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2010年9月

2010年9月30日 (木)

四方田犬彦「いつもすでに中上より遅れて」

「現代詩手帖」10月号に『龍神』の書評が掲載されましたので、転載します。「事後性」とは大切な出来事に遅れてしまった、という意識のあり方です。ちょっと「痛い」ところをつかれた気がしました。たしかに私にとって、紀州の自然は、詩を書かずにはいられないほど美しかったのですが、それは、「事後性」、それもまるで「予感」のように鮮やかな「事後性」に、紀州にいる間つねに抱かれていたからにちがいありません。

いつもすでに中上より遅れて──河津聖恵『龍神』   四方田犬彦

 今にして思えば、中上健次の全作品は巨大な事後性Nachtraglichkeitの天蓋のもとにあった。彼は「一番最初の出来事」である兄の縊死自殺をトラウマとして受け止め、それをなんとか補填せんとして書き始めた。だが時間を堰き止められた者は、いつもすでに遅れている。それを回復するには空間の移動に訴えるしかない。彼は謡曲の弱法師を、小栗判官をなぞるかのように、熊野への旅に出かけた。『紀州』という彼のエッセイ集が今なお衝撃力をもっているのは、この事後性への深い自覚ゆえにである。
 今、ひとりの現代詩人がいて、この中上健次の存在そのものを事後性の関数として受け取ったとする。彼女は何をするか。もはや中上どころか、彼が根拠と信じえた新宮の「路地」すらも、痕跡を留めていない。唯一辿ることができるのは、中上が遺した言葉の足跡だけだ。そこで彼女は言語空間の内側で出発する(中上があれほど嫌い抜いた京都から)。その歩みは『紀州』の足跡を辿ることになるだろう。こうして『新鹿』と『龍神』という二冊の詩集が生れ落ちた。
 スカイラインを車で疾走する河津聖恵の言葉はまことに軽やかである。中上の娘の中上紀の小説よりも軽い。しかも饒舌だ。もし中上の『紀州』が『西遊記』の経典めいた漢文であるとすれば、『ドラゴンボール』の軽さだろう。中上が禁忌を前に思わず口ごもり、語りの均衡が崩れるところを、逡巡もせず通過してしまう。なぜかくも軽やかなのか。なぜかくも饒舌なのか。それは事後性という観念に残酷にも操作されているからだ。語れども語れども原初の物語に到達できないという思い。だからもしここで太刀の見切りを誤らないために、河津聖恵は幾重にも方法を練り上げなければならない。
「危ういカーブを曲がるたび目覚める私たちの「うつほ」の未熟は鮮やか」
 これは確かに危ういカーブのような一行だ。「私たち」って誰なんだい。河津だってデリダくらい読んでいるだろうから、一人称複数を不用意に口にすることの危険は十分承知のはずだ。ましてこれは散文ではなく、詩的言語である。とはいえこの言葉に続いて「「うつほ」の未熟」が現われ、それが「鮮やか」と呼ばれてしまうとき、たちまち「私たち」の位置が曖昧になってしまい、はたしてそれが視座であるのかどうかさえ摑めなくなる。文字通りトリッキーな一行だが、問題は「うつほ」だ。河津聖恵は入沢康夫と違って、中上健次の『宇津保物語』論を参照せよなどといった、長々しい註釈などつけなかった。ただ「うつほ」を空虚のまま、根拠のないままに放り出す。ここに書かれようとしていることのすべてが「うつほ」なのだと、彼女はいいたいのか。『龍神』は「私たち」の時代のビリディアナによって執筆された、事後性をめぐる証言である。

2010年9月28日 (火)

中国・広州の生命力

夫が昨日、中国・広州市から帰国しました。Photo_2
仕事で短期間の滞在でしたが、
行く前は尖閣沖事件の影響を心配していました。
しかし行ってみると、
列車の中でも、町中でも
そんな心配をふきとばすような人々の生命力にみちていて
ひたすら圧倒されたそうです。

受け入れ先には熱烈に歓待されたとのことです。
(怒涛のようなカラオケでは声を涸らしたようですが)
そこで感じたのはPhoto_3
日本はとても尊敬されている、ということ。
学問や技術や文化ではやはり日本は素晴らしいと
みな感じていて
それが言葉やふるまいのはしばしで
素朴に表現されるのが分かったそうです。

