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2010年8月

2010年8月31日 (火)

誰もが誇りを持てません

今、「国家」(を標榜するもの)に怒りをおぼえています。
自分なりにまっとうな怒りだと思っています。

今日8月末日は
文科省が私たちに約束した
朝鮮学校の無償化除外問題に対して結論を出す期日でした。
しかし
専門家会議の報告書は公表され
同省の政務三役はすでに朝鮮学校への適用方針を固めたものの
「民主党や政府内に異論があることから、教育問題を担当する民主党の部門会議などにはかって意見を聞いた上で、最終判断する方針だ」(朝日新聞)
と結論は先送りにされました。

明日から新学期です。
生徒たちはまだ酷暑の中
ふたたびハッキョへの坂をのぼっていくことでしょう。
私たちの「国家」が与えた落胆を
深くおし隠し。

政府には拉致問題を理由に
文科省がすでに認めている無償化から同校をどうしても除外したい
勢力が存在するようです。
その人たちは
同校が政治的な教育を行っていると言うそうですが
文科省の当初からの方針に対し
拉致だの経済制裁だのと
政治の側から介入しつづけているのは
その人たちの方です。

その言い分はあまりにも浅薄で
文化や教育に携わる者(もちろんまっとうに生きる誰もがそこに含まれます)は呆れこそすれ
承認することなど決してできません。
どんなに語気をつよめて反論してもそれは
文化や教育に対する侮辱です。

その人たちは
日本の国家を代表しているつもりなのでしょうが
政治だけが国家ではないはずです。
文化も教育も外交も
いえそれらこそが国家のいわば「たましい」です。
政治がみずからの権力を絶対であるとはきちがえて
「たましい」をおしつぶしてはいけない。
浅薄な言説だけで日本を代表する錯覚に陶酔してはいけない。
そんな語気だけつよいこじつけの中に
日本は存在していない。

朝鮮学校の無償化を政争の具になど決してしてはなりません。

2月から
在日朝鮮人も日本人も
どれほど多くの人が身も心も削りながら努力し
文科省に足を運び署名を集め訴えてきたか。
それは
朝鮮学校生のためであるのはもちろんのこと
この日本への思いからなのです。

私たちが想う日本とは
政治がおのれの権力を絶対視してしまい
道をあやまった
かつての独善的な近代国家としての日本ではありません。
もはや共に生きざるをえないアジアの中で
朝鮮とも理解しあいたすけあう方途を模索する誠実な日本、
文化や技術を伝えあったかつての和の心と知的好奇心のDNAを
ふたたび目覚めさせる勇気ある日本です。

未来と過去の双方へ同時に向かう
繊細さと複雑さと真摯さをかねそなえた日本、
ゆたかな自然への感受性をとりもどした生命力あふれる人々が
たすけあい、笑いあい、考えあい、対話をしあい
一人一人が自分と自分の国に誇りを持って生きる日本。

他者を排除することにやっきになる国などには
誰もが誇りを持てません。
そして、否定的な感情でまとまる国家には
必ず悲惨な結末が訪れたではありませんか。

2010年8月29日 (日)

「詩と思想」9月号

「詩と思想」9月号の特集は「日韓環境詩・李箱生誕100年」。Image819
私も、以前ブログでも少し触れた、リンギスの「汝の敵を愛せ」から触発を受けた詩を書いています。

黒い光
                        河津聖恵

遥かから黒い光に包まれ
あなたは公園の片隅にやってくる。
(異様な陰翳として輝いているのに
 気づいているのは私だけだ)
まだ冬物をはおり帽子の下にちぢれ髪を垂らし
日陰でふうとキャリーバッグに腰をおろす。
光の黒さが増し 鳥が騒ぎ 木々がざわめく。
ふいに砂袋のような不穏な重みをむきだしに
前にのめりかけ、目を伏せた。
(黒い光が燃えだしたのに誰も気づかない)
遠目にはいとおしそうに
何かを抱え込んでいるようだ。
赤ん坊を愛撫するかのようだ。
しかしそれは誰も知らない鋭い痛みである。
(イキモノの救難の波動が緑にひりひり伝わる)
耐えることだけが残されている。
つよい痛みから黒い光は生まれつづける。
(声を掛ければ、秘密を悟られまいと
 下を向きただ首を振るはずだ)

