があるために
言葉はいきいきと、つやつやと、まっすぐ輝いている。
輝く関係性の手を伸ばしている。
いまのいま苦しむ他者の肩へ。
この問題をスルーする日本人の背中へ。
明日あるいは未来の自分自身の手へ。

この人がこんな詩を書くんだという驚きもありました。
あるいは、
ああこの人は自分の個性をめいっぱいこめて頑張ってくれたなあと。

私もまた文章以外に詩を書きました。
詩を書きながら
詩というものが人間に発生した理由を身の内から知った気がします。

言葉は苦しむ他者へと向かう関係性においてきわだち、いきづく。
万葉集で多い歌は挽歌と相聞歌といいますが、
挽歌とは苦しむ他者が死者というよりも自分自身である場合、
相聞歌はそれが今自分にとって唯一と思える他者である場合、
ではないでしょうか。
今回のリーフレットの詩は挽歌でもあり相聞歌でもあり、
自分を含む「他者と共に生きる詩」といえるかもしれません。

4月上旬には完成させたいと思います。
これをもといにまったくあらたな詩の活動が始まるでしょう。

*写真は、今朝新聞で見つけた、東京の新国立美術館で開催されている「日本アンデパンダン展」に出品中の貴志カスケさんという作家の「尹東柱の詩」。水を利用した動きのある石の大作ということです。29日までということです。どんなものなのか、どなたか見られた方がいたら、教えて下さい。

2010年3月25日 (木)

「響き合う感覚」(上田閑照)

日々様々な言葉に巡り合います。
(最近私はなぜか「巡り合う」という言葉をよく使います。Image471
日々言葉に囲まれている私たちですが、その無数の言葉の喧噪の中から、巡り合うべき言葉が、私たちを静かにまなざしているのではないでしょうか。
新聞、本、ラジオ、テレビ、人との会話、
あるいはそれは内なる言葉だったりする。
しかしある言葉に打たれるとき、胸をつかれるとき、
私は目が覚める思いがします。
自分はやはり関係性において生きる者なのだという鮮やかな実感がします。
それだけでもうれしい。

たとえば今日京都新聞の文化面で、
哲学者上田閑照(うえだしずてる)さんの取材記事の言葉が目に止まりました。
ドイツの神学者マイスター・エックハルトの研究者。
私も大学時代講義に出たことがあります。
講義の内容はじつはあまり理解できませんでしたが、
黒板に神的存在と人間の関係の見取り図を描いて(円と「一」という文字が描かれていた記憶がありますが)、
真剣で純粋なまなざしで学生を見つめていたこれぞ学者という姿とオーラに、
内容はそっちのけで私も少し興奮し感嘆していました。
今朝の写真を見るとさすがにご高齢になられましたが、
しかしあの若々しい真摯さは変わらない、とふたたび感銘を受けました。

上田さんの昨今の事件や紛争への思いとして、
「人間は善か悪かできなく、善にも悪にもなる。どういう人間になるかは人間自身に委ねられている。」ところが、「それを決める自由がゆがんだかたちで働いている。何とも情けない社会になっている。」

ならばどうしたらいいか。
「自分がどういう人間かを考え、真剣に生きることで、響き合う人と必ず出会う。」
恩師西谷啓治さんや多くの友人に恵まれた体験から分かったことは、
「ほとんどの人は亡くなりましたが、思い出は単なる記憶でなく、響き合う感覚を思い出すことで常に生きてくる」。
そう、この現在の社会に生きる私たちの魂に深刻に欠けているのはこの「響き合う感覚」なんだ、とハッとしました。そのように名づけられ、初めて分かるいわば欠如、です。

上田さんは今も真夜中に思索しながら、星を眺めるそう。
「あの星から、誰かがこっちを見たら、わたしがこの星を眺めているように見えるのかな。」
その不思議な感覚が、「響き合う感覚」であり、
つまりは人間として生きる実感なのだと思います。

2010年3月24日 (水)