でも、テレビとかでは日本みたいに、尖閣問題一色だったのでは?
ときいたら
自分が見た範囲ではまったくそれらしき報道はなかった、とのこと。
それよりもテレビショッピングの華やかさが目についたし
ニュースでも中国の誰々がドイツに招かれたというのが
繰り返しトップで流されていたとのこと。
(ヨーロッパにいる姉も尖閣沖事件をほとんど知りませんでした)

もしかしたら日本は
掠られた傷の痛みを肥大化しすぎているのではないでしょうか。
一人一人の生命力が乏しくなって
いらぬ不安や恐怖が醸成されてきているとしたら?
私たちは
今いちど他者の生命力に触発されるためにも
隣国の人々への関心を
みずからかきたて直さなくてはならないのでしょう。

失礼しました・・・

昨日の記事(「「白熱教室」みました」)の中で
「国会にもサンデル先生を」と感想をのべていた国会議員の方がいた
と書きましたが、
その時は誰か分からなくて、あとで人に教えてもらいました。
共産党の宮本たけしさんです。まことに失礼しました。
新聞で写真を見たことはあったので、どこかで見たことがある方だとは思ったのですが。
私は一度会った人の顔もなかなか覚えられないのです。
ご自身のブログにもこの時のことを書かれています。
拝見したら、サンデル教授関係の記事がいっぱいありました。
http://www.miyamoto-net.net/column2/diary/1280197227.html
http://www.miyamoto-net.net/column2/diary/1281781159.html
http://www.miyamoto-net.net/column2/diary/1282641255.html
http://www.miyamoto-net.net/column2/diary/1282808153.html
http://www.miyamoto-net.net/column2/new/1284539748.html

2010年9月27日 (月)

「白熱教室」からおもうこと

昨日の「白熱教室」は
サンデル教授が、見事な采配をふるっていた、という印象でした。
誰かの感想のように
オーケストラの指揮者みたいだった。
壇上を端から端へ歩き回り
会場を見つめながら
恐らく手をあげた聴衆の顔や表情から
「これはリバタリアンっぽいぞ」「この人は共同体主義者だな」
とか直感で判断して指名していたのかも。
とすればやはり指揮者ですね。

ただ四苦八苦して『これからの「正義」の話をしよう』
を読んだ私としては
(その内容もほぼ忘れましたが)
本ではもっと難解で複雑なことが書かれていたし
何よりも繊細な表現が使われていたので
やはりサンデル先生一人の講演自体が聞きたいなと思いました。

ところで今朝の新聞も尖閣沖の衝突事件について
大きく報道されています。
今にいたるまでの事件の経緯が
あまりにもばかばかしいです。
何を言っても耳を貸さない人々が
互いににらみあっているだけ。
「共同体」や「責務」なんて意識の片鱗もみられず
闘争本能でもりあがったり
ちっぽけな誇りや所有欲にしがみついたり。
人間のみにくい部分をますます見せつけられます。

「海外で危険な目にあっている日本人だけを助けるかどうか」
はサンデル的な共同体の議論になる問いかけ。
でも
「海から突き出すその島がおれたちの領土かどうか」
なんて
人間の善きものをすべて破壊するだけの問いかけ。
戦後六十五年かけても
二つの国が
共同体というものについていかに考える努力をしてこなかったのかが
一目瞭然です。
もちろんこれから双方で共同体について議論しあうことは
今からでも遅くないはずです。

「白熱教室」みました

マイケル・サンデル教授の白熱教室、みました。
一時間半でしたが(実際はもっと長時間だったんですよね)
文字通り白熱していて
(あるいは学生の緊張が伝わってきたのかな)
あっという間に過ぎ去りました。

いやー、学生たちは準備おこたりなく、先生の本をしっかり予習してきていましたね。
意見の内容が密度が濃すぎて、ついていけない場面も。

サンデル先生によれば
学生たちの意見からは
1最大多数の最大幸福という功利主義的な考え方と
2一人一人の個人の尊厳と権利を侵してはならないとするカント
3そうではなくてまず共同体の目的としての美徳から考えるアリストテレス
(でしたか)
の三つの視点がちゃんとそろっていたそうです。

日本の戦争責任の問題や
オバマが原爆投下について謝るべきかどうかも
議論されました。

私の意見は、現在の世代が戦争責任を引き受けることはぜったい必要!
なぜなら、そうしなければ、戦争責任を回避してきた過去の世代をのりこえることができないから!
そして、いつまでたっても現在を生きていることの意味が、現在の世代には曖昧だから!