あなたはみずからの黒い光にちりちり焼かれていく。
胸を抑える指に不似合な指輪が光る。
ことごとく赤茶けた土が食い込んでいる爪。
罪をいかに隠してもそれが証である。
夜ごと薄い夢の地面にわれしらず穴を掘るのだ。
(冷たいその土の感触を私も知っている)
埋められているモノを恐れながら
夢の中で求愛のごとく掘らずにいられない。
やがて見えてくる底には
ソファや薄型テレビやハイヒールや手作りパンの
原形をとどめかねた化石が
死ねない苦しみに永遠に喘いでいるだろう。
狂ったミミズとなって這い回るのは
あの一瞬夫が投げつけた暴言。
怒ったあなたが振り下ろした花瓶は
朝の玄関に飾られていた無傷の姿のまま。
そして美しい白磁にふさわしい
庭から切ってきたばかりの紫陽花の青い沈黙・・・

やがて動かなくなった大きな体から
黒い光が激しくほとばしり出る。
最後にあなたに顕れた
愛と痛みの核融合、生そのもののエネルギー 
声を奪われ立ちつくす私は まるで感動のように
自分の胸に閃く小さな点滅を抱きしめている。

きいてないよ

「集団的自衛権の行使を許し、武器輸出三原則を見直す」ための

「安保防衛懇」の報告書なるものが
首相に出されたそうです。
今日、新聞記事を読んで大変おどろきました。

この国は
いつしかもう勝手に
戦争の方向へ舵取りをされていたんですね。
しかしもちろん、
きいてないよ!とつよくいいたいです。

いくらなんでも
前提にある情勢認識や国際感覚は
時代遅れでひどすぎます。

この「懇親会」はいつ出来たのでしょうか。
ますますきいてないよ!です。

あなたたちはいつの時代を生きているの?
戦争や核へのおぞましい執着にはふるえさえくる。
アジアとはこれから経済や資源や技術や文化において
より一層つよい関係を築いていかなくてはならないはず。
それは「仮想敵国」である北朝鮮に対してだって同じ。

顔のみえないひとびとよ、
なにを企んでいるの? 
あなたたちの暗い願いは一体なに?

武器を輸出するなんて、ぜったいだめ。
血の匂いに染まったお金をこの国土に入れてほしくない。
それでゆたかになったとしても
きっと
この国にわずかに残されていた
神聖なオーラはかならず失われていく。
神様も天使もほんとうにいなくなる。
私たちの国はただ陰鬱な人間たちの流刑地として
静かにほろびていくでしょう。

2010年8月27日 (金)

8月27日しんぶん赤旗「詩壇」

Image818_2 朝鮮学校無償化除外に反対して  

                    柴田三吉・詩人

〈私たち詩人・歌人七十九名は、朝鮮高級学校を無償化の対象から除外することに反対します。反対の意志表明として、文章と作品を掲載したアンソロジーをここに刊行しました(巻頭文より)。
 詩人、河津聖恵氏の呼びかけによって幅広い詩人と歌人が結集し(在日の詩人たちも多数参加している)、作品集『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』は生まれた。河津氏の献身的な労力に敬意を持つとともに、呼びかけにこたえた表現者たちの、この問題に対する真摯な態度にも感銘を受けた。
 朝鮮学校を無償化から除外する、という動き自体が大きな差別を含んだことでもあるが、収録された文章、詩を読んでいくうちに、これは過去から現在に続く、日本人による朝鮮人差別の実態をあらわにしたものだと気づかされる。
 差別とは、人間的な未熟さが集団化して暴力性をおびたもののことであり、その先頭に立って誤った道を敷いてきたのが為政者たちだ。いま私たちは、この国の市民、当事者として、暮らしのあらゆる場所から(表現もそのひとつである)、そうした意識を変えていく努力をすべきだろう。
 また別冊としてつくられた、京都朝鮮中高級学校生の詩文集も胸を打つ。幼いころから心ない仕打ちを受けてきた彼らの、率直な疑間、悲しみから生まれた作品だ。ここでは生徒二人の詩を全行引用しておきたい。
〈キラキラ光る無償化の文字/私たちの心を躍らせた//手を振って去る無償化の文字/私たちの心を凍らせた」(「無題」呂仁珠)
〈私たちにあるものは/悲しくつらい過去である/私たちにないものは/楽しく明るい過去である//私たちにあるものは/ないはずの差別である/私たちにないものは/あるはずの権利である//私たちにあるものは/明るく眩しい未来である/私たちにないものは/暗く進めない未来である〉(「私たちにあるもの」安眠葉)
                                                         

