2月8日 詩の特別授業第一回in京都朝鮮高級学校
一昨日8日、
京都朝鮮学校で高級部二年のクラスで、詩の特別授業を行いました。
初回のテーマは「詩は投壜通信」。
前半講義で後半実作という配分で進行しました(残念ながら日本語で)。
なかなかきちんと話をきいてもらえた、という感触がありました。
色んな資質の子がまざっている(人数が少ないので二年生は三十人が一クラスです)
高校二年生にいきなり詩の話、というアクロバットな授業でしたが
うまく行った方だったでしょう。
(私は予備校や学習塾で同じ位の年齢の子どもたちに教えた経験がありますが、それと比較しても)
私が考え生徒にも語ったこの授業の目的は次のようです。
「詩だけでなく文章を書くとは、自分を見つめること、そして言葉に向き合うことで、自分を見つめるもう一人を、育てていくことです。
言葉というのは、これまで生きて死んだ人が、無数の思いをこめて残したものが、私たちまで伝わってきたものであり、読書で言葉の山をどんどん築き、固めていくことができる。そこに自分のもやもやした言葉にならない思いをぶつければ、何らかの答えが返ってくるはず。そのこだまをきくように書いていくという作業をしていこう。人の言葉の力は、自分の築いた言葉の山の大きさで、決まる。とりわけ詩の核となる「比喩」は、この山に埋もれるダイヤモンドでしょう。ダイヤモンドを見つけよう。」
今回のテーマ「投壜通信」は次のパウル・ツェランの一節にあるものです。少し難しいですが、皆大体の内容は理解してくれたようです。
「詩は、言葉の一つの現象形態であり、したがってその本質からして対話的である故に、いつかどこかの陸地に、もしかして心の陸地に打ちあげられるかもしれないという、かならずしも希望にみちているとはいえない信念のもとに託された投壜通信といったものなのかもしれません。詩はこうした点でも途上にあります。詩は何かを目指しているのです。」(パウル・ツェラン 「ブレーメン文学賞受賞講演」より)
実作の見本として、「ハッキョへの坂」を朗読しました。
次に技法やその意図などを解説しました。
まさに京都朝鮮学校の生徒達に宛てた詩を、
ご本人たちを目の前に朗読するのですからさすがちょっと気恥ずかしかったです・・。
第一連だけ朝鮮語で朗読したら、
「朝鮮語うまいです~」と後で生徒にヨイショして貰えました。
さて実作。
「~のあなたへ/きみへ」というタイトルで詩を書いて貰いました。
みんなちょっと恥ずかしそうでした(詩って、詩を書かない人には誰にとってもやっぱり恥ずかしいものなんですね・・)。
女子はけっこうすっすっと詩を書いてました。
しかし男子は数人、白紙のまま俯き悩む姿が痛々しかったです(?)。
冒頭の一行「学校からの帰り道・・」で止まったままのサッカー部員に
手取り足取り詩を作る手伝いをしました。
(悩みつつ真剣に取り組む姿が何だか微笑ましかった。)
総じて男子の詩は「おれ」を叱咤激励する詩。女子は「他者」に寄り添おうとする詩が
多いように思えました。
いずれにしても
高校サッカー部男子に、いきなり詩を書いて貰う!
というのはちょっとアクロバットで新鮮な光景でしたね。
けれど忙しい毎日の中でつい忘れがちな
自分を見つめるという習慣がつくきっかけになれば、というのが
ソンセンニムたちがこの授業に期待するところでもあるのです。
(朝鮮学校の生徒は、遠くから通って来る子も多いし、授業にもクラブ活動にも忙しいようです)
最初は「できるかな?」と心配していましたが、
授業の終わりには大部分の生徒が提出してくれました。
まだ添削はしていませんが、ざっと見たところでも
なかなかの力作が散見されます。
これからじっくり読むのが楽しみです。
※写真は2009年12月に初めてこの学校を訪問してクラブ活動を見学した時の
放課後の教室の風景。


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![「パルレシア……」または命がけの比喩という行為──震災以後、詩とは何か: 現代詩手帖 2011年 12月号 [雑誌]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51wZSB50tBL._SL75_.jpg)

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こどもたちがどんな表現をしたのか…
あんま期待したらあかんのやろけど、やっぱきになる。
でも、女の子たちはすっすと書いて男の子は悩んでるってのは分かるよーな。男は俺、で、女子は他者に寄り添うってのも。ああ、こんな年からやはりって淋しいような微笑ましいような。
ツイッターでご報告拝見して、もっと詳しく知りたいなーと思うてたのに、まあ引っ張ること(笑)
でも、詩人に授業受けられるなんて彼らは幸せですね。私らは言葉を通してしか生きていけない。その辺の子供らより、色んな示唆を与えられている。ただでさえ、掘り返された土に居てるんですから。
投稿: 針男 | 2012年2月10日 (金) 01時38分
よい活動をしておられます。
まさか全て한국말で授業をしたのですか?
凄いです。ということは、한국말が わたしより上手なんだ。
わたし言語を勉強したのは、英語だけだから、
わぁ、恥ずかしい。
書く動機にツェランの言葉を取り上げるなんて、素敵です。
にしても、いきなり実作・実習に移るなんて、
大学の文芸学科並みのレベルの高さですね。
彼ら、彼女らには、この先もっと、きっと血で受け止めている部分や、肉が表わしたいことが、
強くあるかもしれませんね。
それが優れた言葉に育つことをお祈りします。
ああ、このような試みが
全国で行われたら素晴らしいことでしょう。
わたしも教えて差し上げることがあったなら、幾らでも奉仕するのに。何も無いです。ㅋㅋㅋ。
周囲に誰か居ないかな?
