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2012年7月

2012年7月31日 (火)

7月29日中嶌哲演さん講演「大飯原発再稼働と日本のゆくえ」

一昨日、京都市左京区にある日本ルーテル修学院教会で、Imgp0335_1
福井県小浜市にある明通寺の住職、中嶌哲演さんによる講演
「大飯原発再稼働と日本のゆくえ」がありました。
私も呼びかけ人の一人である「修学院九条の会」の主催です。

中嶌さんは、7月16日の代々木公園での集会でも登壇し発言されました。
中継で見ながら私もその話とりんとした姿に感動を受けた一人です。
その中嶌さんの講演とあって、
集まった聴衆は83名、
修学院九条の会発足してから二番目の盛況ぶりとなり
クーラーの効いている礼拝堂は話に聴き入る人の熱気で暑い位でした。

原発問題で科学者や政治家が話すのは聞いたことがありましたが
宗教者の話は初めてでした。
宗教者でもあり運動家でもある中嶌さんの言葉は
一つ一つが自分の中から真剣に選び取られたもので
静かでありながら確実に魂に届く響きがありました。
語る人の清冽さと礼拝堂という場の空気が
親和していました。

40年間、原発銀座の地若狭で反原発活動を続けてきた中嶌さんの話は
消費地元である京都市にまで決して届けられることはなかった
あるいは京都市民であるわれわれが耳を澄まそうとしてこなかった
立地地元の壮絶な戦いを伝えるものでした。

中嶌さんの住む小浜市で漁民を中心とした住民たちが小浜原発を阻止した苦闘も
初めて知りました。
これまで小浜に原発がないから小浜は平穏無事かと思っていたのです。
そうではなく、反対派が命を狙われたり、人事報復されたり、営業妨害されたりするということまでされる中で
住民が結束して原発を阻止してきたのでした。

なぜ若狭という狭い地域にもんじゅまで含めた15基もの原発が建てられることとなったのか。
そこにはもちろん原発立地地元の貧しさがあります。
福井でいえば嶺南と嶺北にある南北間格差。
ひいては福井と京都や大阪という消費地元との格差。
それはまさに「国内植民地の問題」であると中嶌さんはいいます。
その方法は武力からお金にはなっても
かつてのアジアでの植民地支配同様に
各自治体に推進派の「傀儡政権」を作り出し
国策としての原子力システムをおしすすめるというのは同じです。

そう、60年代以降の原発推進とかつての戦争推進は全く同じやり口なのです。
中嶌さんの指摘は大変的確でした。
反原発運動の弾圧→反戦運動の弾圧
原発推進の「必要神話」「安全神話」→戦争推進の宣伝、大本営発表
電力消費圏と現地=国内植民地→ 植民地支配と侵略戦争
48万人の被曝労働者→65万人の原爆被爆者
36万人もの災害弱者→空襲からの「学童集団疎開」
脱亜入米・科学技術立国・経済発展→脱亜入欧・文明開化・富国強兵
・・・
そう語った後での
宗教者である中嶌さんの次の指摘は説得力がありました。
今人々が分断され自分のエゴイズムに閉じ込められている状況は
一網打尽されればもはやファシズムに容易に至るということ。
そう、エゴイズム→ファシズム。
私もずっとその危険を感じていました。
これほど原発事故の深刻さをみな認知しているはずなのに、
政治も日常生活もマスコミもそれをまるでなきがごとく黙殺する
という今の異常な事態の中心には
戦後人が追い込まれ、あるいは人がみずからを進んで追い込んできた
壮絶なエゴイズムがきわまっているのだ、と。

