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2012年4月

2012年4月30日 (月)

4月22日イベント(2)・民族器楽重奏団「ヒャンギ」ファーストコンサート

4月22日午後2時からH2
京都市立堀川音楽高等学校の音楽ホールで
民族器楽重奏団「ヒャンギ」のファーストコンサートが行われました。
詩人の許玉汝さんにお誘いを受け足を運びました。
あいにくの雨でしたが、
会場はほぼ満員御礼で驚きました。
多くは在日コリアンの人々でしたがそれもそのはず、
この「ヒャンギ」(「芳しい香り」という意味)は、
「民族教育の過程で民族楽器に出会い、民族の心を受け継いだ在日3世、4世を中心に結成された京都で初めてとなる朝鮮の民族器楽重奏団」(パンフレット)なのです。期待感は高いはずです。
ちなみに京都朝鮮第三初級学校のクラブ「民族器楽部」がルーツだそうです。

私が朝鮮学校で感動を受ける光景の一つに
民族楽器のクラブで生徒達がすごく真剣に、そして生き生きと
民族楽器を演奏する姿があります。
その時、生徒達にとって楽器はただの道具ではなく
かぎりなくいとおしい生命を持ったものになっているのだと感じるのです。
遥かな故郷である朝鮮の山々から伐り出されてきた木で作られた楽器と
指や唇あるいは体全体が一体化し共鳴する。
そして何百年もの時を生き死にした祖先たちと交感する。
その共鳴と交感のよろこびが
端から見ている私の胸にもじんと伝わってきます。
そして何だか羨ましいという気持にさえなります。
日本人の私には、これまで触れえた民族楽器が殆どないのですから。
(その代わり木や水や風が何か遠く懐かしいものをいつでも奏でてくれますが)

このコンサートのプログラムはH_3
伝統的な曲である「トラジ」や「アリラン」から
「情熱大陸」や「コンドルは飛んでいく」などの現代的な曲まで、
多彩な構成となっていました。
各民族楽器の特徴を活かすように選曲されていたようです。
ソヘグムやカヤグムやコムンゴやチャンセナブなどは
これまでも聴いたことがありましたが、
今回初めて聴いた楽器は「ヤングム」でした。
長方形の共鳴箱の上に鉄線を張り、フェルトをつけたバチで叩いて演奏するものです。
「洋琴」とも「揚琴」とも書くようですが、
ハープともピアノともつかないとてもとてもきれいな音色に感動しました。
このヤングムが独奏した「別れの曲」(朝鮮映画の挿入歌だそうですが、恋愛映画なのでしょうか)が余りにロマンチックで涙が出そうでした。
また今回は京都朝鮮中高級学校の民族管弦楽部も民謡「フェヤンニルリリ」を演奏。
数々の栄冠に輝いたプロ並みの実力派の演奏に唸らせられました。
そしてコンサートのラストは
オリジナル曲の「ヒャンギ」。
その名の通りとても香り高い美しい曲で胸に染み入りました。

民族という存在は私自身の中にはないけれど、
この会場に来ている人々はみな音色に民族の香りを吸い込み、
自分の奥にある民族のいのちを優しく触発されたんですね。
席を立ち出口に向かう人々の表情は
たしかに何か不思議に輝いている気がしました。

民族楽器は素敵です。
時を越えた魂の故郷の音が、今ここに生きる人々の心を励ますという奇跡は
何度目にしても私は胸を打たれるのです。

2012年4月27日 (金)

4月22日のイベント(1):「にじいろクレヨン」報告会

少し前のことになりますがKure 4月22日(日)に参加したイベント二つについて。

午前中は、
昨年夏にもこのブログで記事にした
宮城県石巻を拠点に、仮設住宅の子どもたちのために活動する
NPO法人「にじいろクレヨン」の代表柴田滋紀さんの報告を聴きに行きました。
場所は、京都・二条にある絵本のお店「きんだあらんど」。
「きんだあらんど」は「にじいろクレヨン」に読み聞かせ活動のための絵本を
選択し、定期的に送っています。
出資者は60名ほどいるそうですが、私も昨夏からその一人です。

