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2010年4月

2010年4月30日 (金)

詩集『龍神』

新しい詩集『龍神』の見本が出来ました(世に出るのはまだ少し先です)。Image511
前回の『新鹿』につづく、紀州・熊野のいわば「フィールドワーク」詩集です。

少し詩的に過ぎることをいえば、
私自身の生の時間が、紀州・熊野の時空によって、触発され、蕩尽されていく
その火花としての、あるいは砕片としての言葉を
詩という煌めく海面あるいは雪原にゆだねたのでした。
表紙の鈴木理策さんの写真はまさに
海面あるいは雪原のあわいに揺らぐ美しい非在を表現しています。
紀州・熊野の、恐らく雪原だと思います(新宮出身の写真家である鈴木理策さんの、紀州・熊野の繊細な写真は本当にすばらしいものばかりです)。

「あとがき」に次のような文章を書きました。

 本作は『新鹿』に続く、紀伊半島を巡り書き継いだ「フィールドワーク詩集」である。今回は、二〇〇八年秋に訪れた高野・龍神地方の龍神から「出発」する(作品の配列と時系列は必ずしも一致しない)。「龍神」は紅葉の日高川沿いを車で北へと辿っている。作品は龍神での途中下車で終わるが、実際は和歌山県の最高峰、護摩壇山の頂上に辿り着いた。そこからどこまでも南に拡がる紀州・熊野の山並みを眺望したが、眩暈のようなその「鳥瞰」の感覚は、その後旅する知覚をずっと刺激していたように思う。
 口熊野(「田辺」)と奥熊野(「玉置山まで」)、そしてその周辺の中辺路(「野中」)、新宮(「お燈まつり」)、那智勝浦(「補陀落」)、熊野市(「波田須」)を巡る中で、人々や自然や歴史と出会いながら、紀州・熊野の細部を私はいわば「虫瞰」していた。野中では宇江敏勝さんに出会い、「山びと」として紀州・熊野の山で生きた半生へ思いを馳せ(「野中(一)」)、那智勝浦の補陀洛山寺では波の音とともに歴史の声を聴き(「補陀落(一)」)、新宮の神倉神社では、旧正月の前日に行われるお燈祭りで、昼の禊ぎから夜の火祭りまで古代の巨岩信仰の雰囲気を感受し(「お燈まつり」)、修験道の終点である玉置山へは、かつて中上健次が訪れた事実を意識しつつ向かった(「玉置山まで(一)(二)(三)」)。旅の終わりとして、二〇〇八年九月二十六日に田辺市、二十七日に熊野市で行った『新鹿』の朗読会では、準備段階も含めて出会った人々の、それぞれの紀州への思いを感じとることができたと思う(「田辺」、「波田須」)。
 本作は、何者かに鳥瞰されながら、紀州・熊野の自然、人々、歴史、宗教を虫瞰したフィールド体験にもとづき、いくつも時空を重ねて生まれた詩的「フィクション」といえる。
 紀伊半島を旅するようになって二年。訪れるたび、私自身の「詩のいのち」が蘇る実感ある。紀州は、詩がいのちに深く関わるという原点を思い出させてくれる。「いのちに関わる」という表現で私がいいたいのは、ほんとうは詩とは、私たちの深みに潜む言語の生命力が、外界の生命力に喚起され立ち現れる炸裂であり、さらに「それを通してすべてが消え去る輝き」(モーリス・ブランショ)であろうとする、ということだ。私たちの内奥で言語はけっして静かな死物ではない。日々みずからの生命力をおしころし、文字や記号のふりをしつつ、輝くいのちとして蘇る機縁をつねにもとめている。後付だが、本作は、私自身の言語の生命と外界の生命とが、呼び呼ばれ交錯し甘美な火花を散らした旅の、私なりの結実である。
 本州の北と南の木々が出会い、木々と共に北と南の鳥と獣と草と昆虫もまた出会う紀伊半島。そのゆたかな光と影、ざわめきと煌めきは、「詩のいのち」をつよく誘ってやまない。この詩集は、多くの人のいのちと、それを育むすべてのいのちによって触発され、生まれた。
 今回も隠国での素晴らしい様々な出会いへと導いてくれた倉田昌紀氏、出版に際し再びお世話になった思潮社編集部の高木真史氏、装幀の倉本修氏、写真の鈴木理策氏、そして彼地で出会ったすべての人々に深く感謝申し上げます。
                                             二〇〇九年十二月二日
                                                                                                                          