2010年8月25日 (水)

80番目の作品

沖縄の高良勉さんから、
「もう間に合わないから参考までに」と
アンソロジーへの参加作品が送られてきました。
(ブラジルにいらしていて締め切りを逃したそうです、残念!)

既発表のものとのことですが、
この「ザン」のようなおおいなる海のイキモノを忘れているから
本土の人の心は干上がっているのかもしれないな、と思いました。

海は私たちをつないでいる。
沖縄と朝鮮と日本を共に優しく撫でている。
何も言わなくとも海こそは
ほんとうの叡智をつねにたたえているのではないでしょうか。

 ザン(じゅごん)よ
                 高良 勉  

北海道では雪が降り
クリスマスツリーも点灯された
十二月 台風二七号が
ゴーナイ ゴーナイ 島へ 群島へ 近づいて来る 
ガイア(地球)はのたうち 怒っている
五十余年の人生で 経験したことのない
十二月の台風

ザンよ
ピンクの美しい肌をしたじゅごんよ
辺野古岬の沖 長島 平島 のまわりで
珊瑚礁を破壊し おまえや海亀たちを追い散らし
パイプを打ち込み ヤグラを組んで
ボーリング調査を強行し
軍事空港基地を造ろうとした
我欲・金欲の人間どもは あわてて逃げた 

ザンよ やさしい人魚とも
アカングヮイユ(赤ん坊魚)とも呼ばれる
おまえたちは 数々の 伝説と共に生きている
テーブル珊瑚に腰を掛け 赤ん坊を抱いて
乳を飲ませるという人魚
おまえの肉は不老不死の霊薬で
琉球国王 中国皇帝 日本将軍
たちに税納され 献上されたという
でも 彼らはもはや滅亡してしまった
エケ ザン捕らな カメ捕らな

おまえたちは
人間どもに捕らえられ
いじめられ 殺されようとするとき
ピヒューイ ピヒューイ
と親や仲間を呼んで 大津波を起こし
村を全滅 させるそうな
反対にザンを助けた村は 救われ 繁盛したという

ザンよ 辺野古岬のジュゴンよ 今こそ 
ピヒューイ ピヒューイ と怒り 叫べ
母なる海を埋め立て おまえたちを殺そうとする
神も自然も恐れぬ 傲慢で我欲・金欲の人間どもを
台風や大津波で 滅ぼしていい
人間 地球 宇宙 を殺していく
人間どもを許してしまうなら
私も共に滅びていい
ピヒューイ ピヒューイ

詩「遠足」高級部一年 

遠足
                   高級部一年  

道のり険しこの遠足
それでも楽しいこの遠足

だが、
いつも雨、雪、台風、嵐のなか
それでもはしゃぎまわる子供達

こんな遠足
またいきたいって素敵だな
快晴みてみたい
いつになったら晴れるのか…

「大切な大切な私の学校」高級部三年

大切な大切な私の学校
                   高級部三年 

大切な大切な私の学校
一世二世の大きな手で
築きあげてくれた
大切な大切な私の学校

当然のように自分の国の勉強をし
当然のように朝鮮の歌をうたい
当然のようにウリ・マルで会話をし
当然のように学校生活をおくる日々

なのに、どうしていつもいつも
邪魔が入るんだろう
私たちのことをみんなどうして
嫌がるんだろう

高校三年生になった私が
今でも不思議に思うこと
どうして朝鮮学校だけが
除外されるんだろう

大切な大切な私の学校
一世二世達が死に物狂いで
守り、築いてきた
大切な大切な学校

次は私たちが守るんだ

2010年8月24日 (火)