「にじいろクレヨン」は忍耐強く定期的に
この一年絵本のよみきかせ、一緒に遊び、話をきくという活動を続けてきました。
その成果あって、子供達は当初の孤独と不安から解放されつつあるそうです。

「きんだあらんど」の店長の蓮岡さんによれば
そもそも絵本を読むこととは読む人の全てがそこに受容されることだそうです。
信頼する人(とりわけ親)が絵本を読むことは重要とのことです。
どの子にどの絵本が今必要なのかを見極めるのが
絵本を扱う専門家である「きんだあらんど」の役割です。

柴田さんによれば石巻の仮設住宅の問題点は、
入居が地区ごとではなく先着順だったということ。
だから共同性がいまだなかなか生まれにくいそうです。
時には子どもたちの遊ぶ声を疎ましく思う人もいる。
だから活動の際には近隣の人々を気遣い、話を聞くことも必要になります。
また仮設と被害を免れた周囲の家々とは没交渉になりがちで、
そこも時にはみずから訪れ繋がなくてはならない場合もある。
大変な仕事です。

震災後の子供が描いた
真っ黒な手形だらけの絵には本当に胸が痛みました(親を亡くした子も、当初親とはぐれて心に傷を負った子もいます)。
しかし色と、絵の具に触れることには、大きな癒やしの効果があると柴田さんは言います。次第に絵が明るくなっていったそうです。
もちろん、PTSDはこれから現れる可能性が。
震災後二年経つと自殺が増えてきたという阪神大震災の時のデータを見ても心配だ、と。

この読み聞かせの支援をまずは10年続ける、と柴田さんは言いました。
それから何年はこれこれ、そしてその次は・・と。
目標は「挨拶が出来て、身の回りのことを自分で出来ること」。
そしていつか「何かの役に立てる人間になればいい」と。
みずからも被災者である柴田さんは
真剣に子どもたちと向き合い、子どもたちの未来に対しきちんと責任を背負おうとしていると実感しました。

関西に住んでいると、今ではかなり意識的にならなければ見えなくなりがちの
被災地の現状。
人々の、子どもたちの心。
だからこうしてささやかでも彼の地の支援活動に関わり、
時にはこんな風に現地での活動報告を聞く、ということを続けるだけでも
私にとってもとても大切な経験だと思っています。

ちなみに柴田さんは、5月下旬にこれまでの活動の全記録を執筆した本、
『にじいろクレヨンが描いた軌跡(仮)』を上梓されるとのことです。
今からとても楽しみです。

2012年4月23日 (月)

4月16日付京都新聞新刊評「詩歌の本棚」

4月16日付京都新聞新刊評「詩歌の本棚」

                                     河津聖恵

 吉本隆明氏が亡くなった。訃報の殆どが「評論家」として紹介したが、戦後出発した氏の原点はじつは、詩。『荒地詩集』にも参加した。次は一九六四年に書かれた詩論の中の有名な一節。「詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、かくという行為で口に出すことである。」「ほんとのこと」とは、いわば日常を揺るがす真実のこと。散文でそれを口にすれば世界は凍り、発言者は拒絶される。だが社会から「孤立」し、比喩や象徴という次元で書く詩人は、誰にも邪魔されず(それは多くは「理解されず」をも意味するのだが)「ほんとのこと」を口に出来る。生命の奥からあふれる「自己表出」(言葉以前にある叫びが生み出す表現)の力で、「ほんとのこと」を、言葉の中から輝かせることが出来る。
 
 谷村ヨネ子『水』(洛西書院)は、言葉そのものの感触において「ほんとのこと」のありかを伝える詩集。そもそも詩において「ほんとのこと」を、言葉の外でいかに難解な語句を駆使し主張しても虚しい。この詩集では、日常によって抑圧された「自己表出」の力を、むしろ当の日常の風景や事物を感じ直すことでじっくり解放する。巧みな省略や沈黙によって、論理や物語を幻想の方へ静かに変容させていく。次の作品の「蝋」のイメージは、「ほんとのこと」を言葉の中から燃やそうとする、詩人自身の姿でもあるだろう。
「私は蝋/声を圧し/密度を拡散する//重く軽く/昇りながら/煌めきながら/本当は呻きながら//髪は不揃いに伸びてしまった/マニキュアも塗らず/火の爪//魔女なら/炎をパンに変えるだろうに」(「蝋」全文)
 あるいは次のような神話的な光景も魅惑的だ。
「スウプは美しい夢/皿の海にさざなみ立てる揺籠/深いスプーンを右手に/耳は琥珀色目はつるばみ色の船頭が/こくりこくり居眠りながら/櫂を漕ぎながら/掬うまろやかな塩」(「スウプ」部分)

