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2012年5月

2012年5月31日 (木)

徐京植『在日朝鮮人ってどんなひと?』(二)

徐さんは1951年生まれ。
お父さんが幼い頃お祖父さんに連れられて日本にやってきたので、
「3世に近い在日朝鮮人2世」だそうです。
京都の日本の小学校に通名(日本式の名)で通っていたそうです。
朝鮮人であることを隠していましたがあるとき、
「チョーセン」というはやし言葉がなぜか自分に向けられ、
深く傷つきました。
学校から帰ってきた息子の様子から
何もいわなくてもそれを察したお母さんは
徐さんをぎゅっと抱き締めて
「朝鮮、ちょっとも悪くない、朝鮮、ちょっとも悪くないのやで」
と耳元でささやいてくれたそうです。

お母さんは、朝鮮人としての誇りや民族意識が高かったから
そう言ったのではないようだ、と徐さんは言います。
「簡単に言うと、教育を受けていなかったからではないでしょうか。教育を受ける機会がなかったから、国民は天皇や国家のために身をささげるのが当然であるといった当時の愛国主義や軍国主義の考え方を注ぎ込まれなかったのです。」
つまり、自分と国とを一致させて考えない人だった。
だから何が正しいのかは自分で判断した。
「もともと人間がもっている庶民の知恵、人間の知恵を損ねることなく最後まで保つことができた」から、
そこからの確信を持って「朝鮮ちっとも悪くない」と息子を抱き締めることが出来たのです。
だからそのように囁かれ抱き締められたことで、
息子の魂には生涯続く大きな安心感と精神的支柱が残されることになりました。
その結果差別によって強いられる内的葛藤とつねに向き合うことが出来、さらに
「母親が教えてくれたように『朝鮮、ちょっとも悪くない』と胸を張ること、卑屈にさせられている子どもや若者の側に立つことが生涯のテーマに」なったのです。

「朝鮮、ちょっとも悪くない」とお母さんに抱き締められたことが
一生続く息子の魂のあり方を決めたというこのエピソードは
本当に感動的です。

あるとき、今大学教師である徐さんの授業を受けた学生が次のような感想文を書きました。
高校時代に朝鮮人と思われるクラスメートが、
他の日本人の生徒と一緒になって朝鮮人を笑いものにしていた。
なぜ堂々と「わたしは朝鮮人です」といえないのか。
在日朝鮮人はアイデンティティが欠如しているように思う──。

これに対する徐さんの次の批判に私も深く頷きました。
「在日朝鮮人はアイデンティティをもったほうがいいと私は思っていますが、それはこの学生が思い込んでいるような『自国や自民族を誇る感情』のことではありません。それは空疎で危険な感情です。自分がなぜここにいるのか、自分が感じている劣等感や生きにくさは何に由来するのかを考え、自分は胸を張って生きていいのだと思える、そういうアイデンティティです。自分たちは弱かったり、少数であるために差別されているけれど、しかし他者から奪ったり、他者を差別したりしてはいない、恥じるべきことは何もない、という意識。つまり『朝鮮ちっとも悪くない』という意識のことです。」

マジョリティがマイノリティの葛藤を感じ取ることは難しい。
しかしマイノリティの葛藤の克服過程は
一人の人間の普遍的な内面の成長過程そのものです。
マジョリティも一人一人は結局は孤独でよるべないマイノリティでしかありません。
繊細に聞きとりえた在日朝鮮人の心の声は、
自分自身の声でもあるはずです。

2012年5月30日 (水)

徐京植『在日朝鮮人ってどんなひと?』(一)

徐京植『在日朝鮮人ってどんなひと?』(平凡社)はZainichi
「『在日朝鮮人とは何か』というテーマを中学生にも理解できるように」書かれた本です。
中学生がこれをどれ位理解できるかは分かりませんが、
私には大変分かりやすかったです。
そしてこれから在日朝鮮人に対し日本国家が突きつける様々な問題について考える際に、
バイブルになってくれる本だと思います。