「我らにも平等を」考

「我らにも平等を」というのは当然の叫びです。Image330
生徒たちは多くをのぞんでいるわけではありません。
へだたりなく扱ってほしいと言っているだけです。

私は朝鮮学校を二度ほど見学しました。
ひたむきに真面目に授業を受けている生徒たちの姿は
学ぶことのとうとさを久しぶり私に教えてくれました。
忘れていたオーラでした。
日本の学校では今ほとんど見られない学びの姿勢です。

戦後
失われていた朝鮮語を学ぶために
祖父母たちあるいは一世たちが苦労して一生懸命築いてくれた学校。
その後も父母たちが生活も大変な中で
必死で守ってくれたハッキョ。

朝鮮学校の生徒たちはみな
学校の建物や調度品や壁や廊下や窓のひとつひとつが
オモニやアボジたちの
そのまたオモニやアボジたちの
汗と涙の結晶であることを身の内で知っているのです。

だからそうそう怠けることはできない。
落書きもしない。
居眠りもしない。
それは決して個性の抑圧や集団主義というのではなく
一人一人が感じ尽くし考え尽くした中で
選び取った決意の姿なのです。
朝鮮学校生として生きようという
凜とした個性の発現です。

石川逸子さんが
「本来なら謝罪の心をこめて、何はおいても真っ先に無償化するべきではありませんか。」
と書いていますが、
私も同感です。
その場合「謝罪」というのは過去の歴史についてはもちろん
激しく悩みつつも志高くありつづけようとする
朝鮮学校生のかけがえのない魂の努力に
報いることができない現実についてでもあるのです。

石川逸子「朝鮮高校への無償化除外はあってならないこと」

朝鮮高校への無償化除外はあってならないこと

                                        石川逸子
   今からちょうど百年前、日本は長く文化の恵みを受けてきた隣国の朝鮮を強制併合し、悪逆の限りを尽くしました。土地を奪い、言葉を奪い、名前を奪い、あまたの尊い命を奪いました。百年という節目、その負の歴史を深く考え、悔いるべき年に、あろうことか、高校無償化に当たり、朝鮮高校を除外しようとしているとは!
   当時の朝鮮の実態をつぶさに調査したナサニエル・ベファー(『チャイナプレス』 北京特派員)は、「朝鮮の真相」の中で、朝鮮総督府が日本語の普及を徹底し、朝鮮の歴史書を没収、焼却、「自国の歴史について学んだという犯罪を犯したため、笞刑を受け」ている朝鮮人と語り合ったと記しています。今、在日朝鮮人の子弟が、日本の学校では学べない母国の言葉、ハングル文字、歴史を学ぶのは、当然の権利でありましょう。日本に土地を奪われたゆえに故郷での暮らしが成り立たなくなって渡日せざるを得なかった方たち、あるいは文字通り力づくで連行された方々の三世、四世たちなのです。本来なら謝罪の心をこめて、何はおいても真っ先に無償化するべきではありませんか。
   ナグネ(旅人)、チンダルレ(つつじ)、ムル(水)、ヌン(雪)、サラン(愛)などなど、美しい言葉を子どものときから学ぶ権利にどうしてケチをつけるのでしょう。思えば文字・暦・仏教・紙・墨の製法、陶器の製造、印刷技術、詩文、そう、何から何まで隣国に学んできたというのに。
  そして、南北分断の悲劇は、米ソの対立が直接の原因といえ、日本による「併合」がなければ有り得なかったわけですから、せめて統一に向けて力を尽くすべきところ、一方をやみくもに敵視し、排除するとはとんでもないことです。
  (『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』より)

詩「我らにも平等を」高級部三年

我らにも平等を
                   高級部三年 

私たちは朝鮮学校に通う
個性豊かな民族です

他人同士共に愛し合う
実に真心のある
心優しい民族です

なのに何故
政府は我らを
陥れる差別をするのですか

昔から私たちは
文化を分け合い
助け合ってきたのでは
ありませんか

私たちに何の怨みが
あるのですか
私たちは非常に悲しいです

朝鮮人は日本人と
同じ人間です
人種が違うからって
差別しないで下さい

おそらくこう思うのは
我らも人間だからです
我らにも平等を

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