今、手弁当で講師ができる人が必要な状況ですか?
来月ようやく彼氏と仕事から解放されそうです。
もし河津さんの御都合がよろしければ、お会いしたいです。
ではでは、
投稿: 尹銀河 | 2012年2月10日 (金) 08時12分
遂に授業をされましたか、とても嬉しいです。河津さんの詩の授業を受けれるなんて学生たちにとっては宝の貯金です。
「人の言葉の力は、自分の築いた言葉の山の大きさで決まる…」この言葉
心に染みました。学生たちにとって一生忘れることの無い一日になったことでしょう。コマッスムニダ!有り難う!
投稿: ニョニョ | 2012年2月10日 (金) 10時11分
針男さま
「私らは言葉を通してしか生きていけない。その辺の子供らより、色んな示唆を与えられている。ただでさえ、掘り返された土に居てるんですから。」
この一節には大変触発されました。「言葉を通してしか生きていけない」。言葉とは、歴史の破壊を越え、政治の弾圧をも跳ね返し、物質的な格差をも透過する、もっとも所有されえない、永遠の生命力のある、硬質で透明でしなやかなイキモノなんですね。在日コリアンはそのイキモノと共に、あるいはそれと一体化して生きている。ある意味、それは詩的理想の次元です。「掘り返された土」というのはまさに実感ですね。土の痛みと、しかしそこにはつよい生の匂いもまた。
尹銀河さま
「彼ら、彼女らには、この先もっと、きっと血で受け止めている部分や、肉が表わしたいことが、強くあるかもしれませんね。」
そう、血や肉が見て聞いて感じている、という感覚は、日本人よりも鋭いのではないでしょうか。例えば村上春樹の小説に出てくるような、はかなくすぐ死んでしまう幽霊のような少女は、彼らや彼女らの肌身には合わないと思う。血で共振し、肉が身じろぐ。それはまさに詩人の素質だなあ。
「わたしも教えて差し上げることがあったなら、幾らでも奉仕するのに。何も無いです。」
いえいえ、ユンさんの詩もとりあげたいです。次回はユンドンジュをとりあげたいと思っているので、何か通底する気もしますし。
「今、手弁当で講師ができる人が必要な状況」かどうかは、分からないです。先生も少ないでしょうけれど、子どもも少なくなっているようなので。私も年に数回教えるだけなので。あと、今回はもちろん、私は日本語での授業です。朝鮮語は自分の詩の第一連しか話せません(笑)。
「来月ようやく彼氏と仕事から解放されそうです。もし河津さんの御都合がよろしければ、お会いしたいです。」
パートナー様のご体調が良くなられたんですね。安心しました。お手すきの折に、ぜひぜひご一報下さい。
オンニョさま
何だかいつのまにやら夢が実現してしまいました。オンニョさんのご指導のおかげで「朝鮮語うまい!」と生徒達から大いなる誤解の栄誉に浴しました(笑)。授業はうしろで先生方が見ておられて、好意的に頷いて下さったので、心強かったです。
投稿: 河津聖恵 | 2012年2月10日 (金) 23時47分
[ああ、このような試みが
全国で行われたら素晴らしいことでしょう]
これは、教育全体に言えることで。
実現したら本当に素晴らしいですね。
或る種の「不幸」は創作の動機になるので若ければ若いほど効果がある。ただ心は摩耗しますので。それにしてもこの学校の子供たちは幸福ですよ。
一応、小学3年で「詩」の授業があったけど、詩心のないただの教員でしたからねー。いまでも処女詩は大体覚えてる(笑)たいとるは「春の公園」だったなー。
投稿: 針男 | 2012年2月11日 (土) 03時36分
「詩だけでなく文章を書くとは、自分を見つめること、そして言葉に向き合うことで、自分を見つめるもう一人を育ていくことです。」
この事は本や詩を書く人だけでなく、新聞や雑誌に投稿文章を書く人、文章を書く人全般に当てはまると思います。この文章を読んでこれは僕自身の事でもあると感じました。
僕にとって文章を書く原動力は同化帰化・日本名強要や朝鮮学校無償化除外に対して反対して闘いたい気持ちに基づいてます。 「文章を書くとは闘うことです」。
チェ・ゲバラ(アメリカの中南米帝国主義支配と闘った革命家)にとっても、フランツ・ファノン(フランスのアルジェリア植民地支配と闘った革命家)にとっても「文章を書くとは闘うこと」でした。
「読書で言葉の山をどんどん築き、固めていくことができる。 そこに
自分のモヤモヤした言葉にならない思いをぶつければ、何らかの答えが返ってくるはず。」
僕自身が読書によって、文章の書き方を学んでるので、これも僕自身の事だと感じました。
僕にとってモヤモヤした事とはいつになったら、同化帰化・日本名強要や朝鮮学校無償化除外などの差別政策が是正されて、在日朝鮮人が在日朝鮮人として生きられる社会が実現出来るのかと言う事です。そうした思いを投稿文章を書く事でぶつけてます。その僕の書いた文章に対して読んだ人から、返答が返ってくるのが嬉しいです。
河津さんの詩の特別授業を受けられた朝鮮学校の生徒たちは幸運です。こう言う事が日本全国に拡大したら良いと思います。
投稿: 李淳明 | 2012年2月11日 (土) 13時16分