しかし私だけでなく
多くの日本人が在日朝鮮人についての知識においては「中学生」なのではないでしょうか。

ご自身が当事者である徐さんがその人生で鍛え続けてきた
「自分とは一体何者であるのか」をめぐる思考の筋力と
「あなたとは一体何者であるのか」を考えてほしいという
日本の若者に対する熱い要請の思いが、
神経をはりめぐらし丁寧に語られる言葉と論理のすみずみから
伝わってきます。
歴史や制度について考えることが苦手な私ですが、
難解に思ったり、飛躍的に感じたりするところは一つもありませんでした。

在日朝鮮人という存在は
日本人がその歴史や現実を知らなければ、
容易に記号化され、ときには敵にさえ仕立て上げられる。
私も、朝鮮学校の無償化問題で殆ど初めて在日朝鮮人と出会ったのですが、
それでも「なぜ眼の前にこの人が、在日朝鮮人として存在するのか」を
つねに自分の言葉で表現し理解しようと努めなくては、
すぐに「まるで日本人のように存在している」という
平板で自己中心的な関係になってしまうでしょう。
そのような関係では
その人が物心ついた時から抱え込んでいる苦しみと内的葛藤を見ないことになり、
本当に出会ったことにはならないはずです。

この本のタイトルにある「在日朝鮮人」という呼称は重要です。
なぜ一般に使われにくいこの言葉を徐さんはあえてタイトルに使ったのか。
「たとえ気が重くても歴史を知り、『朝鮮』という言葉を虐待から救うべきだと私は考えています。言葉を救うためには、虐待されている人間たちを救わなければなりません。だから私は、『在日』とだけ呼ばれているその人々が『朝鮮人』なのだということをはっきりさせるためにも、『在日朝鮮人』と呼ぶべきだと考え、それを実行しています。このようにきちんと呼ぶことによって、その人が誰であるのか、なぜ日本にいるのかということ、つまり存在の『歴史的由来』を思い出させることになるからです。」

2012年5月28日 (月)

一昨日田植えを手伝いました

一昨日、岐阜の夫の実家の田植えの手伝いをしました。

青空が拡がり絶好の田植え日和、と思いきや、Nami2
田植えは曇天の方が暑くならなくていいとすぐに気づきました。
水田は木陰がないので、晴天だと熱射病になりそうです。
やがて少しずつ雲が出てきたので、助かりました。

もちろん田植機を操っていたのは義父。
例のごとく私は畔で苗の整理や手渡しや容器の洗いなどの雑用のみ。
楽なはずですが
日頃の運動不足でずっしりとした苗の重さが腰に少々こたえました。

周囲には休耕田もたくさん見受けられました。Nami
後継者がいないとのことのです。
花なども植わっていましたが
本当にもったいないことだと思いました。

ところで今回の田植えで発見したのは、
水を張った田に生まれる水紋の思いがけない美しさ。
風が吹くと
畦でざわめく木々が息を吹きかけたように
水がさーっとこまかく煌めき波立っていく。
海や湖の波とも違うはかない波が
なぜかとてもいとおしく思え
いつまでも見飽きないのでした。

稲作という遥かな時空から続く人の営み。
波は、それを祝福する何者かの息吹であるのかもしれません。

2012年5月25日 (金)

「詩を書くという行為を受け継ぐ──追悼・吉本隆明」(「現代詩手帖」5月号)

