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2010年10月

2010年10月31日 (日)

『社会評論』163号「BOOK WATCH」

『社会評論』163号「BOOK WATCH」に『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』の書評Image973_2 が掲載されました。

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 本詩集は、今年の七月に、詩人の河津聖恵さんが呼びかけ人となり、刊行された。四月の朝鮮学校の排除決定から三か月が経過し、この問題を風化させず、解決をさらに後押しすべく、「言葉の暴力と差別意識を乗り越えた真の共同性を求めて」在日朝鮮人、日本人合わせて七九名の「うたびと」たちがこの呼びかけに応えた。
 詩・短歌に込められた思いはさまざまだ。日本社会の朝鮮民族への差別と対峙するとき、拠り所となるウリハッキョへの親愛の気持。そして強制連行、炭坑・鉄道敷設現場などでの過酷な労働、広島・長崎での被爆、家を借りられない、就職でも差別があるなど、戦後も変わらない差別構造への怒り。あらためて、今回の問題が単発的に発生した問題ではなく、「戦後」一貫して続いてきた日本国家による在日朝鮮人への差別の最新の形態なのだと思った。
 いくつか内容を紹介したい。
 朝鮮学校無償化排除に反対するチラシを撒いているとき、「大丈夫です」と言って受け取らなかった若者のあり様を問う詩(「大丈夫です」上野都)。その心の背景にあるものは、なんであるか。一言で過去とも未来とも決別してしまう、「大丈夫です」。その一言に、作者はこの問題の本質の一面を見抜く。
 「『拉致』という言葉は、もはや差別肯定の口実となりました。」(「差別の先にあるもの」金敬淑)という指摘は、大臣・地方自治体の長みずからが差別を先導し、それを黙認する日本社会の病を鋭く指摘している。
 この詩集には、「公然」の差別を許す日本社会を変えよう、という思いが込められている。

                                    (廣野茅乃)              

訃報

訃報です。
3月に、広島朝鮮学校でお会いしてお話を伺った呂相豪(リョ・サンホ)さんがお亡くなりになりました。
あの日、病を押して学校まで出来て下さり、学校の歴史や移転の経緯、入市被爆のことなど、初めて会った私たちに、本当にたくさんのことを語ってくれたのでした。
広島という被爆地で朝鮮人が何重にも苦労したか、その壮絶な経験や光景が私の胸に突き刺さりました。
苦労の多かった生涯の果てに、無償化の実現をどんなに願っていられたかと思うと、心が痛みます。
謹んでご冥福をお祈りします。

2010年10月30日 (土)

大門正克「あらためて問われる歴史家」

『歴史学研究』の月報に掲載された、日本近現代史学者である大門正克さんの論考です。同誌を編集するのは、日本を代表する歴史研究の学術団体である「歴史学研究会」。同会が2010年度大会総会で決議した「朝鮮学校を『高校無償化』措置から除外する日本政府に対する抗議声明」も、会告として本体に掲載されています。こちらも本ブログで近日中に再録したいと思います。この問題が「すぐれて歴史認識の問題である」という大門さんの言葉は、歴史家だけでなく、この国の今を生きるすべての人々が考え抜くべき問いかけではないでしょうか。

あらためて問われる歴史家
                   ──二〇一〇年「朝鮮学校無償化除外問題」を考える
                                                           大門正克