 薬師川虹一『詩と写真 石佛と語る』(ギャラリー be京都)は、著者自身が撮影した石仏の写真と、各石仏の表情から触発され生まれた詩とのコラボ集の三作目。だがこれまでの二冊とは違う。東日本大震災は、「石仏を撮影することの意味を失わせるような出来事だった」。それは詩の無力さの通感でもあった。試行錯誤の果てに閃いたのは、「自分のなかに居る他者としての自分との会話」という手法。その会話の中から、言葉は石仏の無言に促されるように、言葉自身の虚しさから「ほんとのこと」のずっしりとした重みへ向かっていった。
「言葉は時に/流れ去るがいいのだ/聞きたい声は/消えたのかもしれない/途中で燃え尽きた/ハヤブサのように/言葉も文字も/何かの徴に/すぎないだろう/徴に生きるより/不透明な物に生きるほうが/確かな手応えがある/そう思わないか」(「声が聞きたいのか」部分)

 山中従子『死体と共に』(澪標)もまた、死体という「自分の中の他者」を設定する。薬師川氏の詩集と共に、詩とはじつは、「言葉という他者」との永遠の対話だと気づかされた。
「私は私の死体と並んで/ブランコに座っている/空中に漂っている風が/私の首に巻きついてくる/それは/地球の静脈のようだ/まだ/生きている/地球/永遠に揺れつづける/ブランコ/こうして/ブランコに乗っていると/生からも/死からも/開放されて/あらゆる現象は/揺れるリズムの/別の形/なのだと」(「ブランコ」全文)

 

2012年4月22日 (日)

4月15日放映ETV特集「失われた言葉を探して」(五・終)

辺見さんは昨年末
故郷石巻の高台から、被災の光景をまのあたりにしました。Kurayami

「立体物がちっぽけで、安っぽくみえるよな。構造物もすべて。もともとそうだったことを、あの震災は教えた。構造物だけでなく、言語表現もまた。いや言語表現は特にそうだ。言語表現的なものは暴かれ、放置されたままだが、実際、全体としてはそれに気づいていない。」

このような言葉を待って初めて、
私たちは知るのです。
日本中がテレビを通して繰り返し見せられたあの石巻の光景にAkashi
私たちは本当は何を感受していたのか、
あの光景によって無意識ではどんな真実を認識していたか、
いいかえれば
あのような傷を受けてまで世界は私たちに何を警告していたのか──

しかし
被災の光景を目にしている世間の人々が
その光景が訴える真実に気づくことがないのに対し、
獄中にいる大道寺将司は
3.11後、ことの本質を照らし出すような句を詠みます。

「暗闇の陰翳(いんえい)刻む初螢」

「大道寺はこの一句でおそらく福島県を想ったのではないか。妖しい放射線に汚れた宵闇で、あたかも放射線の波動のように明滅する蛍火を、確定死刑囚の独居房で瞑目して想ったのではないか。誰しもそのような作品を現実と拮抗しないなどと言うことはできない。大道寺将司の想像の射程は、あまりにも長い拘禁生活で短絡させられ狂わされているのではなく、ときに死生のあわいをさまよいながら、死と生の本質にむかって伸びに伸びた。」
(『棺一基』序文)

この一句が与える「痛覚」。
夏の夜、
誰もいない福島の村に一匹の螢がすうっと闇を切って飛ぶ。
放射線に汚れた闇をみずからの生だけで照らし出して。
それでもなお存在する小さな生を
こまかくふるえる振動で証し立てながら。