「現代詩手帖」5月号に吉本隆明さんへの追悼文を書きました。

詩を書くという行為を受け継ぐ──追悼・吉本隆明 Gt
                                河津聖恵
  

 去る三月十六日吉本隆明氏が亡くなった。3.11からほぼ一年後である。氏はこの一年間、病を押して思想家としての発信を続けていた。四半世紀前の「『反核』異論」の主張を曲げることなく、「原発廃止は素人の暴論であり、人類の文明の否定を意味する」として、「総懺悔的」に反原発へと傾く世論に一石を投じた。その波紋がいまだ言論の海にざわめき止まぬさなかでの巨星の消滅。だが波紋が鎮まるどころか、むしろ再稼働やがれき受け入れが一気に進もうとする動きの中で、氏の原発への見解はあらためて賛否両論を湧き起こしている。同時にかつての新左翼運動に対する影響やオウム真理教への擁護を巡っての議論も再燃した。いずれにしても逝去後「吉本隆明とは誰だったのか」という問いかけは、「吉本隆明という現象あるいは表象とは何だったか」、さらには「吉本隆明という現象を支えた戦後の精神構造とはいかなるものだったか」という問いかけへ深まろうとしている。
 だがそれら「吉本隆明という現象を追う現象」に欠落するのは、「吉本隆明が何を書いてきたか、言っていたか」という思想の実像の解明である。だがそれを正確に言い当てることはほぼ不可能に近いだろう。氏の言説と文体は、多かれ少なかれ言葉自体に向き合っているから、いわゆる言論の場には原理的に乗り切らない。このまま逝去という断絶によって、残された言葉は破局の世界に放たれた儚い火花として消えてしまわないか。それらの言葉にある時代に抗するリアリティは忘れ去られはしないか。
 今、私たちが試みることができるのは、「吉本隆明の言葉に自分は何を触発されてきたか」を語ること、あるいは「これからいかに触発されていくか」を模索すること、に尽きると思う。氏の逝去は深い悲しみをもたらしたが、この悲しみを、氏の出発と核心とも言える詩作品や詩論に対し、私たちが裸形に向き合うための契機とすべきだ。
 一九六四年に書かれた「詩とはなにか」(『現代詩文庫・吉本隆明詩集』所収)をあらためて読むと、この詩人がいかに詩を書くという行為を、社会という外部と自分自身という内部との、アクチュアルかつ原理的な葛藤においてとらえていたかがよく分かる。次の「詩論」には今でも、あるいは今だからこそ深く首肯しうる的確さがある。
「わたしがほんとのことを口にしたら、かれの貌も社会の道徳もどんな政治イデオロギーもその瞬間に凍った表情にかわり、とたんに社会は対立や差別のないある単色の壁に変身するにちがいない。詩は必要だ、詩にほんとうのことをかいたとて、世界は凍りはしないし、あるときは気づきさえしないが、しかしわたしはたしかにほんとのことを口にしたのだといえるから。そのとき、わたしのこころが詩によって充たされることはうたがいない。」
「詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、かくという行為で口に出すことである。」
「ほんとのこと」とは言わば日常を揺るがす真実のこと。散文でそれを口にすれば世界は凍り、発言者は拒絶される。だが社会から「孤立」し、比喩や象徴という次元で書く詩人は、誰にも邪魔されず(それは多くは「理解されず」をも意味するが)「ほんとのこと」を口に出来る。生命の奥からあふれる「自己表出」(言葉以前にある叫びが生み出す表現)の力で、「ほんとのこと」を言葉の中から輝かせることが出来る。
 詩は直接的に世界を凍らせはしないからこそ、抵抗の永遠の方途となるのだ。私たちが今後氏が残した仕事に学ぶべきことは、『言語にとって美とはなにか』にあるような、比喩をめぐるミクロな知的感覚に詩人の皮膚を触発されること、そしてそこからそれぞれ新たな詩的痛覚を切り拓くことだと思う。少なくとも現代詩だけは、吉本隆明をマクロな現象としてカテゴライズしてはならない。
 今、巨星の去った場所は深く抉れ、無数の言葉の影の火花を上げている。その不在の場所から詩の謎と比喩の秘密を受け継ぐことは必ず出来る。私たちは存在の欠落あるいは人間という傷を、言葉という根源的な次元で吹き曝されて詩を書く、という行為を詩人にたしかに教えて貰ったのだから。もう一度、詩という新鮮な光の血を、魅惑的な影の声をこの世へ言挙げしてみよう。己れの歌(「苦しくても己れの歌を唱へ/己れのほかに悲しきものはない」)を、何度も花火のように打ち上げていこう。詩人亡き後さらに、詩の原初へ向かうがごとく深まっていくこの世の闇の中で。

2012年5月23日 (水)

詩「三月のピノキオ」(「PO」145号)