 「韓国併合百年」に当たる二〇一〇年、東京では、八月に国際シンポジウム「『韓国併合』百年を問う」が開かれ、私も報告者の一人として参加した。報告とシンポジウムのなかで私の頭を離れなかったのは、朝鮮学校無償化除外問題だった。
 二〇〇九年末、中井拉致担当相は、政治的な拉致問題を理由に、二〇一〇年度予算から朝鮮学校の無償化除外を求めた。政治家の声高な発言や一部マスコミのセンセーショナルな報道、ネット上の誹謗中傷と、それに抗する無償化除外反対の声が高まるなか、日本政府は、二〇一〇年四月に朝鮮学校を対象から除外して「高校無償化法」を施行し、朝鮮学校無償化の問題については文部科学省内に設置する専門家会議で検証するとした。
 戦後の日本における朝鮮学校の歩みは、占領と日本政府の政治判断に翻弄され、強権的な規制にさらされた歴史にほかならなかった。現存する朝鮮学校は、その後の再建や自主運営、地域の人びとの協力などによって歩みを刻んできた。
 私には、戦後の朝鮮学校の歴史と今回の朝鮮学校無償化除外問題が二重映しに見える。焦点は二つある。容易に払拭されない植民地意識の継続と、子どもの権利に関する認識の乏しさである。
 先のシンポジウムでくり返し議論になったのは、植民地意識の継続の問題だった。たとえば無償化問題でも、ネット上では、「日本人拉致を正当化」、「日本国籍を取得せよ」といった、ナショナルな意識の発露をともなう非難が繰り広げられている。これをどう考えればいいのだろうか。
 この背後には、グローバリゼーションや新自由主義による競争と焦燥感があり。そのことがナショナルな意識を強めている面があるだろう。植民地意識の継続にかかわり、私はシンポジウムで戦後史認識の問題点を報告した。日本の戦後史認識では、総力戦からアメリカ中心の占領へ至る過程が中心になっており、大東亜共栄圏の膨張・崩壊から東アジアの冷戦とアメリカ支配へ至る過程の位置づけが欠如している。この欠如は植民地意識の継続と大きくかかわっており、朝鮮学校無償化除外問題の歴史的な背景もここにある。朝鮮学校の歴史とかかわらせて戦後史をとらえ直すことが、朝鮮学校無償化除外問題の歴史的位置を明瞭にするうえで不可欠だと私は考えている。
 日本政府は、一九九四年にすべての子どもの教育機会と少数者の子どもの権利を保障した子どもの権利条約を批准した。にもかかわらず、朝鮮学校無償化除外問題では条約の誠実な履行を前提にした議論にならない。この背景にも、植民地意識の継続があり、そのことがもっとも弱い存在である子どもに矛盾を背負わせることになっている。現在の日本政府には、朝鮮学校と生徒に対する過去の対応を真剣に反省し、過ちをくりかえさない英断が求められている。
 再びその対応を問われているのは日本政府だけではない。歴史家も問われているのである。
 二〇一〇年は、朝鮮学校無償化除外問題と韓国併合百年が重なることで象徴的な年になった。戦前以来の植民地支配の問題が現在も根強く存在することがあらためてよく見えてきたからである。朝鮮学校無償化除外問題は、単なるニュースの一齣ではなく、すぐれて歴史認識の問題である。戦後の朝鮮学校の歩みや、この問題に対する日本政府と日本社会の反応をふまえ、一人ひとりの歴史家は、日本の近現代の歴史や日本の戦後をどう認識するのか、あるいはさらに前近代以来の東アジアのなかの日本の歴史をどのように考えるのか、以上のことをあらためて問うているのが二〇一〇年の朝鮮学校無償化除外問題なのである。
 歴史研究は過去を尋ねる学問であるが、いつの時代の歴史家も現在という地点から過去を尋ねる点で共通している。現在がどのような時代であり、どのような歴史意識に支えられて歴史研究をしているのか。このことはすべての歴史家にとって共通の関心事のはずである。朝鮮学校無償化除外問題は、現在の歴史意識にかかわる重要な問題だと私は考えている。
 八月三一日、文部科学省は朝鮮学校への無償化適用問題に関する専門家会議の報告書を発表した。国の支援金が生徒に還元されていることを点検するなどの審査基準を満たせば適用を認めるという案である。その後、民主党は専門家会議の案を了承する方針を固めたとの報道もあるが(『朝日』九月八日)、九月に就任した高木義明新文相がこの問題の「最終的な決断」は「未定」と述べ、大阪府は朝鮮高校の教育内容に注文をつけるなど(同前九月二三日)、先行きは不透明で予断は許さない。
 日本政府は、何よりも少数者を含めたすべての子どもの権利を認め、朝鮮学校の生徒の無償化を早急に決断・実行すべきである。
 翻って歴史家には歴史家の責務をはたすことが求められている。歴史家の責務とは、歴史的な視点に積極的な意味を見出し、事柄を歴史的にとらえて叙述することである。朝鮮学校無償化除外問題はすぐれて歴史認識の問題であることを受けとめ、この問題を日本の戦後史、日本近現代の歴史、さらには前近代以来の東アジアのなかの日本の歴史に位置づけること、このことが一人ひとりの歴史家に求められている。

2010年10月28日 (木)

四方田犬彦「舟」

「三蔵3」に掲載された四方田犬彦さんの「わが煉獄・抄」に感銘を受けました。その第一番Image967目の作品「舟」を転載させて頂きます(以前も書いたように、私はキーボードで打ちながら、指先で詩にふれるのが好きです)。ランボーの「酩酊船」が140年の流浪ののち、この現在という真空にさまよい出てきた気さえします。けれど「船」ではなく「舟」であるのは、なぜなのでしょう。