原発の立地地元の歴史を知ることは
まさに日本の歴史の影の部分を知ることです。
これは朝鮮半島の歴史を知ることと凄く似ています。
そして国家が原発にこれほど執着する根底にあるのは
やはり核ミサイル保持への意志だ、と中嶌さんはいいます。
50年代に宇宙開発事業団と動燃が発足しますが、
それは歴史の光の側面としてみれば、夢のロケットと原発です。
しかしもう一方の影の側面としては、ミサイルと核。
やがてもんじゅが生み出す軽量級プルトニウムによって
軽量核ミサイルまですぐに実現できるという段階にまで至っています。
この部分は九条の会での話ということもあって
中嶌さんが特に強調してくれたものですが、
しかし私も3.11以後ずっとそのような心配を抱いていました。
大阪市の君が代起立条例などの思想統制、
自民党から出された戦争を前提とした改憲案、
原子力基本法と宇宙機構法の秘密裏の改悪、
あからさまな軍事国家への意志の証拠は枚挙にいとまがありません。
きわまった人のエゴイズムは国家のエゴイズムという怪物へ
変貌を遂げつつあるのです。

しかし何もかも遅いのかといえば絶対そうではないはずです。
中嶌さんも自分の地元に原発が来るまでは
原発に関心を持つことはなかったそうです。
「原発の危険に気づくまでは無関心であってもいい。しかし気づいてからは本気で向き合ってほしい」。
40年の経験から語られるそのひとことはとても重く響きました。
重いけれど、とても重い希望に思えました。

お話の全貌は書ききれませんが
二時間以上もの講演でも全く長いとは思いませんでした。
今一番関心のある原発について、その問題を現場で考え尽くしてきた中嶌さんのお話は
もっともっと聞いていたかったと思いました。

講演会の後は、京都駅前の関電包囲デモに参加しました。美しく輝く京都タワーに見守られ

て、380名もが、紅色の夕空に届かんばかりに「再稼働反対!」の声を上げました。おおぜいの観光客たちが立ち止まって見ているのに、心強さを覚えました。

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2012年7月27日 (金)

連歌デモ事始め

お伝えしたように、連歌デモは、ついに千首を超えました。しかしこの千首までの道のりがどのようにして始まったのかを、じつは私自身がよく覚えておらず、人に説明するのにやや困っておりました。そんな折、先日歌のまとめを作って下さった方が、さらにこのデモの「事始め」までをもまとめて下さいました。大変ありがたいことです。これを読むと、やはり私が「やりませんか」と声をかけたのだと分かります。いつもながら、大事なことを気軽に言って忘れる自分に呆れますが、しかし軽々しいながらも、そこには何か必然性もあったのではないでしょうか。当時は無慈悲にも原発が再稼働されてしまった直後。ツイッターにも漂うどこかうち沈んだ空気に、一つのの火が点じられ再び、言葉が、歌が始まりだしたということだったのはないかと。

事始めのまとめのURLです→http://togetter.com/li/344984

連歌デモ、1000首を超えました!!

連歌デモ、ついに1000首を超えました!!一つの里程標まで踏破したという思いです。参加して下さった多くの方々に心から感謝いたします。引き続き、ツイッター、またこのブログへの投稿によって、共に歩いて頂ければうれしいです。デモは10000首になるまで続きます。一つ一つの小さな歌声が集まり、やがて万葉集の紫陽花が、脱原発の未来へと花開きますように!!

連歌デモの現在までの行程は http://reliance.blog.eonet.jp/default/shikukan.html でごらん下さい。

2012年7月21日 (土)

7月21日京都新聞朝刊「連歌デモ」を紹介した記事が載りました!

京都新聞に「連歌デモ」を紹介した記事が載りました!

7月21日京都新聞朝刊
反原発の意志 31文字に
 短歌ブログ反響
~京の詩人開設 半月で600首書き込み~ 

 京都市左京区在住の詩人、河津聖恵さんがインターネット上に今月開設したブログ「連歌デモ」に賛同の輪が広がっている。反原発の意思を31文字の短歌に込めて発表し、それを詠み継いでいく形式で、開設から2週間で600首を超える歌が書き込まれた。河津さんは「市井の人々の多様な思いがにじみ出ている。万葉集にちなんで1万首を目指したい」と話す。