「PO」145号に作品を書きました。Po

三月のピノキオ
                           河津聖恵  
 

 〝空の鐘〟が響く
 茂みの中で人形たちは身をふるわせる 
 ユキヤナギの沈黙の鈴は沼の水面にさやぎ
 伐りたての木株は白く不安なお喋りを止められない

沼に沈みかけた小屋
永遠に傾いている世界
あの日机とともに壁に打ちつけられ
私はどうなってしまったのか
まるで死んでいるように茫然とし
まるで生きているようにとても寒い
私を作りかけたまま
凍った影になって床に横たわるおじいさん
弦のない弦楽器(たましひ)の重さを抱きしめ
今も深い奈落へ落ち続けているおじいさん
もう一度起きて
あの時入れられなかった青い目を入れて下さい
そしてどうか私の名を呼んで下さい
そうでなければ私は泣くこともできないから
鐘の音にふれられた鼻が
野放図な蔓のように空虚へと伸びてしまうから

 〝空の鐘〟が響く
 地上に散らばった欠片という欠片が目を覚ます
 岸辺のレンギョウの指が
 水深く世界のスイッチを探しあぐねる
 うたえない水鳥たちの冷たい嘴が悲しみの波紋を拡げる

小屋は沈みかけ
世界は永遠に傾いている
おじいさんは死んでいる
なぜ誰も助けにこないのか
小屋は心そのもののように目にみえないからか
ボートが次々とそばを通り過ぎていく
〝空の鐘〟は夕暮れとともに
ヒヤシンスの暗い香りに変わり
今私は星のようにひとりぼっちだ
生まれたばかりでとても寒く
死んだばかりで茫然としている
誰が私をのぞんだのか
何の似姿であることを願ったか
おじいさんは真実を握りしめて息絶えている

人が人形になる三月
嘘と真実が引き裂く傷口から 太古の血潮があふれれば
人形が人となるかもしれない 春三月

2012年5月21日 (月)

金環日食

金環日食を見ることが出来ました。Dscf0766
朝、たまたま外に出たら、近所の人が何人か集まって
黒いグラスを掲げて東の空を見上げていました。
そうか日食の日だったんだ、と気づきました。
昨日まで全く興味がなかったのですが、
「みえるみえる」と他人が楽しそうに眺めていると、
ふいに心が騒ぎ駆け寄りました。
そばに寄るとみな快くグラスを貸してくれました。

不思議な現象でした。
グラスの闇の中にオレンジ色の輪が出来かけている。
心の底をまさぐるような何とも言えないじんわりとした光です。
見ている間、私とこの光の輪との出会いは
いつから準備されていたのだろうか、と感慨深く思っていました。Dscf0765
何百年もの深い闇の中から立ち現れた輪が
今このときの私の網膜にふいに焼き付けられたのです(グラス越しの写真は失敗しましたが、裸眼での写真は上のようです。一瞬だけ目が焦げたかも(笑))

グラスを外すと辺りが少し変です。
光は力を緩め鳥は静まり
アスファルトの上には木漏れ日が一斉に丸く研がれています。
世界は仮面を外したように不穏な沈黙をあらわにしていました。
木々も家も壁も夢で見たような光度と質感です。
黒いグラスを掲げて太陽を見つめる人々の無心さも
なぜかとても懐かしい。

あっという間の天体ショーでした。
すぐに世界は何事もなかったように日常の明るさとざわめきを取り戻しました。
しかしこの金環日食の時間は
私の中に不思議な残像を残したようです。
自然存在としての自分の奥底が思いがけず賦活させられたのを感じています。
光ならぬ光に、記憶の古い層から何かを引き出されたのでしょうか。
月の光にもどこかつうじる、光の生々しさ、生命力に
けものの甘美な戦慄を思い出したのでしょうか。

今人の魂は、金環日食的な光こそを欲しているのかもしれません。
しらじらしく均質な蛍光灯のような光に代わって。

2012年5月20日 (日)

辺見庸『死と滅亡のパンセ』(四・終)

3.11は確かに詩を書く者としての私自身にとっても大きな衝撃でした。
これまでの自分の詩を支えてきた、
言語の価値の次元とその裏打ちである感受性を、
いわば下方深くから破壊されたと感じています。
そしていまだその破壊の深さと度合いが自分では分からないままです。
詩を書きつける段になって初めて、その一端が分かるような気がします。
つまり自分ではなく言葉が何を求めているのかを探ることによってしか
それは分からないのです。
そしてその時、私ではなく言葉自身が傷つき変質していることが分かります。
私は本当は傷ついているのでしょうか。
あるいは本当に傷ついているのは言葉自身ではないでしょうか。