「わが煉獄・抄」より

                                                四方田犬彦

小さな舟に乗る人たちよ
もうわたしの舟を追ってきてはいけない
わたしは誰もが波跡を残したことのない
あの残酷な海をこれから渡らなくてはいけないのだから
使い馴れた手綱もなく 北に頂く星辰もなく
戯れに善意を振りまく鴎も絶えて近づこうとしない
昏い拡がりに向かわなくてはならないのだから
だからもうこれ以上 沖に出て わたしを追ってはいけない
わたしはこれから一人で進むのだ
吃水低く 汚れた髪を潮水に濡らしながら
海に棲まうさまざまな化生を尻目に
御徴の星が墜ちて残された暗黒のなかへと
誰にも知られることなく 罅割れた龍骨を向けるのだ
心善き人よ ここからはわたしを追ってきてはならない
きみたちは湾岸に戻り もの靜かな水を日がな眺めて暮らすことだ

きみは尋ねる
その危険な海の彼方に何があるのかと
略奪すべき家畜や財宝 奴婢とすべき女たちでも待っているのかと
何もない ただ何十もの夜を乗り越えたすえ
わたしが到着するのは 惨めな岩礁
波に洗われるたびに 岸辺の海草がわずかに揺れる
穴だらけの岩盤 生けるものの姿とてない岸辺
そんな世界の果てになぜ向かうのかと きみは尋ねる
いや 実はそうですらない もはやそこには
岩礁もなければ 海草も波の飛沫さえもないのだ
そこでわたしは待ち続ける
自分の一生と等しい長さの時を
まったく無為のままに 留まり続けるのだ
暗黒の天蓋の下で わたしは何を待つのだろう

だから けっしてわたしを追おうなどと夢見てはならない
きみがいくら声を大にして呼びかけようとも
いかに美しい歌を唱えようとも
わたしはほどなくして
きみの声の聞こえないところに行ってしまう
丸い地球の曲がりの向こう
もはや鴎も波音もない 時間の外側へ出ていってしまう
待つ目的がわかれば 待つことの半分は終わっているというのに
罅割れた龍骨だけを頼りに航行するわたしには
はたして自分が何を待っているのかを 知らされていないのだ

2010年10月27日 (水)

熱い二時間でした

今日は本当に寒い日でしたね。Image965
けれど今夜は熱い二時間をすごしました。

府立文化芸術会館で行われた
京都朝鮮中高級学校の芸術発表会に行ってきました。
生徒さんたちの渾身の演奏と舞踊に
心を揺さぶられました。

民族楽器やチェロやマリンバの演奏(まさに天才!)、民族舞踏、歌唱。
選曲もすばらしかったですが
「半月」や「故郷の海」や「星の光」は
朝鮮学校に関わってから、私も耳にしてきたもので
なつかしい気さえしました。

圧巻はフィナーレの「農楽2010」
京都朝高が誇る吹奏楽部が、
中高級学部そろって熱い演奏をくりひろげたのでした。
民族的な曲なのでしょうが
民族も時代も呑み込むほどの力強さ。
とりわけ打楽器がすごかった。
『アンソロジー』に詩「サムル」を寄せてくれた鄭くんが
チャンゴで大活躍。
先日取材に行った時にきかせてくれた響きが
さらにパワーアップして魂をじかに揺さぶりました。

とにかくみながひとつになって
リズムと音色に全身全霊を溶かし込んでいくのが
スリリングでした。
演奏から伝わるよろこびと思いのつよさが
ほんとうに感動的でした。

朝鮮学校が
日本のどんな学校にも負けないくらい努力していることを
あらためて痛感します。
無償化除外をいまだ唱える人たちは
どうしてこうした発表会や授業を見に来ないのでしょうか。

2010年10月26日 (火)

涙は雪解け水

涙について考えています。

今日初めて出会ったその人は
なぜふいに目の前で涙をこぼしたのか、と。

6月に出会ったひとも、今日出会った彼女も、
うつくしい瞳をみひらいたまま(充血もせず)
みえない潮の必然の高まりのように
なぜふいに涙をこぼしたのだろう。
気がつかない位必然的に。
見とれる位美しく。

朝鮮学校出身の彼女と
朝鮮学校の子どもたちのことを話していました。

ずっと、ずっと
大人になっても、大人になればなるほど
この社会が自分たちを受け入れないという事実を
私たちはくっきりと知らされてくる。

だからあなたの友だちであるそのひとの気持もよく分かるわ。
私も
この国のひととは
どんなに形は親しくなっても
こころはせいぜい三分の一しかひらいてこなかったから。