2010年4月28日 (水)

座を立って外に歩みでていいのです

最近、また閣僚の暴言が報道され、いやな気持になっています。
ある閉ざされた大会で暴君が放ったものでしたが、
そこにいる観衆と共に他者を貶め
観衆を共犯者に仕立てて憂さをはらそうという誹謗中傷です。
そこにいた人々も一緒に拍手することで、逃れようもなく汚れてしまったはず。
しかしそれが批判的な文脈であれ一般紙に、惰性のように報道された意図も分かりません。
いつからこの社会は言語の次元で醜い絶対君主制になってしまったのか。
またひとつ汚されたモラルが
会場のくすんだ闇からこの社会に流れでたかと思うと
おのずと目を閉じてしまいます。

昨日のつづきです。

阪神教育闘争で殺された少年金太一(キムテイル)や
戦時中にハングルで詩を書いたかどで尹東柱(ユンドンジュ)の
思いと苦しみに焦点を当て
彼らの内部をみたし、あるいは外部を取り巻いていた闇(あるいはそこに点滅もした光)を想像することが日本人には今とても必要です。

「ひとの苦しみを苦しむためには、苦しんでいるひとが大事にしているものを、私たちも大事にしている必要がある。」(アルフォン・リンギス『汝の敵を愛せ』)

二人にとってそれは
まず民族としての尊厳であり民族の文化であり朝鮮語でした。
一方で具体的には大切な家族であり、親しい友人だったはず。
そして日本人をも含みこむ次元としては
人間が人間らしく、他者を自分と同じように尊重する全体的な存在であることを
望んでいたでしょう。
だからかれらは想像の果てに反戦と絶対的な平和の光も幻視したにちがいありません。

もちろん日本人にも一貫して、日本人の側における「大事なもの」を求めてきた歴史があります。それを求めつづける人々の努力があったればこそ、平和と社会が保たれてきたことは事実ですから。

日本人と朝鮮人は互いにとって鏡のように存在であればいいと思います。
私たちが想像する他者の苦しみ
そして苦しみながらもなお生きることを肯定する他者の喜びの力
思い切ってそれらのありかに私たちの顔を映し出せば
現在私たちが自己防衛するかのように持たざるをえない不透明であいまいな顔を
人間らしい美しい表情へと変わりうるものにできるはずです。

どこかの会場の閉塞した薄闇の中で
専制君主から不気味な情動を一方的にかきたてられる苦痛からは
もう解放されましょう。
座を立って外へ歩みでていいのです。

2010年4月27日 (火)

62年前の今日という日に

昨日につづき、「関西ワークショップ」から学んだことです。

当日は短い時間で駆け足ながら、
様々なテーマや立場や次元で、事実や見解が述べられていきました。
その中でまさにワークショップが開かれた4月24日というその日が
はからずも「阪神教育闘争」の日であると知らされました。

レジメの中で、今回暴言を放った大阪府橋下知事への反論の部分において、こう書かれています。

「大阪府と朝鮮学校の関係:1948年の阪神教育闘争の時に、多くの朝鮮学校を強制的に閉鎖し、平和な抗議活動に発砲し16歳の少年が射殺されるという一連の事件が大阪府内で起こり、大阪府も深く関わっている。」

阪神教育闘争。
私はこの除外の問題を知るまで、そんな歴史的な事件を
恥ずかしいことですが、聞いたこともありませんでした。
以下、調べたことからまとめます。

日本の植民地時に母国語と文化を奪われた在日朝鮮人は
祖国の解放後、朝鮮語を教える国語教習所を各地に作り
その教育網は急速に拡大していきます。

しかし時代はまさに朝鮮戦争の前で
朝鮮半島を占領しようともくろむアメリカは
そうした民族教育を治安問題と考え、
GHQと日本政府(日本もまた戦前のまま同化政策をつづけたかった)
を通じて弾圧を加えます。