「『眼の海』をめぐる思索と思念」に述べられた、
詩を書く著者に見えてきた、言葉と人間との最終的な関係のありさま。
それは明晰かつリアルに剔抉され、大変納得行くものでした。

「出来事に揺さぶられ、わたしの奥底で眠っていたオブジェみたいなものが生き返って噴き出してくるような感じがありました。不思議です。あの出来事はモノ全般や構造物そして人命などに甚大な損害をもたらしましたが、それだけではないのですね。言葉にも相当な、かつてないような衝撃を与えたということです。自分でも考えてもいなかったような想念や言葉、シンタックス(構文)が出てきました。また、そうでなければ嘘だということです。」

詩人にとって
3.11とは外界の破壊以上に無意識の亀裂をもたらしたのです。
「わたしの奥底で眠っていたオブジェみたいなものが生き返って噴き出してくるような感じ」。
そのように自分を超えた自分自身の内奥に沈むことができるか。
今、詩を書く者すべてにその覚悟こそが問われていると思います。

先日話題にしたジジェクの『斜めから見る』(1991)の中で、
チェルノブイリについて言われた「二度目の死」を思い起こします。
「チェルノブイリはラカンのいう『二度目の死』の脅威をわれわれに突きつけた。(略)われわれの世界の土台そのものが崩壊してしまうように見えるその表象不可能な点に、主体はその存在のいちばんの核を見出さなければならない。つまり、この『世界の開いた傷口』とは結局のところ人間自身に他ならないのである。」

この「二度目の死」が出来した世界では
「一度目の死」(原爆以前の死)の世界でのように
破壊や死を言葉によって象徴化することは不可能なのです。
言葉自身が破壊され象徴化の力を奪われているのですから。

すると、そのような象徴化の力そのものが破壊されたという実相を感知せざるをえない現在、
詩とは一体何であるのか。
はっきりしたことはいえませんが、
散文的な象徴秩序が破壊された後に唯一残される「表象不可能な点」と
対峙できるのはたしかに詩だけでしょう。
それは詩にって絶望的な境位でもあるし、
一方新たな詩的経験の地平が切開される痛点を与えられたとも言えます。

辺見さんの『眼の海』はその痛点に降りたち
「人間という傷口」から見えた風景を受け止めた最初の「見者」の詩集です。
社会には散文的地平が無傷を装い、
人々の意識はファシズムさえも待望するほど偽りの象徴秩序に依然すがりついるわけですが、
そこに「人間という傷口」を拡げることができるのは
新たな次元に降りとうとするた詩の言葉だけなのです。

「『自分の声はどこへもとどかないのに、ひとの声ばかりきこえる時代』とは、市民運動をも巻き込む新しい形のファシズムなのではないか。そんなふうに思っています。『眼の海』はファシズムのいまに、わたしという個が、よるべない他の個にとどける『ひとすじの声』なのです。『眼の海』はもはや狂気を隠してはいません。なぜなら、狂気もわたしたちの実像だからです。」

「狂気」という「わたしたちの実像」。
それを自分自身の内奥からの瓦礫として果敢に提示できるか。
詩と言葉の「未来」はそこにかかっているのではないでしょうか。

『死と滅亡のバンセ』は詩を書く者だけでなく、
言葉というものの可能性を諦めない人すべてに読んでほしい一書です。

2012年5月19日 (土)

『死と滅亡のパンセ』(三)

辺見さんと詩人のキリヤット・F・コーエンさんの対談、
「破滅の渚のナマコたち─亡命と転向と詩」は、大変面白かった。
現在の破滅をめぐる真摯な対話なのですが、
二人のやりとりはまるで知的な「掛け合い」で
時々噴きだしながら読んでいきました。
どちらかといえば関西弁のコーエンさんが辺見さんに突っ込んでます(笑)。

キリヤットさんはナマコを飼っているという。
「名前はエヴァや。かわいいで。ナマコはじつにええ。かれらはアポカリプスを背負うてんるやで。」
この台詞には参りました。
まさに詩の煌めくような一行ですね。

この対話は、今詩を考えるうえで重要なヒントを数多く含んでいると思います。
辺見さんは大震災後に詩集『眼の海』を出されましたが、
その時の心境についてこう語っています。