親の恥ずかしいところは、乗り越えてみせるしかない!!

なんて、
きっとテレビを見ている人の多くも
私と同じように、自分も手を挙げている気分になったはず。

しかし実際、サンデル先生に指さされ、きみの名前は?なんてきかれたら、頭真っ白になってしまうでしょうね・・・。

聴衆には国会議員(えーっと誰でしたか)もいて
「サンデル教授に国会に来て授業してほしい」
と言ってました。
たしかに私も
日本の政治家がこういう議論で
どんな発言をするかを見てみたいのですが。

2010年9月26日 (日)

第2回「尹東柱を読む会」(一)

昨日、喫茶美術館で第2回「尹東柱を読む会」が行われました。
第1回目にもまして、東柱の詩について、そして東柱をめぐって詩とは何かについて
熱い意見が交わされました。

第一部講師は、日本キリスト改革派名古屋教会牧師で詩人でもある木下裕也さん。
「尹東柱の詩と信仰」というタイトルで
東柱の詩に、その信仰がどう関わっているのか、
あるいは詩人としての東柱と信仰者としての東柱は
どんな関係にあるのか、をめぐって
丁寧に語っていただきました。
東柱と同じ信仰者の立場からの貴重な考察でした。

韓国の教会は、とりわけ神社参拝が強要された時代
苛酷な試練を強いられたそうです。
しかしその苦難のために、
韓国の教会は、つねに民衆の苦しみに寄り添う存在だったのです。
だから
世界の抑圧されたすべての人々との連帯、
世界平和を志向するものとなったそうです。

そしてキリスト教信仰における原罪意識こそが、
東柱においても普遍性を獲得する根源だったこと。
また聖書には
永遠者、絶対者なる神のまなざしのもとで
あらゆる人間を普遍的に見る目があるということ。
そのことが
東柱の詩を抵抗の詩だけに終わらせず
その詩にキリストの十字架にもとづく赦しと和解のモチーフを与えているということ。
そして東柱にとってそれはもちろん
大きな苦悩や葛藤をくぐり抜けて、到達した境地であること──

つまり、
「序詩」の「天」は「空」ではなくあくまでキリスト教の「天」であり
「すべての死にゆくもの」は
東柱自身を含めたすべての人間を指す、
というのが木下さんの考えです。

ではなぜ東柱は戦時下の日本へ来たのか。
すでに多くの人が危険な目に遭っているのを知っていたはずなのに。
しかもなぜハングルで詩を書いたのか。
それはとても危険なことだったのに。
木下さんは東柱のその謎の行為に
調和を突き抜けた意志を見ます。
それはまるでキリストにならうかのような意志です。

今回
木下さんに語っていただいた東柱の詩と信仰の関係から
みえてきたのは
詩と宗教と政治という
詩人にとって「原点」ともいうべき三つの次元の関わりです。

東柱においては
宗教はキリスト教、政治は民族主義ということでしたが
この二つの内容は様々であれ
すぐれた詩を書きたいと思う者にとって
宗教と政治はつよく意識せざるをえない次元であるはずだ、
と私も思っています。

宗教と政治。
それらは精神と現実という次元の違いはあれ
どちらも
よりよく生きること、より普遍的に人間的に生きることを
根底的に模索するものだと思います。
そして人間がもっとも人間らしくあるように、
という願いにおいては一緒だと思います。

詩はもちろん言葉の美的な次元で
それらと無縁なそぶりで書くこともできるでしょう。
しかしそれでは人の心に届く詩には決してならないのです。
すべてを繊細に鋭敏に突き抜けていく普遍的な詩。
その背後に必ず
宗教と政治についての深い考察があるはずです。