子どもたちにとってこの無償化除外は
社会の側からの決定的な拒絶を意味するのです。
どんなに傷ついていることか、この国のひとは分からない。
分かろうともしていない。

ずっと、いなくなったほうがいい、と思われてきただけなんて。
子どもたちは、想像を絶するほどつらいでしょう。

けれど彼女が涙を流したのは
別の話に変わってからでした。

固く閉ざされた彼女の心に雪解けをもたらした
日本の友人たちについて語るときでした。

助成金の見直しが決定したら
市長の部屋のまえでハンストをすると言ってくれた議員や
歴史の残酷な事実を前に、まず共に言葉が失われることから出発しようと言ってくれた友人や
十数年現地でフィールドワークしながら
自分がいかに植民地主義の被害者の気持が分からなかったかを知らされたと
絶望感から泣いた歴史学者についてこそ
彼女は涙を流したのです。

無償化除外への怒りからは、それは流されなかったのでした。
その涙はもっととうとかった。
そう、彼女の涙は雪解け水だったから
あんなに美しかった。
昨日書いた熊野の神々の「八角の水精の石」みたいに。

そしてそのこぼれる水を見ることで
私の内側でもさらにあらたな雪解けがはじまりました。

思いがけなくお返事をいただきました。

思いがけなく、お返事をいただきました。

 お便りありがとうございました。
 ご承知のように、高校無償化法は、1979年に日本も批准した国際人権A規約(高等教育無償化の理念)を遅まきながら具体化するもので、国籍を問わずすべての子どもの学ぶ権利を保障することが目的であり、私も以前から取り組んできた課題です。
 にもかかわらず、「北朝鮮の核開発や拉致問題で制裁しているから」とか、「国交がないから朝鮮学校を支援から外せ」などという一部の主張に同調したり、右翼などからの攻撃を恐れて黙り込み、朝鮮学校への適用を先延ばしすることは新たな差別を生み出します。
 こうした差別や排外主義を許すような政治の現状に、私自身政治家の一人として腹立たしさと申しわけない思いで、この半年余り、政府や民主党に抗議したり注文をつけ、当該の人々を激励してきました。それだけに先生方が詩選して頂いた作品を読ませていただいて、自らを奮い立たせた次第です。時間があれば、もう1~2作品を国会の場で紹介したかったのですが、できませんでした。むしろお礼を申し上げるべきは私の方です。
  あと一息、お互いに頑張ってまいりましょう。わざわざのお便り、ありがとうございました。

 又市征治さんの大きく温かな掌に触れた気がしました。
 私たちも無償化をかちとるまで、これからも共にがんばります!
(公人のお立場から書かれたお手紙ですので、紹介させていただきました)

大斎原で朗読会を

Image958 今回も、みなで熊野を少し旅しました。
田辺から中辺路を、熊野本宮大社の旧社地である
大斎原(おおゆのはら)まで車で行きました。

熊野信仰の中心地です。
かつてすべての道はここをめざしました。

私の大好きなトポスで、
もう何度も来ました。
でも昼に来たのは初めて。 Image953
最初来たときは足下もみえない真っ暗な夜でしたが
じつは古代の人々は夜に足を濡らして川を渡って参拝したそう。

もともと熊野本宮のあった場所である大斎原は
熊野川、岩田川、音無川にはさまれた中州です。

1889年の熊野川の大洪水で
社殿など多くのものが失われ
大斎原には何もなくなりました。

本当にここにはもう何もないのですが
何もないことが
とても優しい何かであるとたしかに分かります。

木や草や石のしっとりとした存在感。
気がつけばあちこちで私たちにひそかな合図を送るかのような虫や鳥の声。

熊野はImage950
何もないということこそが何かである、と
じかに身体に伝えてくれるのです。そこがすばらしいのです。
石も葉も樹木も水も、神の座(くら)として
つねにみえない輝きを放っています。

熊野の神々が降りてきたのはこの大斎原のイチイの木だった
という説もあります。
「八角の水精の石」
あるいは「三体の月」の神々。そんな神々はすてきだなあと思う。

ここで一昨年の春 
ひとりの友人が夕闇の中で詩を読みました。Image949_2
声は闇に不思議に反響し
姿の消えかけた彼女の声だけが
ぼうっと白い桜の花の声のように聞こえました。