「大震災後ここまで言語世界というものが全体にパターン化し萎縮し収縮するのかとおどろいたね。(…)詩についていえば、『震災詩』という呼称からして、ぼくにはなにか生理的に堪えがたい。戦前、戦中の翼賛詩、戦詩みたいなものを髣髴(ほうふつ)とさせるしね。つまらないから、あまり読んではいないけれども、語調や表現、想像の射程の短さ、単層のエモーションなど、こういってはなんだけれど、反吐がでる。そういう言語的な潮流異変を感じて、こちらとしては別の内側の海をつくらないとやっていけないなと思ったわけさ。それが『眼の海』というぼく個人の内面の海になった。それがないと全体的なものに吸収されてしまう。」

まったく同感です。
詩は、その想像力、イメージと意味の飛躍、音の自由、文字の物資性といった要素のすべてによって、
現在のいわば言論の全体主義化において唯一、個人の「内面の海」を創造できるのです。
ここで私が注目したのは
「主体の海」ではなく「内面の海」ということです。
「主体」は海にはならないけど、「内面」は海になるということ。
そう、今拡がっていき深められていこうとしているのは
たしかに「内面」なんだなあと思う。
海面のような月面のような、うちすてられてきた、内面。

「肯定的思惟を先行させて状況全般を受容するだけでなく、批判的発想を揉み消していく重圧みたいなものが、外側からくるのではなく表現者の内側にある。言語統制をじぶんでやっちゃっている。いまの言葉にはそういうのが多い。じぶんで思想警察をやっているような、ね。まるで詩をなにか清いものだとか浄化してくれるもの、聖なるもののように、そうあるべきもののようにみているようだが、そういうのもあって結構だけれども、それだけではおかしいし、ぼくにとってはかえって恐怖のもとだな。」

また、先日亡くなった吉本隆明さんについての二人の評価も面白かったです。
吉本さんについて、吉本さんの賛美者についてこんなふうに考えることも出来るんだと色々新鮮でした。

とにかく、この対談のそこここにある辺見さんの詩へのアクチュアルな叱咤激励は、今詩を書く誰もが耳を傾けるべきものばかりです。詩人はぜひ読んでほしいと思います。

「詩はもっと現状否定性を帯びてもよいだろう。現状否定的にならざるをえない客観的理由がはっきりと現状の底にあるのだから。詩は現状の言語秩序に刃向かう純粋な犯罪、テロルであっていいという意識もぼくにはある。」

詩は意識のテロル!
私もまたこういう詩の定義をずっと誰かに語ってほしかったのだ、と眼の覚める思いがしました。
ということは、私もまた
自分の中にいつしか思想警察を飼っていたのかもしれません。

2012年5月17日 (木)

辺見庸『死と滅亡のパンセ』(二)

『死と滅亡についてのパンセ』にある思考と言葉は、
私が内臓辺りで抱えあぐねていたもやもやとしたものを触発し
そこに形を与えてくれます。
比喩あるいは詩的イメージに映し出すようにしながら。

「泰淳のエッセイ『滅亡について』は言う。『すべての倫理、すべての正義を手軽に吸収し、音もなく存在している巨大な海綿のようなもの』。ついで、こう記している。『すべての人間の生死を、まるで無神経に眺めている神の皮肉な笑いのようなもの』。」(「死と滅亡のパンセ」)

「すべての倫理、すべての正義を手軽に吸収し、音もなく存在している巨大な海綿のようなもの」
「すべての人間の生死を、まるで無神経に眺めている神の皮肉な笑いのようなもの」
自分のもやもやもここに関わっているのだと思います。
「巨大な海綿のようなもの」と「神の皮肉な笑いのようなもの」が
私の外部からきこえてくるだけでなく明らかに内部からも始まっているのです。
今自分でもそれがすごく怖いと思います。
たとえば悲しい出来事や他者の痛みやファシズムの脅威を目の当たりにしながら、
自分が全存在で同じ痛苦にうちふるえているかといえば
決してそうではない。
内部にぼんやりとした無感情な洞のようなものがたしかに拡がっている。
よく自分自身に耳をすませば
そこで自分の声は他人の声のように響いている。
あるときは笑いのようにしてさえ。
「悲しい」という声もまた本当には私の真実の声であるとはいいきれなくなっているです。