 きっかけは、河津さんがツイッター(短文投稿サイト)で交流していた男性から寄せられた歌だった。
 〈君の〝声〟聴きしとき君は海を越え北の大地で時に鬱(うつ)む〉
 福島県外へ避難した「君」への思い。歌には「あなたをツイッターで知ったとき、あなたは北海道に避難していた。その土地で時折悩むあなたに、ぼくは何もすることが出来ない」とも書き添えられていた。
 それに共感して河津さんも詠んだ。
〈闇深く〝声〟を灯(とも)して君はいた破壊された言葉の荒野に〉  
 この2首に続いて詠む人が増えたため、今月5日に専用ブログを設けた。ルールは「原発に苦しむ誰かに向けて歌う」「いつか、うたの力が原発を止めるだろうと信じて」の二つ。31文字を一人で詠む、または前の人が詠んだ五七五を受けて次の人が七七を詠む方法で参加を呼びかけた。
 〈人はいさ こころも知らず 原発の 夢幻は 砂上虚(むな)しく〉
 〈爆発を知らず吾子らと並びしを 逃れし京で慟哭(どうこく)する母〉
 〈水田に きらきら輝く硝子(がらす)片 誰も抜けない あの日の証拠〉
 河津さんは「みんなが潜在的に詠(うた)いたい気持を持っていることを、私自身が知らされた。作品数が千になった段階で製本し、官邸や政治家に届けたい」としている。http://reliance.blog.eonet.jp/default/2012/07/post-9dcf.html

2012年7月17日 (火)

7月16日付京都新聞/詩歌の本棚・新刊評

7月16日付京都新聞/詩歌の本棚・新刊評
                                      河津聖恵

 御庄博実氏と石川逸子氏による合同詩文集『哀悼と怒り─桜の国の悲しみ』(西田書店)が出た。御庄氏は医師として広島の被爆者治療に当たり、内部被曝を追究してきた医師。石川氏は通信「ヒロシマ・ナガサキを考える」を、昨年百号で終刊するまで二十九年間発行し続けた。反核を貫いてきた二人が、大震災と原発事故への「哀悼と怒り」をうたい(=訴え)合わす一集。詩の主体は「私」を超えた、類としての感情である。「哀悼と怒り」という感情こそが今、詩のアクチュアルな力の源であると実感させられる。もはや詩とは、原発事故という帰結を生み出した世界の表層的な散文脈に、魂の深みから鮮烈な亀裂を入れる、感情の仕事ではないだろうか。
「そうだ お前を助けられなかった 父は/せめて お前の子どもを/でも どのように/この ぎっちり 原発に囲まれた列島で//夜/ひとりの父親の/嘆きが 怒りが/いらだちが/一つの小さな星となって/この列島をかすかに照らしている。」(石川「ヒロシマ連祷43」)「庭で首をつった93歳の彼女をだれが責められよう/たどたどしい遺書と 愛用の手押し車が残されている/「原発が奪った大往生」とM新聞の第一面 一号活字の重さを忘れない/ひとりのいのちの重さを忘れまい」(御庄「避難」)
 橋爪さち子『愛撫』(土曜美術社)は、散文脈をいきなり破壊したり、切り裂いたりはしない。生活や人生の光景に眼と耳をこらし、遙かな宇宙と自然から照応する何かをふうわりと呼び込む。救いようのない人の営みの姿が、その瞬間、比喩やイメージを介して宇宙に愛撫され、清冽な詩へと変わる。次の詩では、病院の前で開診を待つ鬱屈とした人々を、紋白蝶のイメージによって宇宙的な次元へ美しく救い上げた。
「どの人も/背の羽が剥がれ落ちてひさしい//モンシロ蝶は ときに/何万という帯状の大群になって海をわたる/疲れると/海上に降りて片羽を海にくっつけ/もう片羽をヨットみたいに立てるという//剥がれ落ちたわたしたちの羽もまた/ときに片羽を水に休ませながら/果てしない飛行をつづけているのではないか//伴奏者みたいに常に/わたしたちの耳のそばを夢のなかを/わたしたちの血脈の深みを/原初の星の青いまたたきになって/ほとばしる祈りになって」(「はね」)
 季村敏夫『豆手帖から』(書肆山田)もまた、感情のうねりから生まれた詩集だ。体言止めや音韻の分解による切れ切れとした沈黙と、余白に感じられる息遣いの激しさ。そこにもまた大震災の死者への「哀悼」があり、かれらの死の理不尽さとそれを忘れる社会への「怒り」が満ちている。だが詩人の語る声は、いつしか死者の声と内側から同一化し、静かにうたい合わされていくのだ。
「いたいけなものが/殴打される/うちすえよ/応懲せよ/広場で絶叫する人びと//地ひびきあがる喝采の日/哺乳瓶が吹き飛び/汚物とともに/転がりつづける/(略)/やさしさとか 絆といって/だれかが だれもに/だれもが だれもに/似ていってしまう晴天の日」(「晴天」)
「気づいていたのにできなかった、ならば今から、その考えはかえてください。しがみつくやよい童子を見つめてください。へたれこむ人のそばに座ってください。そこから、考えてください。//六十六年前のひろしま、今のふくしま。し、島々、はなれ、ちかづく、し、ふり、しきる日。」(「ある一日」)