1948年1月24日
文部省は朝鮮人学校の閉鎖を求める通達を各都道府県に出し、
3月末には山口、4月には岡山、兵庫、東京で閉鎖令が出されます。

朝鮮人たちは各地で抗議のために集会をひらきます。
4月24日には「非常事態宣言」が発せられました。

大阪府下の集会では25日には2000人が無差別逮捕される。
そして26日に
16歳の金太一という少年が警官に射殺されます。
誰が命じたか分からないといいます。
そして27日に亡くなりました。

その翌年にはさらに大規模な弾圧が加えられ
350弱の朝鮮学校は非合法の存在となり
在日朝鮮人は自主学校や日本の学校の民族学級という形などで
民族教育を続けることになります。
つまり民族教育受難の時代のはじまりです──

私はこれらの事実を知ったばかりなのですが、
62年前の昨日という日に撃たれ
62年前の今日という日に息絶えた少年のことを
忘れてはいけないし
知らなかったのならばあらためて記憶しなくてはならないと思います。
これまで一度も知ることがなかったその少年のことを
想像してみれば眩暈さえします。

その日は雨がふっていたのか、晴れていたのか。
少年は心配する親に何と言って家を出たのか。
会場に着くまえに何を見て何を想ったか。
集会ではおおぜいの大人たちに混じってどんな気持になったか。
その胸にひととき希望が明滅しただろうか。

しかし銃声が聞こえ、逃げまどう人々の悲鳴と怒号がみちるなか
彼の時間は永遠に撃ち抜かれました。
最後にどんな絶望の中にいたのか。
沈黙のまま逝ってしまったのか。それとも何かを語ったか。

少年のことは私は何も知りません。
しかしこれから想像することはできるのです。

いまだ歴史になりえないその生々しく切断された時間の断端は
雨の降るこの今日という日に向かい、
何かを語りかけようと闇の中で身じろぐように思えてなりません。

2010年4月26日 (月)

朝鮮学校除外の問題と大学入学資格問題

昨日の「関西ワークショップ」から学んだことのつづきです。

大学教員が今回の朝鮮学校除外の問題にかかわる必然性とはなにか。
それは
2003年に大学入学資格問題で大学教員も努力して関わりながらも積み残した
朝鮮学校に関する課題が、
この高校無償化にも引き継がれる結果となったからだ、と
昨日のワークショップの冒頭で語られました。

今回、朝鮮学校について課題を積み残した大学入学資格の認定基準が、高校無償化除外の基準として援用されたのです。

川端文科大臣は3月の国会答弁で
外国人学校への就学支援金支給の基準として大学入学資格を「一つの参考」にすると発言したそうです。

実際、4月1日に告示された文部科学省令では、大学入学資格の認定基準が援用され、その結果、朝鮮学校は当初適用除外となりました。

2003年に告示された大学入学資格の認定基準では
ほとんどの外国人学校が学校単位で大学入学資格を認められるようになったのに、
朝鮮学校だけが「当該外国の正規の課程(12年)と同等として位置づけられている」かどうかを、大使館等を通じて「公的に確認」することができないとして、
リストから除外されたのでした。
その後、朝鮮学校の修了者が大学の受験資格を得ようとすれば、
各大学での個人単位での「個別の入学資格審査」によるしかない
という状況がこれまで続いてきました。

しかしその背景には政治にまつわる深刻な社会状況があります。

大学入学受験資格の認定基準には、                                その前年の2002年に行われた
日朝首脳会談後の「拉致」問題が原因で生まれた制度的な「ゆがみ」があります。
当時、日本国内で巻き起こった政治的バッシングを懸念し
文科省は当初朝鮮学校を除外しました。
しかしそれに対する猛反発を受け
苦渋の策として「個別審査」というかたちをとったのです。

つまり学校単位では入学資格は認めないが
個人では救えるような形にした。

そのようなゆがんだ時代状況の中で生まれた回りくどい基準を
今回「無償化」の基準として援用したわけです。
ならば、いまだ日本が朝鮮と国交正常化しようとしない現況の中で
朝鮮学校が除外されるのは当然でした。

大学入学資格の基準が「個別審査」(つまり学校単位ではない)という方向へむかったのと同様に
今回の無償化もまた、(大学入学資格では各大学が認定機関となったの同様に)
都道府県と第三者機関?に判断の作業をゆだねることになったのです。