辺見庸「水の透視画法」

また、私が共同通信の配信で楽しみにしているのが辺見庸さんの「水の透視画法」。
昨日23日付の東京新聞夕刊で読みました。
今回のタイトルは「ニセの諸相--アカシアと民主党」。
タイトルから惹かれます。
いつもこの作家の文章は導入がすばらしいのですが、
今回は、北京の秋、桔梗色の夜ふけに、美しい英国人女性が発音したニセアカシアの英語名「スードウアケイシャ」から展開します。
「『ニセといってもニセアカシアじしんに罪はないのよ。想像妊娠に悪意がないように』。だが、フェイクをこしらえる者には責任がある、とでもいいたげだった。そのことを近ごろしきりにおもいだす。もしも、いま眼に見え、耳に聞こえているものを、現にそこにそのように在る、と赤子のようにうたがわないでいられたら、苦悩がないという意味あいでは大いなる幸せであるとともに、思惟することを課せられた人としてはたとえようもない不幸である。」
この箇所の末尾にある「たとえようもない不幸」は、今の社会の良心的な層から滲むかなしみをいいあてていると思います。
そしてこのエッセイの終わりのほうでは朝鮮高校無償化除外案についても書かれています。今回の政府の方針について、政治と教育の混同を指摘し、「初歩的合理性にも最低限の道義にも欠ける」といっています。
そしてその理由を示したあとで、、
「にしても悲しく苦々しい。ここにきてあちこちで起きている在日コリアンいじめに手をかすような〝朝鮮学校は対象外〟の方針は、この国の文化の根底にかかわるどこか因習的な病質をふくんでいはしないか」。
ここで言われる「因習的な病質」とはまさにいいえて妙です。
今の事態を因習なのだ、病なのだ、と言い直してみれば、
まさにフェイクの仮面はたやすくはがれていきますが、
しかしみえてくる闇の顔はフェイクという浅さにまもられていたものだけに、
おそろしく不気味なものではないでしょうか。

「百年の明日・ニッポンとコリア」

私が朝日新聞で最近楽しみにしているのは、P9130030
「百年目の明日・ニッポンとコリア」というシリーズです。
前回は済州島と大阪の話で、詩人の金時鐘さんも登場されました。
今回は拉致被害者・翻訳者・作家の蓮池薫さんへのインタビュー。
蓮池さんは帰国されて七年半がたちますが、今は大学講師として韓国語を教えてます。
ソウル訪問記『半島へ』も出しています。
この記事で述べられたソウルの印象も面白いです。
蓮池さんの言葉は北のイントネーションなので
「スパイを見たら通報を」という看板のある韓国では
スパイと間違えられかねず話すのに抵抗があったが、
それに対し北ではソウルは悪の巣窟と言われていたというように、
北と南では政治的な思惑によってそれぞれのイメージは
敵対的に対称をなしているといいます。
また「現在の朝鮮半島を語るには、朝鮮戦争を知ることが不可欠です」。
私は昨年韓国の田舎のお寺ですごい銃撃の痕を見たこともあり、
きっとそうだなあと思うのですが、
私が習った日本の教科書では朝鮮戦争の記述があったかなかったかは
記憶にすらないのには唖然とします。
けれど朝鮮半島ではそれは現在の国家体制や国民意識を決定する最大の出来事だったというのですね。もう一度というかまったく遅ればせにしっかり学ばなくてはなりません。もちろんそこに関わった日本の過去と当時の事情をもふくんで。
また蓮池さんは南北では朝鮮戦争をひきおこしたのはどちらか、住民を虐殺したのは誰か、というところで対立している、といいます。
そして日本の植民地支配の伝え方や評価や反日教育も違うといいます。
「朝鮮民族がどんなひどい目にあったかは同じ。ところが、日本による韓国併合以降の抗日運動については全然違う」
歴史の見方がそれぞれの歴史の変化によって変化させられていくという複雑さ。
蓮池さんは拉致されてから周囲の北の人々から植民地時代に日本がしてきた事実に対する怒りをきかされます。
それに対して初めは、
「その時生まれていなかった私に何の関係がある。拉致しておいて何だ」と反発していましたが、やがてその話から「ひどく刺激」されやがて分かってきたのは、
「『頭ではわかっていても抑えられない相手の感情があることを理解すること。それを刺激しないこと』。日本と朝鮮半島の過去の事実をふまえながら今後のヒントは、そこにあるような気がするんです」
この蓮池さんの言葉は、私たちは大変重く受け止めなくてはならないのではないでしょうか。
さらに、生きていくために朝鮮語を必死で覚えたこと、
北の人々の「強制連行に比べたらこのくらいは」という率直な気持、
生活の苦しさはアメリカや日本が原因だと考えられていること、
南をどこかで羨む気持などもあることを蓮池さんは語ります。
自分が拉致され苦難の人生を強いられたことに対しては、
拉致したのは一般の人ではない、
自分が生き抜くために心をくだいてくれた人々がたくさんいる、
だから拉致問題が解決し、情勢が変化したらお礼がいいたい、とも語ります。
また、最終的に大切なのは「個々の付き合い」であり、
「将来アジアの人たちが仲良くなるためにはこれが何よりも大事だと思います」
巷で聞けば聞き流してしまいそうなこの言葉も蓮池さんが語ると、
苦難の人生の結露として私の胸にも響きました。
拉致問題の解決に向けては
「一番言いたいのは、最終的に政府だけが、北朝鮮を交渉の場に引っ張り出して解決につなげられるということです。真摯に話し合い、きちんとやってほしいということです。拉致問題の解決を、交渉でやるのか、力でやるのかという話がありますが、僕は交渉でやるしかないし、それが早いと思う。」
「家族の絆を断ち切るような解決はだめです。新たな悲しみ、苦しみが始まるわけですから」
「そのためには、何が必要か政府が一番わかっているはずです。なぜならいままで北と交渉してきて向こうの感触をわかっているはずですから。世論がこうだと行って、こっちによろよろ、あっちによろよろでは、北朝鮮は交渉相手として信じないという一面もある。」
日韓関係もふくめて最後に、
「やはり歴史の問題が大事です。共同歴史研究はとてもいいと思う。意見が合わなくても、同じ場で話し合ったことを評価したい。あとは個々の関係です。民族を超えた人間同士の付き合いが深まれば、ちょっとやそっとの摩擦で、揺らぐことはないと思います」
この言葉でインタビューは終わります。
とにかく私たちの側のほうが歴史を知らないのは事実です。日本の歴史を知るとは、隣国と共に考え、教え合い、語り合うことなのだ、と蓮池さんの最後の言葉から教えられました。日本もまた歴史に真剣に取り組む態度を見せてこそ、交渉の場で人も言葉も信頼されていくはずです。共通の歴史的な思考や言葉を持ち、日本と隣国とのあいだに共に歴史を見つめ合う機会がふえれば、とどこおっていた意思疎通や共感は、春の川が流れ出すように、始まっていくのでしょうね。
*写真は、ソウル・インサンドンの酒房「詩人」。昨年ここで「詩評」という同人誌の会合に参加しました。といっても言葉は分からなかったので、詩をめぐって思わぬ激論となったのを、ただはらはらして見ておりました。