2012年7月16日 (月)

「#連歌デモ」最新情報

昨日、パソコンが壊れ更新が遅れましたが、連歌デモ、現在のところ525首スタンディング、50句肩組み中です! http://reliance.blog.eonet.jp/default/shikukan.html をごらんください。 ‪

なお、本日12時から始まる「さようなら原発10万人集会」(生中継→ )に、連歌デモ参加者が、次の歌を書いたプラカードでリアルデモデビューされます。会場でお目に止まった方は、ぜひ返歌を!・・・→「代々木発 ‪#連歌デモのプラカード付けて明日歩かん我は」‬ pic.twitter.com/RJ2S47SM デモの風景もさらに楽しみになりました!

Demo

2012年7月12日 (木)

「連詩デモ」をまとめていただきました!

「連詩デモ」が開始されて、ちょうど一週間。みなですでに300里(=首)近く歩いています。ありがたいことに、参加者の方が、「デモの様子」をまとめて下さいましたので、ぜひご覧下さい。歌だけでなく、関連するつぶやきも、時系列で収められています。→ http://togetter.com/li/337067

7月11日付朝鮮新報文化欄「冷たい闇の一隅に灯った温かく美しい時間─モンダンヨンピルから手渡された真っ白な心」

去る6月22日に行われたモンダンヨンピルチャリティーコンサートについての記事を書きました(ちなみにこのブログでもコンサートの直後に記事をアップしています→  http://reliance.blog.eonet.jp/default/2012/06/post-682a.html

7月11日付朝鮮新報文化欄
冷たい闇の一隅に灯った温かく美しい時間
              ─モンダンヨンピルから手渡された真っ白な心
                                     河津聖恵

 6月22日、東京の中野で「モンダンヨンピルチャリティーコンサート」が行われ、私も足を運んだ。三時間近くの公演となったが、共に歌い手拍子を取り、笑いと感動のうねりに身を任せて、またたく間に時は過ぎた。単にイベントに参加したというのではなく、自分自身にとって大切な体験になったと思う。