大道寺は手紙に書いています。
「三菱重工爆破事件と自然災害を同じ次元で語れるものではないが、おのれのなした誤りの深さを突き付けられています。」
犠牲者と被災者が結びつかざるをえないゆえに
ふたたび途方もない罪業をみずから背負ってしまう確定死刑囚。
しかし獄外=世間を見回せば
そのように苦悩に沈む人間は何人いるでしょうか。
世間は悲劇をいつしか都合よく記号化し、
「復興」や「絆」という虚構に回収するだけではないのか。
あんなに人が死んだのに
もはや誰も死ななかったように意識は地ならしされています。
決して大道寺を讃えるのではないのです。
ただ、
彼が新たな二万の死者の苦痛をも日々背負い続ける=証そうとするのに対し、
世間は亡くなった人々の存在を証すどころか
完全に封殺してしまおうとしているのではないでしょうか。

「亡くなった人から見れば、私たちは生き残っている、奇しくも生きている。じたばたしながら、自分を生きよう生きようと証していいのではないか。大道寺が五七五として証そうとするような試みを、どんなにはいずり回ってもやるべきではないか」

今、自分が自分であることを証すことのがいかに難しいか、
と辺見さんは言います。
「自分のことばでそれを証し立てていくしかない」
そう、たとえ無理であっても、じたばたするしかなくても、
生き残った者たちがなすべきことはただ一つ。
今を取り巻く集団的な無意識の力に抗いながら、
一人一人が自分と向き合い、自分を照らし出すこと。
照らし出すためのことばの光をこの真闇の中から摑み出すこと。
そのように自分を証し立てること。
放射能に汚れた世界を
よるべない光の螢のように生き続けるということ。

2012年4月20日 (金)

4月15日放映ETV特集「失われた言葉を探して」(4)

ツイッターでこの番組の感想などを呟くとDede いくつか反応がありました。

ある人は次のように呟いていました。

「生きるということを考察した番組と受けとめました。『思う』ことを放棄した個はどこへ向かうのか。はっとする。自分が生きていることに気づかなくとも過ぎていく日常。明日再放送ですね。もう一度『思って』みます。」

私もまた
この番組は死刑囚と詩人との交流を追ったものでありながら
いやそうだからこそ今「生きること」を深く触発すると思います。

一番感動的だったのは、辺見さんと大道寺将司との「ハイタッチ」のシーン。
(この辺りメモ書きが乱雑で、正確ではありません)

出版が決まって初めての面会の別れ際、Hari
どちらからともなくアクリル板越しに手を合わせた。
喜んではいけないことでしたが、
じっと体の底から湧いてくる喜びにそっと互いに手を出したそうです。

そう、犠牲者を思えば自分のためには喜んではいけない。
しかし久しぶり訪れた真に生きる喜びは心からあふれずにはいられない。

「句集を編むことで、抗がん剤を打つだけの日常とは違うものになる。その結果、亡くなった方々の死がどれだけ無念だったかが分かる。それを彼は自覚している。」

死刑囚大道寺将司は
自分が生きる喜びを感じれば感じるほど
犠牲者の無念な気持を痛感してしまうのです。
生きる喜び⇔犠牲者の無念の自覚
という往復をつねに死刑囚=俳人は行っている、
次の句には散文体ではどんなに言葉を尽くしても伝えきれない謝罪と自責がある、
辺見さんはいいます。

「ででむしやまなうら過(よぎ)る死者の影」

「彼の俳句は苛烈なまでに自分を責めていく。言葉だけでなく根源まで指弾していく。」「簡単に文学とか詩とかいう。だがじつは本当に生身の自分の恥という部分には、体に沈んだ恥のところには、光を当てていないのではないか。思考の向きを自分に向けずに他者に向けて、自分の内面に光を当てない。そこにこの国の戦後と現在がある」

今日、この国はまたいくつ恥をみずから失い、内面の闇をどれだけ拡げたのでしょうか。
この国の片隅では
忘れられた鳥かごのような独房の中で
死刑囚が間断なくおのれの恥と向き合い惟いつづけているというのに。

shineなお、これから再放送です→4月22日(日)00:50~02:19 教育テレビ 

2012年4月19日 (木)

4月15日放映ETV特集「失われた言葉を探して」(3)

大道寺将司は1996年に母宛の手紙に俳句を書きました。Tokito
それ以後、手紙には俳句が添えられるようになりました。
三畳余りの独居房に一日中たった一人。
窓はあるが外の景色を見ることはできない。
そんな環境で俳句を作り続けるというのは本当に不思議に思えます。
俳句には吟行というものもあるのであり、
実際の自然に触発されて生まれると一般には考えられるからです。