そう、自分の中にある声にすら不信を抱きます。
「悲しい」と言いながら本当は声の奥には響かない薄闇があり、
そこにはたしかに皮肉な笑いさえきこえている。いつからか本当はずっと。
しかしそれが予感を超え、たとえば詩を朗読する時に自分が放つ声に
「巨大な海綿のようなもの」の沈黙や「神の皮肉な笑いのようなもの」の残響を
を内奥から意識してしまったら
何か恐ろしい事態が出来するのではないでしょうか。
真摯な物言いをしながら、それがじつは自分を装っている不気味なものの声であることを声の内部から覚知してしまったら、
自分の中で何かが崩壊しはしないでしょうか。

国際電話のエコーをめぐっての声の考察に戦慄を覚えました。
「わたしの声はわたしが話すたびにわたしから離れて浮游し他者化された。それをなにか不当なことに感じ、他者化されたわたしの声をわたしは嫌うようになった。といっても、わたしの声と妖しい残響は、どのみちわたしという他者の反映なのであり、わたし=主体との同一化は、可能なようでいて絶対的に不可能なのである。ひとの開口部からいったん発せられた声はつまり、元の鞘におさまることはない。」(「声の奈落」)

かつて私もまた、いってみれば日常的に発する自分の声をどこか疑うがゆえに
声ならぬ声としての詩を書き始めたのではないでしょうか。
自分の本当の声がききたくて。
あるいはむしろ言葉という誰のものでもない声になってしまいたくて。

2012年5月16日 (水)

辺見庸『死と滅亡のパンセ』(一)

辺見庸さんの『死と滅亡のパンセ』(毎日新聞社)を読了しました。 Shito_2
一昨日のジジェクの言葉を借りればこの一書は、
「この世界にはうんざりしている」
という無自覚に抱き続けていた感情の実体を
私の底からあぶり出し、
知や感性のいわば「根源的なオルタナティヴ」を与えてくれた気がします。
哲学的でもあり詩的でもある詩人の言葉の力は、
外部に吸われ拡散しかけていた思考と感覚に
忘れていた重心を取り戻させてくれました。

その重心とは何か。
それは「死と滅亡」をよるべなき個として見据える立ち位置のリアルな確かさであり、
3.11以後じつは私たちに残された唯一のものである「ことば」と
それを語り書く私たちとの関係のありようを感じつくし考えつくす
問題意識の深さであり、
そしてとりわけ現在この国で語り書く者が巧みに回避し続ける
「じぶんのなかにある自己抑圧の機制との対峙」
を自他に触発するダイナミズム、強さです。
それはひとことでいえば、「言葉の重心」、あるいは「言葉という重心」でしょう。

「死と滅亡」。
それは今この国で最も自己抑圧されているテーマではないでしょうか。
3.11以後
どんな立場の言説においても自己抑圧されてしまったのは、
反原発でも反反原発でもなく、
まさに「死と滅亡」への欲望であると思います。
もちろんそれはこれまでもずっと抑圧されてきた欲望でしょう。
年々増える自殺者や餓死者やうつ病患者や引きこもり者は
むしろ「死と滅亡」への欲望を募らせながら抑圧し否認してきた結果ではないでしょうか(そのために象徴化や昇華の機会を失ってきたのです)。
さらに大震災後私たちは
あのような途方もない「死と滅亡」の光景を先んじて見せつけられ
一切のことばをやすやすと失ってしまったために、
そもそも生命の欲望、蘇生の欲望のように持っていた「死と滅亡」への欲望を
むしろ深くおしころし自己規制してしまったのではないでしょうか。
それがもたらす想像力と解放感、そして言葉の力と共に。

「わたしはそれとなく待っていたのだ。いまもそれとなく待っているのかもしれない。世界のすべての、ほんとうの終わりを。目路のかぎり渺々(びょうびょう)とした無のはたてに立ってはじめて、新しい言葉──希望はほの見えてくるだろう。本書の各文章はそのような気持ちで書かれた。」(「世界の終わりと新しい言葉─あとがきの代わりに」)

ここに表現されているのは、文学的な言辞の次元にとどまらない、
すべての人間にとっての真の蘇生の境地なのです。

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