朝鮮学校を認めまいとする方向性はあまりにも明らかです。

こうした一連のうごきの背景にはもちろん
関係機関に対する右派の政治家やそれを支える市民保守の圧力があるわけです。
残念で怖ろしい事実ですが、
しかしこの未成熟な社会を成熟させるために生きているはずの私たちは            なけなしの良識をふりしぼり
事態を良い方向に変えなくてはならないと思います。

2010年4月25日 (日)

反ネクロフィリア

現代詩文庫所収の黒田三郎さんのエッセイ「詩人とことば」は、Image508
平易で明快ながら、詩を、その時代を生きる人間のただなかから生まれる
「生きたことば」であると考える
至極まっとうな主張に貫かれ気持ちがいいです。

「自分たちの生きたことばをもつということは、ことばを現代日本の社会に生きているひとりの人間の行動において考えるということになる。ことばとそれがあらわす事実や経験との間に、激しい緊張があってはじめて、ことばは生きる。日常生活において、われわれのことばを支配している法則は、詩においても決して死にはしない。」

ことばとそれがあらわす事実や経験とのあいだにある「激しい緊張」。
それがことばを生かしめ、詩の生命を輝かせる。

つまり、自分が詩として表現したいと直感した事実や経験があったとします。
それはことばとの葛藤をかぎりなくよびさましますが、
その葛藤がまた、事実や経験から新たな意味やイメージをつぎつぎ触発し、
やがては事実や経験の側から不思議な叡智がいきづきだし
ふいに詩人の無意識に何かをつげるでしょう。
それが詩=「生きたことば」が生成する瞬間ではないでしょうか。

ところで今日、
同志社大学で行われた「朝鮮学校の『高校無償化』問題を考える関西ワークショップ」に行ってきました。
大学教員の主催する会でした(なぜ大学教員がこの問題に関わるのかは、大学入学資格の認定基準と今回の朝鮮学校の無償化除外との深い関係からですが、そのことについてはまた後日書きます)。
そこで発言されたある教員の方の言葉が
今「生きたことば」と関連しふと思い起こされました。

レバノン出身のオーストリアのある研究者が
オーストリア政府の多文化主義を皮肉り
「ネクロフィリア」(死体愛好)と名指したそうです。
彼地の政府は民族教育に介入して反抗しないものだけを多文化と認めるという意味で。

(唐突なようですが)黒田さんのいう「生きたことば」は
現実や真実と解離した言葉を愛する「ネクロフィリア」みちみちるこの社会の言語状況
に対峙するものだといえるでしょう。
とりわけ今回の朝鮮学校の問題をめぐるメディアや市民保守の言語などはこぞって
「ネクロフィリアのことば」である、とハッと気づきました。
とすると「生きたことば」であろうとする詩が
この問題に関わるのは当然であるはずです。

写真は帰りに鴨川にかかる橋から北山の方を見て。
いいお天気でしたね。

2010年4月24日 (土)

黒田三郎

先日東京でお会いしリーフレットを手渡したSさんからImage507
嬉しいメールをいただきました。その一節です。

「詩人が力を合わせていく、ということに希望も感じます。
  かつて、黒田三郎さんが、
  『詩人という名で免れるものはひとつもない』と言っていたことを思い出しました。
  そしてそこから、詩人としてできる『表現』ということも考えています。」

Sさんの「希望」という言葉とともに、
ここで引用された黒田三郎さんの言葉は、私の心を明るく灯してくれました。

詩人・黒田三郎。
長らく私はその存在を忘れていたようです。
ふと本棚のガラスの引き戸を開け、現代詩文庫を取り出しました。
奥付を見ると75年発行のものでした。
恐らく大学時代に買ったものだと思います。

詩を現代詩として意識して書きはじめた大学の頃、
私はどちらかといえば、
詩を社会や歴史によって動かされるものと捉え、
ひいてはそれらを動かしうるものであるとも信じるスタンス、
つまり人間がより人間らしくあるために詩があるはずだという
立場にたった詩や詩論をよく読んでいました。
黒田さんはそうした系列の代表的な詩人です。
羨望とときめきを抱いて読んだ覚えがあります。

有名な「紙風船」や「こうもりがさの詩」だけでなく、すべての詩が
詩を特権化しない平易なことばをこまやかに駆使しながら
人間の繊細で柔らかな魂の裸形を
読む者の内部から浮かび上がらせていくと思います。
毛髪がふうわり風になぜられるような、あるいは睫がひっそり雨に濡れるような感覚とともに。
この詩人の詩は、魂をほんの少し、
けれどその底のほうから雨上がりのように陰翳深く明るませてくれる。