2010年3月23日 (火)

ガラスのコップ

新聞の紙面で私のまなざしがよく立ち止まるのは、
詩人の性分からか比喩の言葉です。
うまく決まった比喩があるとなぜかその記事もより信頼できる気がします。

今日は朝日新聞の朝刊一面が意外な記事で、ふとまなざしをひかれました。
日本に出稼ぎに来た外国人労働者の子どもたちの母国語習得についてのルポルタージュです。
見出しは「日系の子 言葉の迷子──」
この「言葉の迷子」に目が止まりました。
不況で母国へ帰国するブラジル日系人などの子どもの中には、
母語も日本語も不十分な「ダブルリミテッド」といわれる子たちがいます。
母親たちが残業で遅くなり会話ができないため、母語が思うように習得できず、
一方日本語も難しく、かつ日本社会の冷たさも心理的な壁となり、習得が不十分なのだそうです。
「ある程度の抽象概念を母語で表現できて初めて、次の言葉を習得できる。母語の土台がないと考える力が育たず、どっちの言語も中途半端になるのではないか」
だから当然投げやりになって非行に走る子もいる。
しかし犯罪をおかした子も少年院で日本語を習得すると、
日本の文化や社会に興味も出てきて、
生きる希望や意欲が出てくるのだそうです。
つらい話ですがここで魅惑的な比喩に出会いました。
「日系人は用意された『ガラスのコップ』の中で暮らしてきたようなもの。日本人とはガラス越しにお互いの存在を認識しつつ、交わることはなかった」
日系人専門のハローワーク職員の言葉です。
これまで日系人の住居や仕事や学校の紹介は雇い主の側だけで丸抱えで担ってきた、
日本社会全体での受け入れ体勢がなかった、
日本人は無関心だった、
ということの表現です。
コップの中の嵐、から思いついた表現でしょうか。
なぜガラスかといえば、それはとても危ういことだからです。
そのことがいま、かれらが帰国せざるをえない事態になって、やっと分かった。
「不況の直撃で『ガラス』が割れ、コップの外に飛び出してきた日系人たち」
ブラジル人学校という教育現場から子どもたちが、あてどなく不安の中で散逸しつつあることの表現です。
母語も不十分なままブラジルに帰った子、
日本語が不自由なまま公立校へ転校した子、
どの学校にも通わなくなった子・・・
公立へ行く子の多くはいじめを恐れているといいます。
ハローワークの職員が使った「ガラスのコップ」とは
様々な脆さと痛みがこめられたすぐれた比喩なのでした。
とてもシンプルな表現なので、けっしてプロは思いつかない言葉です。