東柱はきっと
詩人でありキリスト教者であり民族を愛する者であったからこそ
戦時下の日本へやって来て、ハングルで詩を書いた。
つまり、そのような意志を持ちえたのです。

吉野弘「生命は」

一昨日の詩「友だち」の、エピグラフに使ったのは、吉野弘の「生命は」の一節。

この作品では、
「他者」という言葉が、本当に美しく響き、際だっています。

他者と他者がむすばれ、ほどけ、またむすばれする
生命のつながりの予感にみちあふれた詩空間がすてきです。
詩はこんなふうにゆたかな空間になることが出来るんですね。

昨年みた『空気人形』という映画の中で
この詩を、人形役の韓国の女優が朗読していました。
生命を持ち始めて動き出した人形が
孤独の中でいのちのつながりを感じて語り出したのでした。
人形の朗読が舌足らずでカタコトの日本語だっただけに
「イノチ」や「タシャ」や「ケツジョ」や「セカイ」
といった観念語によるメッセージは
ストレートな光となって私の中へ入ってきました。

こういう詩が今こそ、もっと読まれ、また書かれてほしいです。

生命は
                                      吉野弘
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命はすべて
そのなかに欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない

2010年9月25日 (土)

マイケル・サンデル「白熱教室」

本日の京都新聞に、共同通信の配信で『これからの「正義」の話をしよう』の著者、政治哲学者のマイケル・サンデルのインタビュー記事がありました。

「なぜ、私の本がそんなに売れるのか。正義とか、倫理とか。人々が共有する『善』という価値観などにかかわる大きな問いに対し、日々直面する具体的な二者択一の難問に即して、自分自身で考えるよう読者に求めているからではないだろうか。『良き生活』とは何かというような、モラルに関する大きな問いかけに取り組んでみたいという強い欲求が(日本社会に)あるような気がする」

この記事によれば、東大での講義の模様は、10月3日と10日にNHK教育テレビで放送されるとのことです。

一方、NHKのHPによれば、明日26日も以下のような番組があるようです。

ETV特集「ハーバード白熱教室@東京大学 日本で正義の話をしよう」
チャンネル :教育/デジタル教育1
放送日 :2010年 9月26日(日)
放送時間 :午後10:00~午後11:30(90分)
内容:「ハーバード白熱教室」が日本で実現。アメリカの名門ハーバード大学で、履修学生数の記録を更新し続けるマイケル・サンデル教授が、東京大学で特別講義を行った。「イチローの年俸は、日本の教師の平均所得の400倍、オバマ大統領の42倍。これはフェアか?」。サンデル教授は、東大生や視聴者から選ばれた1000人の参加者に向け、正解のない難問を投げかけていく。本家・ハーバード大学を上回るほど白熱した講義を伝える。

2010年9月24日 (金)

詩「友だち」

*許玉汝さんの詩への返歌として

友だち
            ぐ近くまで
            虻の姿をした他者が
            光をまとって飛んできている(吉野弘「生命は」)

                                  河津聖恵

あなたはいつから
私を呼んでいたのだろう

風は花粉の匂いをたしかに運んでいた
海は遠くで輝きをましつづけていた
私は呼ばれていたのか
それとも 私が呼んでいたのか 
蕾のように長い時をかけ
お互いにむかってうごきつづけていた
「欠如」がたしかにあったのだ 

あの日 ためらいをすて
ハッキョへの坂をのぼろうと決めたとき
雪解け水のような春の光が
きらきら鳥のさえずりを映し
坂をのぼる私にふりそそいだ とき
過去からおりてくるオンニたちや
未来へとのぼるヨドンセンたち
の息づかいと心の高なりが
ゆっくり胸にかさなってきた  とき

透明な空気のふくらみのように もう
あなたは共にいてくれたのだ 

それとも もっと、もっとはるかな時に?