作品「あなたの美しさにふさわしく」の冒頭部分──

失われたもののみが美しく
失われたもののみがあなたのものであったと
ひそかにあなたに告げるのは誰か
心に残されたものは
赤さびの鉄骨と
燃え残った石壁だけであると
ひそかにあなたに告げるのは誰か
美しいひとよ
思い出があなたをどん欲にする
かつてあなたを容れるためにあり
いまもなおあなたを容れるためにある
空白のなかで
あなたの美しさにふさわしく
唇を洩れて出るひとことよ
たかがそれは
木と紙とガラスにすぎなかったのだと

「かつてあなたを容れるためにあり」から「唇を洩れて出るひとことよ」までの五行に、
三十年前の私は鉛筆で線を引いていました。
なぜなのか、目を閉じて思い出してみたい気がしています。
いま少しこの詩人の深さに触れてみようかと思います。

2010年4月23日 (金)

リーフレット『朝鮮学校無償化除外反対・言葉を紡ぐ者は訴えます』から

リーフレットに掲載した私の文章をアップします。

除外反対を切に訴えます
                                
                                       河津聖恵(詩人)

朝鮮高級学校を高校無償化の対象から外すことを、私は間違いだと痛感し、同じ憤りを持つ詩人たちと3月7日にアピールを出しました。直接的には3月4日に報道された大阪府橋下知事の問題発言への抗議としてです。各団体で多くのアピールが出たものの、国民的なうねりとなって政府を突き動かすまでに至らず、当面除外という残念な結果となりました。しかしこれからが勝負だと思います。

 ほんとうはこの国の誰もが、除外は間違いだと思っているのではないでしょうか。ただ誰もが何かを恐れ、声をひそめて、背を向けているのではないでしょうか。しかし恐れずに、今を共に生きる人間として、未来の子供を慈しむべき大人として、私たちは声をあげるべきです。想像しなければなりません。朝鮮高級学校の無償化除外が、子供たちの心をどんなに傷つけたか。法案の理念そのものを裏切った当面の除外決定と、閣僚や首長がマスコミに流しつづける誹謗中傷が、在日の方々をどんなに絶望させているか。そしてそれらを想像せず見過ごすことが、この社会のモラルをどんなに劣化させていくか、を。こうした今の状況は、人間の魂がより気高く自由であるために言葉を模索し駆使しつづけるべき詩人にとって、まさに危機的な状況であるはずです。詩人はそのことに鋭敏に震撼とし、その亀裂から言葉を汲み上げなくてはなりません。

 高校無償化法案は、そもそも外国人学校も対象に含めることを想定しており、朝鮮学校も積算に入れた新年度予算案になっていました。にもかかわらず、昨年末中井洽拉致担当相は、子供たちに平等に教育を施すという法案の理念とは真逆の、政治的・差別的提起を行い、待ったをかけました。それに対し川端文部科学相は、筋違いだと明言しています。それにもかかわらず鳩山首相は、本来は最も尊重すべき担当閣僚の見解を尊重しないまま、拉致担当相(拉致担当があるのならば、国交正常化担当もまたあるべきではないでしょうか)という、教育とは全く関係のない政治・外交問題の担当閣僚の意見へひきずられてしまいました。その結果として、首相は朝鮮学校を当面除外するという、社会的に影響の甚大な裁定を下しました。

 一国民である私にとって、今回の除外に至るまでの経緯はまったく闇に包まれています。誰もが教育を平等に受けられるように経済支援をするというこの法案の理念が、この社会にせっかく灯した光も、闇にかき曇らされてしまいました。

 なぜこのような結果となったのでしょうか。なぜ予算案が出来ていた段階で、拉致担当相が横やりを入れたのか。そして文部科学相が、外交上の問題や教育の中身は判断の材料にしない、と言ったにもかかわらず、首相はなぜ拉致担当相の意見の方に賛同していったのか。首相は、文部科学相と対話を十分に行ったのでしょうか。大変疑問です。すべては国民の窺い知れない闇の中で進行していったという印象を拭いきれません。教育も外交も国家の未来に関わる大切な問題です。うやむやな言葉や曖昧な論理で、ないがしろにしないで下さい。きちんと国民に向き合い、ここにいるこの私にも向き合い、ものを言って下さい。世間の風評に同調し支持者の歓心を買おうとするだけの、思想も表現も貧しい言葉を使う自分を、国の指導者として恥じて下さい。