「まなうらの虹崩るるや鳥曇(とりぐもり)

この句には起きなかったテロリズムの記憶があるのではないか、と辺見さんはいいます。
「虹作戦」。
1974年に天皇が乗った「御召列車」爆破計画です。
事前に計画が漏洩していると感じ、〝狼〟は計画を中止しました。
(その翌日、朴正煕大統領狙撃。あの次の日にそんなことが計画されていたのか、と驚きます)
つまりこの句にある「虹」とは
獄中で幻視された、ありえなかった虹の幻像です。

「つまり架けられなかった虹の記憶である。死刑判決の後で、たった一人になって体の底から現れて来た俳句作品の中で、架けられなかった虹が架かるのだ。しかもそれは、ちゃんとした虹ではなくて、崩れた虹として瞼に記憶されてしまうということがあった。こういう風に記憶が彼において着床されている。それは彼の検察や警察における供述には一切表れていない。じつはこういう俳句作品にこそ、出来事と人間の考えと感覚が綯い交ぜになりながら、出て来ている。」

「時として思ひの滾(たぎ)る寒茜(かんあかね)」

「これも架けようとして架けることの出来なかった、あの虹作戦が、彼の回想の底に赤く滲んでいる、そんな色ではないか。いわゆるテロリズムには、まずそれを起こそうとする人間のイマジネーションのようなものがあるが、そのイマジネーションと現実の結果とは大きな差がある。例えば三菱重工爆破事件が、全く罪のない人々を殺傷してしまうというリアリティとして、出来事がイマジネーションを完全に裏切る。後の世に回想する時、思いがたぎる。彼の俳句はこのようなイメージを、全く孤立した場所で呼び起こし、それに着色していく。そんな風に、震えが来る程の孤独な作業の中でなされる。これが彼の尽きることのない、たぶん終わらない証しの立て方ではないか。」

この引用部分の末尾に出てくることば、「証し」。
これは辺見さんの話の要となることばです。
どこかキリスト教的な響きも感じます。
いつか、クリスチャンの友人が、自分の信仰体験を語りだした時
それを見た同じ信仰を持つ別な友人が
「××さんは今証しているんですよ」と評したのを思い出します。
しかし辺見さんの「証し」とは、もっといわば実存的なものです。
神のいるなしに関わらず、たった一人で自分と向き合うこと、
そして独房の闇の中でさえおのれを証明すること。

「そして、いまなにが残ったのか。(…)この〈奇しき生〉を証すこと──それが最期の営みとして残されているのではないか。大道寺将司が大道寺将司であることを証そうとする営み。わたしがわたしであることを証すこと。それぞれがそれぞれであることを証すこと、証そうと試みつづけることこそが、逃れがたく課せられているのではないだろうか。なにがそれを課しているのだろうか。神ではなかろう。思うに、生の内奥の底土(そこつち)が匂いたち、他によらずおのれでおのれを立証せよと迫っているのではないか。」(『棺一基』序文)

「所与の生、というより自覚された〈奇しき生〉が、それぞれに自己証明をする作業のために、気がつけば、ただ言葉だけが手もとに残されてある。」(同上)

「そして言葉だけが残った」という、アウシュヴィッツ後の詩人パウル・ツェランの言葉も想起されます。
大道寺将司の作句を思い合わせてこう思います。
孤絶し、言葉しか残されていない闇で
言葉によって自分というものを、そして自分のいのちを
一つ一つ螢の光のように証し闇を照らすものが
俳句や詩なのではないのか、と。
たとえ誰もそこにもはやいないとしても。

2012年4月17日 (火)

4月15日放映ETV特集「失われた言葉を探して」(2)

辺見さんや大道寺将司が青春を過ごした1960年代から70年代は、Nukajpg
まだ言葉が空虚でうすっぺらな記号となり果ててはいなかった。

「70年代までは、まだ言葉というものが肉や骨や血をひきずっていたのではないか。つまりこれは不正義、悪なんだということが、悪として手触り感のあるものとして認識されていた。たとえばベトナム戦争は大半の人間は悪という風に認識していた。言葉がもう少し信じられていた。」