放送記念日特集番組(NHK総合・3月22日夜10時~11時半)

昨夜NHKの放送記念日特集番組をみました。
「激動のマスメディア、テレビ・新聞の未来を徹底生討論」
というテーマの番組です。
テレビ・新聞といった従来のマスメディアは、ジャーナリズムの良識や経験に裏付けられたものであるとして擁護する側として、NHK副会長、新聞・テレビ側の代表者、
マスメディア媒体がインターネットへ移行しつつある現在の状況には、情報の多様性や双方向性といった点で積極的な意味があると主張する側として、配信会社の代表やIT評論家、
それから両者に対し客観的な意見を述べる側として、メディア社会学の大学教授、
という顔ぶれの討論でした。

たしかに今、新聞もテレビも若年層ほど読まれなくなっているという事実は知っていましたが、配信会社代表の
「新聞・テレビとインターネットは全然別な世界。インターネットを情報源としている人たちは、新聞やテレビをまったく見ない。インターネットという場で知らされないことは、基本的に「この世に起こっていない」。昨日新聞がインターネット参入を発表したが、新聞やテレビがただインターネットに参入しようとしても、だめだ。」
というような内容の発言は、どきりとしました。
国会中継も、インターネット動画で見た「ユーザー」が、投稿するコメントがテロップで次々画面を走っていく、そして配信会社の記者はユーザーの投票で高得点を取った投稿から、大臣に質問する・・・そんなことも実際行われているようです。
その場合、いわばインターネットの生な情報を、ユーザーたちはそれぞれの現在いる場所で受け取りそこから即座に応答するわけです。たしかに、そうした瞬発的な場は、いわば鑑識眼のある、また言葉の能力のあるユーザーがそろえば、活き活きとした公共性を生み出す可能性はあります。けれど一方、瞬発や即応というのは、未熟なユーザーにとっては、容易に動物的な本能を刺激してしまうはず。そこに、事実を抹消するほどの動物的な阿鼻叫喚が出来する可能性も大きいと思います。私は実際そのような中継動画を見て、恐怖に駆られたことがあります。匿名性や差別語などの問題はもっと議論すべきでしょうし、匿名の投稿への匿名の投票がものをいうのは、風評が支配することにもなりかねません。インターネット情報はいくら生なものといっても、ある意図を持って投げこまれているはずですから。それから、これからは、技術を持つ者と持たざる者の「格差」がどんどん拡がっていくだろうし、そうするとインターネットによって言論を支配する者とされる者といった構図ができあがってしまうのではないでしょうか。
いずれにしても、私はこうしたブログの力を実感しつつも、やはり新聞の活字の力は良識の力だと信じる者の一人です。

2010年3月22日 (月)

松本清張『北の詩人』

連休の方も多いと思います。Image469
京都も昨日は黄砂でかすんでいましたが、今日は晴れ上がり、
家の窓からのぞく桜の梢も、陽ざしとたわむれながら、つぼみをふくらませています。なかぞらから歓喜が始まっているようです。

ここのところバッグに持ち歩いて読んでいたのは、
松本清張『北の詩人』。
林和(リムファ)という実在の詩人の、政治と詩、あるいは人間の弱さと強さのあいだでの揺れ動く苦悩を描いた力作です。
解放後から朝鮮戦争までの、歴史のリアルな実像が描かれています。

林和は、1920年代から30年代に朝鮮プロレタリア芸術同盟(=カップ)の中心人物として活動しましたが、1934年に日本の特高に検束され、転向しました。
解放後、みずからの負の経歴を隠し、往年の革命の闘士として、新時代の文学運動の指導者としてみなの尊敬を集めていきます。
しかし、彼の転向の記録を、アメリカの情報部はにぎっていました。
なぜなら日本の敗戦で特高は解体されましたが、そこにあった資料をアメリカは押収していたのです。日本なきあと、今度はアメリカが朝鮮半島を占領統治するために役立てるためです。
林和は、転向の資料と肺病の薬とひきかえに、スパイ活動を強いられます。
教会から定期的に集会案内が来て、そこに密会の日時が書き込まれています。
アメリカの目的は情報そのものではなく、彼がスパイ行為に手を染めていく過程の中で、彼自身に自分が汚れていき、スパイという犯罪からもう抜け出せないと意識させることでした。
牧師や他のスパイたちの、そのいわば高等戦術が、からまりつづける蜘蛛の糸のようにおそろしかったです。
南朝鮮の共産党員も、そのように多くがスパイを強いられ、いつしかそんな自分を受容していきます。
やがて北朝鮮へスパイとして送り込まれた林和は、共和国の裁判で死刑となります。
大変重い内容ですが、外界の描写と内面を重ね合わせる筆致が鋭く、作家の強い力にひかれてぐいぐい読んでしまいました。