「心の銃を下ろそう」

 モンダンヨンピルは、東日本大震災で被災した朝鮮学校を支援する韓国のアーティスト集団。今回のコンサートは活動の最後を飾る公演である。詳しい内容は本紙で紹介済みだが、私もまた、生徒達の美しい合唱と素晴らしい民族舞踏、心を揺さぶるロックにダンスにフォーク、合間ごとの俳優権海孝氏の優しい人柄あふれるトーク、そしてラストの、生徒も壇上に上がっての大合唱に、魂を揺さぶられ続けた。開場の前から長蛇の列を作っていた観客の一人一人の思いが、歌と音楽に触発され、熱気となってあふれて会場に満ちていくのを感じた。
 コンサートの間ずっと様々な思いがよぎった。舞台の背景に映し出される日本語字幕と通訳のいくつもの言葉が、小石を投げ入れるように心をざわめかせた。「朝鮮学校を知ることは、自分達の歴史を知ること」、「心の銃を下ろそう」、「平和の共同体を作っていこう」─生徒たちへのエールであるそれらは、私の中へもつよく差し込んできた。
 恐らく多くの観客もそのように感じたのではないか。3時間熱気に包まれながら、1200余人の一人一人の脳裡には、朝鮮学校が無償化から除外されてからの歳月が、走馬燈のように蘇ったのではないか。何度も文科省に要請に行き街頭で訴え、希望を抱いては打ち砕かれた日々。そこで痛感させられたこの国の人間性と愛の欠落。その一方朝日に新たに生まれた友愛と連帯の喜び。だがある時は出来事の重さに耐えかね、全てを諦めてしまおうとしたことも…。
 モンダンヨンピルもまた、韓日を行き来しながら、無償化除外を撤回させるために力を尽くし、生徒達と痛みを分かち合ってきた。残念ながらいまだ朝鮮学校に対する理解が進まない韓国で、かれらが活動を続けながら味わった苦労は、想像を超えているはずだ。だがこの夜かれらはひたすら強く明るく、私はただ圧倒された。その歌声も笑顔も、「人間的な力は必ず勝利するのだ」という確信のオーラを放っていた。舞台の前に座る生徒達へ、自分らしく生きることの素晴らしさを全身全霊で伝えていた。私の中にもいつしか不思議な魔法のように、もう一度頑張ろうという勇気が湧き上がった。

「恥ずかしくなりました」

 じつは私はずっと分からないでいた。なぜ韓国の人々が、朝鮮学校にこれほどまでに思いを寄せるのか。昨年私は、権氏の『私の心の中の朝鮮学校』と『ハッキョへの坂道』(『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』のダイジェスト・朝鮮語版)の、ソウルでの合同出版記念会に朗読者として参加した。その際、無償で出演したアーティストの熱演に感動し、かれらが口々に、朝鮮学校の素晴らしさを賞賛するのに感銘した。だがそれだけにかれらをもっと知りたいという気持が募ったのだが、その機を逸していた。
 だが今回のコンサートで、かれらの情熱のありかに、私も一緒に降り立つことが出来たと感じている。それがどんな心の次元なのかは、この日に合わせ日本語版がHANAから上梓された『私の心の中の朝鮮学校』の権氏の言葉が、繊細に語っている。「この子たちは、なぜここでウリマルを習っているのだろうか? どんなに大変だろうか? どんなに心細いだろうか? ただ、恥かしくなりました。」本書に繰り返されるこの「恥(プクロム)」は、朝鮮学校を知らなかった自分を責めるというより、朝鮮文化を守ってくれた学校と生徒に対する感謝と尊敬の感情である。それは、まさにあの詩人尹東柱が詩で表現したような、朝鮮民族の真っ白な心そのものだ。むしろかれらは、子供達の姿に触発されることで、それを思い出したのである。さらに、韓国ではもはや「時代遅れの流行歌」のように忘れられていた朝鮮半島の統一への願いも、新たにしたという。そのように豊かで繊細な感受性に支えられた清冽な倫理感が、モンダンヨンピルの活動を支えている。

「新たな旅は始まっている」

 ひるがえって思う。日本人である私は、かれらに「なぜ支援するのか」と訊かれたらど答えるのか。かれらの「恥ずかしい」に相応するものは、私にも確かに存在するが、それを表現する言葉はいまだ見出せていない。新たな感情を名指すその言葉を、生徒達の姿に触発されることで、模索していかなくてはならないと思った。
 あの夜、この国の冷たい闇の一隅にぽっと灯った温かく美しい時間は、いつまでも心を照らしてくれるだろう。モンダンヨンピルが手渡してくれた真っ白な心を胸に、新たな旅は始まっている。

2012年7月 8日 (日)

#連歌デモ

ともに“歌う”“手をつなぐ”勇気を持つ君の「歌いたい歌」を聴こうじゃないか 

7月5日から、Twitterでおのずと「連歌デモ」が始まりました。
原発反対の意志を、短歌で続けていくという試みです。
必ずしも具体的な作品への返しである必要はありません。反原発の思いから、単独で生まれた作品でもけっこうです。