 朝鮮学校の生徒たちは、私たちの間違った過去から受け取ることのできたかけがえのない宝物です。そして国交正常化した平和な未来に対して、私たちが責任を持って届けなくてはならない贈り物です。そのことに深く思い至り、私たちは感謝し、未来への責任を必ず果たさなくてはなりません。詩人にとって最も大切である詩という次元、つまり魂と言葉という次元で、除外反対を切に訴えます。

2010年4月21日 (水)

文部科学省へリーフレットの提出と要請を行ってきました

昨日文部科学省を訪れ、リーフレット『朝鮮学校無償化除外反対・言葉を紡ぐ者は訴えます』の提Image506 出と除外反対の要請を無事行ってきました。執筆者24名の代表として野樹かずみさんと私、他に今回の要請を支援してれた方々を加え計6名での要請となりました。

とにかく慣れないことばかりで大変疲れましたが、文科省の専門官の方には忙しい中半時間も時間を割いていただきました。話の内容だけでなく、こちらの率直で不勉強な質問や疑問に丁寧に答えてくれた態度には、この問題に取り組む現場の人々の誠実さを感じました。それは、今回の問題に対する文科省の立場がなお一貫していることの証だと思っています。いずれにしても会って話す、訴える、耳を傾けるということは大切なんですね。このリーフレットも読んでいただくように、執筆者についての説明も加えながら、十分お願いしておきました。

この要請は詩人たちの力だけでは恐らく実現できませんでした。じつは、詩人たちの行動に共鳴してくれた若い社民党の方々に大変お世話になったのです。日数も少なかったのに文科省と交渉し要請を実現して下さった社民党の佐藤大さん、市来ばん子さん、森原秀樹さんには本当に感謝しています。この問題に果敢に向き合いつづける若き政治家の存在に私たちは大いに励まされ、また希望を抱くことが出来ました。

関係者の方々にはまた別途ご報告いたしますが、とにかく国会議事堂さえも初めて見た私です。どんなに緊張し興奮していたかはお察し下さい。横断歩道を渡りながら、いいアングルを写そうと急いで携帯を取り出しました。ふと先日引用した金時鐘さんの「木蓮」の一節を思い出しながら。「過ぎた時代を思えば/永田町を立ち込めたのも/催涙弾のガスだった。/ひたすら時代を蒸発させて/ついに国会議事堂を怪鳥が飛び立ったのだ」。そう、この「オブジェ」にはやはり「怪鳥」がふさわしい気がします。しかしそれは、今どこにいるのでしょうか。時代の闇から目覚め、再生する火の鳥は。それともそれはもうこの「中心」を卵のように抱き、みえない炎の羽で包んでいるのでしょうか。

2010年4月17日 (土)