文庫本の巻頭に掲げられた「暗黒の精神」という詩の一節です。

いま この
真っ青な鳥は
力なく はばたき
息も 絶えだえに
冷えてゆく胸をいだき
暗い恐怖
絶望の吐息にふるえている
──どこにも道がない
暗黒の谷間で

なお、林和は、中野重治の「雨の降る品川駅」への応答詩を書いているというのですが、誰がご存知の方、教えて下さい。

2010年3月20日 (土)

「ハッキョへの坂」(詩)

12月に京都の朝鮮中高級学校を見学に訪れた時のことを思い出して、詩を書きました。坂とは、銀閣寺から高台にある学校へと向かう通学路の坂道のことです。
そのときのぼった身体感覚が今もからだのどこかに残っています。
そもそも坂という存在は人間にとって、特別なものに私には思えるのです。
人は、坂をのぼるときのみずからの息切れや重い身体感から、そこをのぼったすべての人々を感じ取ることができるのではないか、と。
坂をふみしみていく足裏からは
そこを歩いた人間たちののこした思いが下方から滲んでくる気がする。
『新鹿』の「牛馬童子」でも私は坂をそのようなものとして
身の内から描いた覚えがあります。

ハッキョへの坂
                              河津聖恵

春の光に梢が煌めく
うれしそうに鳥たちがやってくる
鳥たちを呼ぶのは
輝く木のよろこび
光の 輝くことそのものにあるよろこび
長い冬にたえてすべてが輝きだした

この朝も
あなたはハッキョへの坂をあゆんでいく
雨あがりなのか
靴はちょっと汚れたか
靴はまだ履いて間もないだろうか
桜舞う頃か
きれいにといた髪に
なつくようにまつわる花びらを
後ろから見つけたトンムは
オンニのように笑って肩を叩き
つまんで見せてくれるだろうか
一緒に見つめる花びらは
切ないほど美しいか
二人三人で腕を組み 肩を抱いて駆ければ
水色の空はふうわりと揺れ
みえないウリマルの花びらが
他人のものでもあり自分のものでもあるこの国に
ふりしきるだろうか
あなたが目を閉じれば
あなたの大好きな日本は
一面雪原のように白く
愛するウリナラへと変わっていくか
あなたが夢見るその風景を
私も見知っている気がするのはなぜか
私の中の母の そのまた母の中の母の
はるかな遺伝子が
今もそこへはらはらと流れているのか

一つの詩が終わるように
静かに坂が終わる
あなたはふと黙り 透き通り
あなたを生み出した無数のオモニたちに
よく似た横顔をひきしめる
花ふぶきの中から現れた
アボジを思わせる大きなコンクリートの体躯の
ハッキョの窓があなたをまなざすとき
グラウンドを駆け去った
無数のオッパがのこした風が
あなたに素敵な腕をのばすだろうか
風は柔らかな頬と髪を撫で
すべてのひとびとが花ふぶきのように笑いあう
未来へと包んでいくだろうか
少し遅れたあなたが
窓から見下ろすソンセンニムと目が合い
七色の微笑をこぼしやまぬとき

麓からたちのぼるざわめき
静かな高台のハッキョで
歌のようなウリマルを話すあなたを知らないまま
黄砂でかすんだ地上のグラウンドで
もうひとりのあなたは
携帯電話を片手に佇んでいた
風に肩を叩かれて
ふと透明な日本語を喋り止めふりむけば
ひらひら舞い降りながら
こぼせない涙のようになかぞらをたゆたう不思議ないちまいの花びら
もうひとりのあなたは
思わずてのひらを差し出し
花びらを受け止めまだ見ぬあなたに出会おうと
爪先立ちになる

*ハッキョ(学校)、トンム(仲間)、オンニ(姉)、ウリマル(私たちの言葉、朝鮮語のこと)、ウリナラ(私たちの国、朝鮮のこと)、オモニ(母)、アボジ(父)、オッパ(兄)、ソンセンニム(先生)

 

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