三月のいつだったか
当面の除外が決定されて間もない 
眩暈のような永遠の日
私は一人だったのに
もうひとりではなかった
右手には
遠い南のくにの「思いやりの学校」の
クリアファイル百枚がずしりと重く
(その日 この国の品はどれも
 生徒たちへの贈り物にはふさわしくないニセモノだった)
かざした左手にも 光はけっして軽くなかったけれど
つらいまぶしさは 
もう ひとりではない 不思議な予感だった
クリアファイルに描かれた
ゴミ山で生きる子どもたちのクレヨン画
花や虫や果実やひとの笑顔
その未来の重みが掌を明るませ
子どものような勇気が
身の内にしずかに湧いた
風のような何かに 背中を押された
やがて誰もいない校庭の方から
頬はかすかなざわめきにくすぐられて

「朝鮮学校無償化除外反対!」
この国でそう声にすることは 
かぎりない孤独と不信と
熱い連帯のはざまで引き裂かれることを意味すると
初めて知ったのだけれど

真実の痛みが降りてきたからこそ
ほんものの出会いが熱くたちのぼってきた

あらたな透明な時が とくとく空へ飽和して 

初めて会う約束の刻 鶴橋駅で
まっすぐ前へはりつめていたまなざしを忘れない
遥かな時の中から
あなたは私を見つけてくれた
遥かな時を経て
私はあなたを見つめはじめた
花と虻のように 虻と花のように 
かつてはぐれたほんとうの友だちとして

2010年9月23日 (木)

朝鮮学校は他者を知る大切な現場

先日、文芸同の会合に出た翌日18日に
大阪朝鮮第四初級学校を見学させていただきました。
入口の自販機の前で、
校長先生が汗だくになって、空き缶潰しをしていました。
同行していた野樹さんはそれ見て
「いっぺんにImage853その学校を好きになった」そうです。

うーん、私もその若い男の校長先生の
笑顔好きだなって思った。そして同時に学校の財政の深刻さがしのばれました。

この学校では先生も子どもたちも親たちも、
みんなが挨拶してくれます。
校舎は古いけれど
この学校には「みんなと共に生きていく」という笑顔がみちている。
そして色がみちています。
トイレの前にも朝鮮のきれいな布がかけられてあったり
教室に入れば教材や壁の絵や民族衣装の鮮やかな色が
こちらの目を覚まさせてくれます。Image844_2

授業風景も見せていただきました。
算数や図工などの授業です。
本当に安い給料でがんばっている若い先生方の熱意が
少人数の子どもたちの魂にダイレクトに入っていくのが
後ろから見ていてもよく分かりました。

本日の朝日新聞の記事末尾にある、山田という准教授のコメントはまったく間違っています。
「朝鮮学校の卒業生は、特定の政治的な立場を教えこまれており、日本社会で生きていきにくい」
特定の政治的立場とは、
一見金正日体制のことを意味するようにも思えます。
しかし何度となく見学した朝鮮学校の授業で
私はそのような体制礼賛など見たことはありません。
恐らくこの「政治的立場」という言葉の真意は
朝鮮人の立場から近現代史を教えていること、そのことをこそ指すでしょう。
この国の臆病な人々にとっては
それは大変不都合らしいのです。
朝鮮人が植民地主義の暴力をいまだ糾弾していることが。Image841_2
朝鮮学校がこの国の暴力的な歴史の証人であることが。
「その人たち」は真実と向き合う勇気がないので
朝鮮学校を反日と短く切って捨てるわけですが、
しかし真実と向き合えない者こそが
正確な意味で反日ではないでしょうか?

またコメントで
「日本社会で生きにくい」とありますが 
歴史についての真実を認めず
朝鮮人が生きにくい社会にしているのはこの国の政府ですよね?
そしてもちろん
朝鮮人が生きにくい社会は日本人も生きにくいのです。

朝鮮学校での民族・母国語・歴史教育は
朝鮮人にとって心の柱です。
誰もが生きにくい日本社会のただなかで
朝鮮人が生きていくためには
けっして失うことはできない故郷ともいえるものです。Image857_2
(『アンソロジー』の許玉汝さんの作品を読んで下さい)

そして日本人にとっても朝鮮学校は他者を知る大切な現場です。
私たちが日本人として誇りを持って生きるとはいかなることかを
逆照射してくれる貴重な鏡なのです。
私たちはそのような朝鮮学校を
この社会の歪んだ側面を反映する一独裁者の意向から
護らなくてはなりません。

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