朝鮮学校無償化除外に反対するリーフレットが出来ました

リーフレットが出来ました。Image503

「朝鮮学校無償化除外反対──言葉を紡ぐ者は訴えます」

詩人(歌人も含む)24名による文章を集めたものです。

サイズはA4版ヨコで、本文26頁です。

それぞれ考え方や作風をことにする者たちが、ただこの除外に反対するという一点において、結集し、声をあげました。

あとがきを引用します。

「午後十一時編集を了えて

3月初めに河津聖恵さんからメールが来て、高校無償化から朝鮮高級学校を除外する動きに,詩人としてひどく心を痛めておられることを知りました。とりわけ次の言葉が私の胸を打ちました。「日本に生まれ、日本で生きていく在日の方々の尊厳のために、あるいはそこに映し出される日本人の尊厳のためにも、ぜひお力をお貸し下さい」 私はすぐに返事を出し、いくつかの具体的な提案をしました。それで実現したのが、詩人たち有志で発表した3月7日の緊急アピールです。神戸で開かれたその集まりでは、京都朝鮮高級学校から朝鮮大学校に進まれた詩人の金里博さんが、御自身の生い立ちを含めて在日を生きることの労苦を熱い語調で語り、大きな感銘を与えました。その後、高級学校は当面無償化から除外し、第三機関を設置して教育内容を検証するという政府方針が決まり、次の行動が必要になりました。富哲世さんからの提案で、リーフレットを作成して詩人たちがそれぞれ自分の言葉でこの問題を語り、広く世論に訴えて行こうということになったのが3月14日、神戸のスペイン料理店カルメンにおいてでした。原稿の締め切りを3月25日にしましたが、予想を上回る24名の方々からメッセージが寄せられ、今日ここに一応の完成を見た次第です。ここにはそれぞれに力点を異にした問題意識と個性に応じた表現があります。しかし共通していることは、日本政府の取ろうとしている措置が民族差別を呼び覚まし、在日の若者や子どもたちを傷つけ、日本が目指しているはずの成熟した共生社会の構築に逆行することへの強い危惧です。私たち言葉に携わる者は、今の社会におこなわれている様々な言動・言説・言論に深い関心を抱いています。それが他者への想像力に裏打ちされたまっとうな日本語であることを願い、そうした思いを一人でも多くの人々に届けるべく、このささやかな冊子を世に送ることにします。                                                            

                                      寺岡良信2010年4月5日」
一部500円となっています。

ご希望の方は事務局(lavalsecar@yahoo.co.jp)まで、送り先を明記の上ご連絡下さい。

2010年4月15日 (木)

ふたつの感想と『さらされるものとさらすものと』

このブログでも紹介したように、さる4月2日、私は近鉄八木駅前で行われた「高校授業料無償化の対象から朝鮮高級学校を除外することに反対する市民の集い」で発言させてもらいました。その時集会に参加してくれた60代の在日朝鮮人の女性の方から、次のような感想がありました。

「差別に慣れてはいけないと、日本の人たちの姿を見て思った。眠っていたものが呼び覚まされた感じだ」。

この感想を読んで、私は胸が痛みました。
ただ、励まされた、勇気づけられたというのではないからです。

この方は、差別されながらも、日本社会のせいにするのではなく、怒れる自分を、自分自身の中に深く押し込めながら、過酷な宿命と折り合いをつけてきたのでしょう。

「差別に慣れてはいけない」。「眠っていたものが呼び覚まされた」。

差別されている人が、諦めようとしていた自分自身を叱咤するこの言葉は、私につらく響きました。

また、別の在日の方からは、3月7日に出した詩人たち有志の緊急アピールに対して感想をもらいました。とりあえずの除外が決まった3月下旬にいただいた手紙の一部です。

「この度詩人達有志の緊急アピール文を発表し、又今後の方向性を話し合う貴重な場を設けてくださった事を知り、私達は非常に大きな勇気と力を得ることができました。今回衆議院審議の残念な結果に接し、日本政府に対する憤りを覚える反面、私達の力の無さを切実に感じました。」

「私達の力の無さを切実に感じました」と、なぜこの人が言わなくてはならないのでしょうか。まるで自分を責めるかのように。力の無さなんて、あたりまえです。日本社会が力を与えないのですから。
 
 今金時鐘さんの『さらされるものとさらすものを』を読み返しています。1975年の本ですが、集会の感想をいただいた方々の心情は、この時点での(そして今もなおそうであるはずの)時鐘さんの心情と、決して遠くはないはずです。

「つまり、在日朝鮮人の集団の中にも、朝鮮を創造するという意欲が相対的に減衰している。もしくは、いかにすれば朝鮮人でありうるか、ありうる朝鮮人とは自己にとってなんであるか、そういう問いかけがなくなっている。だから、総体的な古ぼけた朝鮮、感性的な朝鮮もしくは心情的な朝鮮でしかない。こういう中で、私たちは日本人にだけ正当論をふりかざしていく。──こういうことを、朝鮮人のもつ正当さ故に、見逃しているとしたら、それこそ没倫理というほかありません。「在日」を生きる自己が、すでに一つの「朝鮮」であることを自覚し、少なくとも「在日」世代の負い目を日本での生活のせいにしない意志力こそ、必要です。」(「朝鮮人の人間としての復元」)

 私もまた一日本人であるならば、かりにも日本人である自分について、朝鮮人との関係性において、かれらの言葉を鏡として内省してみなくてはならないと思います。それが言葉をも魂をも、より深く人間的なものに近づけるはずですから。

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