パワースポットの母胎の内部だから声が響くのでしょうか。

これ以上詩の朗読会にふさわしい場所はないと思います。
私の夢はいつかここで熊野の詩の朗読会をひらき
みえない神々にきいてもらうこと、です。

ふとそんなことをいうと、他のみなが相づちを打ってくれました。じつは本気で考えていますので、よろしく。

それから不思議だったのは、大きな鳥居にあるのが、菊の御紋などではなく、八咫烏だったこと。神武天皇の東征が八咫烏に導かれたという神話からだと思うのですが、在日の詩人にきいたら、三本足の烏は高句麗の時代の象徴とか。熊野と朝鮮の関わりをもっと知りたいです。

2010年10月25日 (月)

10月23日「龍神」朗読会(於・ギャラリー寿苑in田辺)

P9040266 一昨日23日、紀州での朗読会を無事終えました。
会場は昨年と同じギャラリー寿苑でした。
少人数でしたが、温かでとても良い会になったと思います。

私は「龍神」から7篇朗読しました。
それぞれにBGMを付け、パワーポイントで関連画像も映写しました。

前回の「新鹿」の朗読会でも感じましたが
今回もあらためて実感したのは
朗読とは、文字を書き付けた時にあったはずのP9040277_2
詩人としての自分の声に出会うこと、
そして詩にそもそもあった声を蘇生させることではないか、ということです。

どんな文字にも
それを書き付けたときに書き手は喉をうごかしたはず。
文字にはきこえない声が込められているのです。
朗読とは文字に隠っていた声、
つまり詩を書き付けた感動や喜びや怖れの未知なる声を
解き放つことではないでしょうか。

朗読するとき、私にきこえなかった自分の詩の声がきこえる。
書き付けたとき私にたちあらわれた熊野の姿が、初めて蘇る。

まだまだ朗読者として未熟ですが
自分の詩を声にのせる経験をするたびに
文字と声、詩と声の関係の謎に迫っていく気がします。

東京から近藤洋太さんが講演者としてかけつけてくれました。
陋巷の人々を通して「自己欺瞞」という人間の本質について思索しつづけた
田辺ゆかりの市井の哲学者小山俊一さんについて
語っていただきました。
大病を克服した倉田さんも元気に加わって、コメントしてくれました。

京都からは竹村くんたちも来てくれ、撮影をしてくれました。
昨年の朗読会でも協力してくれた方々も
ふたたび快くお力を貸して下さいました。
みなさんには本当に感謝しています。

二次会は会場近くの焼き肉屋さん。
じつはここ、先月朝鮮大学の座談会で
たまたま目の前に座った女子生徒金さんのご実家なのです。
あのとき「実家が田辺で、日曜日には大阪の朝高に戻らなくてはならないので
ちびまるこちゃんがきらいだ」
といっていたので「えーっ田辺ですか!」
ともりあがりました。その後田辺で有名なお店と分かりました。
今回素敵なアボジとオモニとごきょうだいにまでお会いできて
しみじみ縁というものの不思議を
美味しいお肉と共にかみしめたのでした。

2010年10月21日 (木)

絶対的に問題なのは

残念ながら、まだ朝鮮学校の高校無償化は実現していません。
報道に一喜一憂することになく頑張らなくてはなりません。

今回の除外問題がなぜ大きな危険をはらんでいるのか。
誰しもが分かっているはずです。

絶対的に問題なのは
そこにまず政治的なまなざしが存在した、ということです。

調査や検討に入るまえに
朝鮮学校は始めから一方的に「政治的なまなざし」に晒されたのです。

高校無償化法案は、そもそも朝鮮学校も対象に含めることを想定していました。
その予算分も決定していた段階で
中井前拉致担当相の「政治的なまなざし」が
「朝鮮学校」という文字に
目が止まった。

「朝鮮学校」。
それはまるで獲物のように「政治的なまなざし」によって突き刺されたのです。
そしてそこから
この社会に疑惑と不信とみえない血がとどめようもなく噴出した。

「朝鮮学校無償化除外に知恵をしぼれ」
「暴力団に金を入れるのと同じだ」

それらのかけ声によってさらに血は噴出し
この社会の孤独と分断の様相は染め上げられ
あらわにされていった。

今なお反対する政治家の言説を、かれらのHPなどでごらんになって下さい。
刃のように血走った「政治のまなざし」で
朝鮮学校の首をつかもうと欲望している。

怖ろしいことです。

私が最初から怖れているのは
ことは朝鮮学校にとどまらないというつよい予感です。
自分に無批判的な「政治的なまなざし」は増長し
この社会のすべての異分子に対して向かっていくはずです。
この国のある種の人々に気に入らない
歴史観、宗教観、世界観、人間観のすべてが獲物になるでしょう。
そのまなざしが決して向かわないのはまなざしの主。
それは誰にも止められないモンスターとなっていくのです。

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