大道寺将司もまた言葉を信じている若者でした。
言葉を信じるということは、人との連帯を信じることです。
けれど一方で自分が生きている感覚や現実から遊離すれば
言葉の観念によって
自然で内発的な感情を縛ることにもなります。

大道寺は1969年に東京の大学に進み
ベトナム戦争や日米安保に対する反対闘争に加わります。
大学では勉強会を主宰したそうです。
その時の友人が語っていました。

「靜かな話し方をする人でした。自分にごまかしのない生き方をするためだと言っていました。日本はベトナム特需によって、沖縄の犠牲の上に豊かな生活を手にしたのであり、その構造を変えなければ、反対しても嘘になる、と。」

このようなことを言う青年は恐らく今はいません。
そのように語れば、即座に冷笑されるか、
偽善者め、本当のことを言えよと「現実主義者」たちがつめよってくるでしょう。
けれど大道寺将司はまさしく言葉を信じて語り
言葉を信じて思惟したのです。
そして当時、誰もが多かれ少なかれ
世界や社会について大道寺と同じ次元で発語し思惟しうるということに
疑いをさしはさむことはなかったのです。
自己否定や自己批判はしたとしても、
言葉という、人間への根源的な信頼の次元への疑いや冷笑はなかったのです。

人間とはつきつめれば言葉によって成り立つ存在です。
言葉によってこそ他者と自己を意識し、関係を結び、何よりも思惟することができる。
そのような言葉への信頼や好奇心や畏敬の念、
そして言葉による触発がなくなれば
人間は人間であるとは言えなくなる筈。
私は何よりも今そのような「人間が消えていく事態」が起こっているようで
大変怖いと思っているのです。
今、社会は
外形だけをルールでととのえることでよかれとする社会になろうとしています。
それは実質的には
人間というものに対する探究力や敬意を失った、共同体のまさに「むくろ」でしょう。
まさしく「動物化した」社会です。
そのような社会を社会と呼ぶことだけは決してあってはならないと考えています。

話を戻します。あるいはそのような社会の形骸化の前兆だったでしょうか、
70年安保は自動延長となり、
学生運動は急速に勢いを失っていきます。
大道寺将司は成果の見えない運動に見切りを付け、
より過激な方向へと突き進んでいくことになります。
北海道の開拓の記念碑を爆破したのを皮切りに
日本によるアジア支配の記念碑を次々と爆破していきました。
そしてあの連続企業爆破事件……
しかし暴力に訴えるやり方に世間の共感は得られませんでした。
やがて社会の敵として目され、
1975年の5月、雨ふる肌寒い朝
東京の南千住の駅前で逮捕されます。
1979年東京地裁で死刑判決、
1987年最高裁で死刑が確定しました。
俳句を始めたのは逮捕されてから10年近く経ってからだそうです。次の句は逮捕された雨の冷たさの記憶にもとづくのではないか、ということです。

額衝 (ぬかづ)くや氷雨たばしる胸のうち

2012年4月16日 (月)

4月15日放送ETV特集「失われた言葉を探して」(1)

昨晩のETV特集「失われた言葉を探して」はTokyojpg
魂の底を打つような素晴らしい番組でした。

死刑囚大道寺将司の句集『棺一基』の上梓を中心とした
同死刑囚と辺見庸さんとの交流を描いたものです。

内容はもちろん映像や構成にも大変力がこもっているのが分かりました。
辺見さんの番組におけるNHKの姿勢はいつも素晴らしいです。
昨今やや目につく同局の体制翼賛的な?「憑きもの」が落ちたように
本来の社会派的で良質な精神を取り戻しています。
こんなNHKを見ると本当に安堵します。
そしてこうした、たとえ声高ではなくとも真率で社会批判的な番組はKochijpg
NHKにしか作れない、とあらためて思いました。

震災直後の番組「瓦礫の中からことばを」もそうでしたが
この番組も現在の時代状況と言葉との関係をめぐる
鋭い洞察に満ちていました。
根底には死刑=処刑に反対というメッセージがこめられているのですが、
ただ命が大切だからというのではありません。
死刑囚であれどんな人であれ
人間は自分の言葉を最後まで持とうとする=惟(おも)おうとするのだから
そのことだけは奪われてはならないのではないか、という
人間=言葉という根源的な次元からの問いかけがそこにはあるのです。
死刑反対には「人間とは何か」について入念な考察の裏付けが必要ですが
その点で辺見さんの主張には大変説得力がありました。