この連歌の基本的な方向は
最初の一首の声を放ってくれた人の次の言葉が語っていると思います。
連歌デモはこの言葉に触発されて始まりました(ちなみに冒頭の歌はその方の作品)。
「Twitter連歌は、実際にぼくがやっていたことなんですよ。福島県から避難した『一度も会ったことがないけど、Twitter でだけ知り合った女性』を励ますために。」
今、原発に苦しむ誰か(自分他者死者生者まだ見ぬ子孫を問わず)に宛てて歌うこと。
そしてやがていつか、うたの力が原発を止めるだろうと信じて──

原発に反対する多くの方々のご参加をお待ちしております!思いがこめられていれば巧い下手、経験不問です。なおHPアップの際は、全て「よみびとしらず」とさせていただきますので、ご了承下さい。Twitter投稿の場合は、必ずハッシュタグ「#連歌デモx非原発」(xは半角小文字のエックスです。記号の「掛ける」ではないのでご注意下さい)をおつけ下さい形式は短歌、分量は1ツイに付き2首まで、ということでお願い致します。
Twitterのアカウントをお持ちでない方はこのブログ記事へのコメントにてお寄せ下さい。

なお千首ごとに紙媒体の歌集を作っています。編集の都合上、全作品を収録するとは限りません。またこの歌集の趣旨にもとづき、作者への事前の掲載のお知らせは致しませんのでご了承下さい。歌集をご希望の方は 次のアドレスまでご連絡下さい(kiyoe51803291@kib.biglobe.ne.jp

2012年7月 7日 (土)

「ムサン日記~白い犬」(パク・ジョンボム監督)

韓国映画「ムサン日記~白い犬」(パク・ジョンボム監督)を見ました。Musan
感受性の鋭い、根源的な問いかけを触発するすぐれた映画でした。

構成やカメラ回しにも無駄なところがなく、
いつしかこちらの心は
孤独な青年の背中につねに吸い寄せられていました。
ラストはかなり考え込ませるものでしたが、
人の魂を裸形にして蘇生させる、という映画の本来のカタルシスを
十分あじわうことができました。

パク監督は、先日見たイ・チャンドン監督の「ポエトリー アグネスの詩」で
助監督を務めていた人。
今回の映画では、製作・監督・脚本に加えて、
何と主役のスンチョル役までこなしています。

ストーリーは下記をご参照下さい。
http://musan-nikki.com/story/

スンチョルは脱北者。おかっぱ頭で寂しい目の青年です。
映画ではそのこんもりと俯いた背中が印象的。
ああ、こんな人、どこかで会ったことがあるなあと
心がまさぐられるようなタイプ。
監督と一緒にかつて映画の仕事をしていた、実際脱北者の青年がモデルとのことです。
その人は病気で亡くなってしまったそうですが、
だからこそ監督は彼を蘇らせるような気持で演技しているんだなあと思います。
韓国社会というよりは「俗世間」に馴染むことを拒み続け、
白い飼い犬が象徴する白い心を持ち続けようとするスンチョルの孤独は、
私の心にもまだどこかに存在しているような気がします。
彼の所作やまなざしの一つ一つからひりひりと伝わってくるものがあって、
自分の内奥が触発されていきました。

この映画は決して政治的な映画ではないのですが、
脱北者という人々の存在の現実をかなりリアルに描いているようです。
なぜ北朝鮮を出てきたのか
韓国でどのように扱われているのか
そしてそのはざまでそれぞれの魂がどう苦しめられているのかを
この映画は、一人の青年の個の内側から描きだそうとしています。

人は自分が生まれてくる個人的な宿命や国家体制を選べない。
しかし小さな存在として白い心を求めて抗いを続けていく。
誰しもが抱くよりよく生きたいという願いと
それが現実からしっぺ返しを受けた時に反動的に抱くニヒリズムを往還する。
そのような、
社会主義か資本主義かという論議の次元よりも遥かに根源的にある
「人間は人間に必然的な魂の矛盾をどう生き抜くのか」という問いかけを、
深く鮮やかに私の心に残した映画でした。

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