なぜ辺見さんは大道寺氏に句を作れと言ったのか。句集を出せと言ったのか。
それは同氏が癌に侵されているからだというだけではありません。
どんな時でも人間を救うのは言葉だからです。

「自分が死に目に遭った時に、本当に欲しかったのはりっぱな医者や治る薬はもちろんだが、本当のことを言えば『ことば』だった。だから痛いだろうが、書いてくれないか。作句を止めないでくれないか。」

そして大道寺の言葉こそは辺見さんの絶望を救うのです。
「獄中獄外のどちらが荒んでいるか。獄外では皆がちゃんとした共通の言葉を使っているかもしれない。絆とか勇気とか復興とか。しかし簡単にそういうことをいうけれど、本当はそんな言葉は誰の心臓も掴んでやしない。そこに震災以降の悲しみや救われなさがある気がする。もう少し物事の成り立ちを一つ一つ解いていこうではないかという気持、試みの力がなくなってきている。このデジタル社会の中で、表現というものを、自分が本当は信頼していない、自分の表現にすら猜疑心を持ち始めているということがある。今生きてある、放置してある、隠されてある大道寺将司に会うと、その自分の猜疑心が解けてくる。多分それは、彼があの時代にもった、ある種素朴なまでの正義感というものを、まるでホルマリン漬けにされてしまった、冷凍保存された存在だからではないかとさえ思ってしまう。」

しばらく番組からのメモをもとに言葉と人間と現在について
そこからひいては詩について
自分なりに考えをめぐらせていきたいと思います。
(但しメモから再現した引用は、省略もあり、文章として正確なものではありません)

2012年4月15日 (日)

『棺一基 大道寺将司全句集』と辺見庸さんの番組のお知らせ

『棺一基 大道寺将司全句集』(太田出版)が出ました。Kan
辺見庸さんが序文と跋文を書いています。

作者は、1948年生まれ。
「東アジア反日武装戦線〝狼〟部隊のメンバーであり、お召し列車爆破未遂事件(虹作戦)及び三菱重工爆破を含む三件の「連続企業爆破事件」を起こし、1975年逮捕、1979年東京地裁で死刑判決、1989年最高裁で死刑が確定した。2010年に癌(多発性骨髄腫)と判明。獄中で闘病生活を送っている。著作に『明けの星を見上げて』『死刑確定中』『友へ』『鴉の目』がある。」(奥付にあるプロフィール)

私は三菱重工爆破事件の時、中学生でした。
当時事件の生々しい報道写真を見て、大きな衝撃を受けた覚えがあります。
あの時の犯行グループの一人です。
今では俳人でもある作者が
なぜあのような、多数の死者を出し社会的な影響の大きい事件を引き起こしたか、
その背景と動機については
じつは私はまだ考えたことが一度もありません。

当時、この事件については、親も周囲の友人も、「過激派は怖いわねえ」とばかり言っていた記憶があります。
真面目な友人は一生懸命
「頭が良すぎるとああいうことをするのよ」と力説していたのが記憶に残っています。
それから高校に入り、教師に反抗した場面で
「おまえは過激派になるつもりなのか」といきなり言われて驚いたこともありました。
この事件がどれほど大きな衝撃を与えていたことが分かります。

しかしあれから長い歳月が流れました。
作者は三十数年間死刑囚として監獄に拘禁されています。
これは獄中生活から生まれた第三句集であり、全句集です。
(ただ未発表の句もたくさんあるとのこと)
本書の上梓は、辺見庸さんが勧めました。
癌から来る壮絶な痛みに苦しむ友人の姿を見て、
「書け」という言葉が口をついて出たといいます。
「医者や薬はもちろん大事だが、最後には言葉にしか救われない」と。
そして本書の刊行を提案しました。

内容についてはこれからじっくり読んでいき
少しずつ感想を書いていきたいと思いますが、
まずは喫緊のお知らせです。
本日夜、以下の番組が放映されます。
本書の内容や経緯だけでなく
死刑について、言葉について、大きく触発するものを予感します。
これを観てからまたあらためて本書についての記事を続けたいと思います。
皆さんもどうか御覧になって下さい。とりいそぎ。

◎辺見庸出演NHKETV特集4月15日放送

辺見庸出演NHK ETV特集が下記のとおり、2012年4月15日夜に放送されます。

「失われた言葉をさがして-辺見庸 ある死刑囚との対話」 

語り:市原悦子 朗読:平田満、中村秀利

*2012年4月15日(日)22:00~23:29 教育テレビ
*再放送 2012年4月22日(日)00:50~02:19 教育テレビ 
*再放送は、土曜深夜です。

・番組公式サイト
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/0415.html

2012年4月12日 (木)

山口の旅⑤瑠璃光寺・長門峡・津和野

山口の旅最終回。Imgp0170
4日は、昨日とは打って変わって晴れ上がりました。

まず香山公園の五重塔に行きました。
この公園は瑠璃光寺というお寺の境内です。
「瑠璃光」というその名のとおりすごく明るいスポット。
壷中天のような穏やかな空気がとても気持よかった。
桜に抱かれる五重塔という構図は美しくなつかしい。
すごく落ち着きました。
私の中から久しぶりアルファー波が
どんどん花へ空へと誘いだされていって。

次は長門峡。
これもまさしく壷中天スポットでした。
阿武川の上流にある
奇岩や滝、深淵などが変化を織りなす奇勝です。Imgp0189_2
中原中也もこの場所を愛し
「冬の長門峡」という作品も書きました。
(詩碑もありました。)
今回は時間がなくてそれほど奥までは行けませんでしたが、
歩きながら川の音に心が洗われていくような
何とも言えない清々しさを感じていました。
優しい感じで曲がって流れてくる水が
身体に浸透してくるようでした。
岸をいとおしみ岸にいとおしまれて
川が奏でるゆたかな水の音楽。
いつまでも歩いていたいほどでした。

そして津和野に到着。
森鴎外の生家をちょっとのぞいてからImgp0213
乙女峠マリア記念聖堂へ。
改宗を迫られ殉教した36名の隠れキリシタンを悼んで
ドイツ人神父が建てた聖堂です。
礼拝堂はなんと畳敷きでした。
ステンドグラスが本当に美しい光を放っていました。

さいごに安野光雅美術館へ。
これまで私は安野さんの絵を本の表紙ではたびたび目にしていましたが
じっくり本物を見ることがなかったので
すごくいい機会でした。

建物は2階建てで展示棟と学習棟があります。
学習棟は昭和初期の木造の教室を再現。
図書室では安野さんの作品だけでなく
世界の絵本や美術書を自由に見ることができます。Imgp0220_5
木の廊下がぴかぴかに磨かれているのも
小学校の入学時のときめきを思い出させくれて
何だか子どものような楽しい気持になりました。

安野さんは水彩画の超絶技巧の、そして天才的なセンスの持ち主です。
どの作品も暖かみのある淡い色彩と
描くことの楽しさが伝わってくるような軽やかな筆致に
それこそ水のようにすーっと吸われていくのです。
時間が許せばいつまでも見ていたかったです。
プラネタリウムもあって
安野さんの作品で編成されたオリジナルな映像を見ることができました。
(ここで疲れが出たせいか途中少し眠ってしまいましたが)
図書室では感想ノートにイラストレーターの黒田征太郎さんの絵を発見。

安野さんの絵には、技巧からにじむ魂の優しさがあります。
それは津和野の風土から受ける印象そのものです。Anno
山口は全体的に山なみが穏やかな印象ですが
津和野の青野山もお椀のような形でとても愛らしいです。
(でも休火山だそうです。)
幼い頃の安野さんがこの山に見守られて育ったのでしょう。
津和野の穏やかさや優しさが天才の魂を静かに揺籃していたのですね。

そして車は広島へ。
ここで一昨年に広島の朝鮮学校の朗読会に来て下さった原畑さんと
産婦人科医の河野先生と合流。
楽しい歓談のひとときを過ごし、
夜9時過ぎの新幹線で帰途につきました。

※話題の全ての写真をアップしたかったのですが、ちょっとムリでした。残念・・

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