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2012年8月

2012年8月31日 (金)

中国吉林省・延辺朝鮮族自治州をめぐって②8月20日

北京から延吉までは国内線で約二時間。Imgp0357

着いたのは現地時間で夜の10時過ぎでした。
降り立ち空港の荷物受け取り場へ行くと、照明がどことなく暗い。
そして不思議に懐かしい古いコンクリートの室内は
遠い過去の記憶がまさぐられるような匂いがしました。

かつての小学校の教室や廊下はこんな匂いがしたなあというような匂い。
人の生活そのものが放つ匂い。
そう、子供の頃の昭和の匂いがしていたんです。

荷物がベルトコンベヤーで流れてくるのを待つ人々の表情や服装も
まったく気取りがなくて
異国に来た緊張感はいつしかほぐれていきました。

やがて今回の旅で色々一行のお世話をして下さる
小説家の方龍珠(バンリョンジュ)先生と
詩人たちを各地へ連れて行ってくれる運転手役を買って出てくれた
林虎(リムホ)さんがやってきました。
林さんは滞在するホテルの副支配人です。

空港から市内へ向かう車内では056
鮮やかでありつつしっとりとした電飾の美しさに目を奪われていました。
華やかでありながら静かな
美しく輝きながらどこか闇を意識させる
不思議な夢の中のような光景…
(とりわけ私は夜のネオンサインには蛾のように弱いのです…)

あちこちの公共の建物の入り口には
「延辺朝鮮族自治州成立60周年」という赤いテロップが、繰り返し流れていました。
今年9月でこの自治州は成立して60年ということです。
同州の政治と経済の中心都市である延吉には
祝賀ムードがあふれていました。
方々で道路や建物が改修中で、槌音が響きわたっていました。
この電飾の華やかさも祝祭を意識したものなのでしょう。

延辺朝鮮族自治州の成立の歴史は次のようです。
中華人民共和国成立後、
1949年に吉林省延辺専区が設けられ
1952年に「延辺朝鮮族自治区」となり
1955年には「延辺朝鮮族自治州」となりました。
今年の60周年は1952年の自治区の成立を祝うものです。
戦前は清国とその後日本帝国が1931年に建てた旧満州国の支配も受けています。
その複雑な歴史はこの地に大きな苦しみを与えました。
その苦難の大きさは
1917年この地(明東村)に生まれた詩人、
尹東柱(ユン・ドンヂュ)の生涯を辿ってみてもその一端が見えてきます。
それは追々書いていくことにします。
(そもそもこの旅は彼の墓参をハイライトと考えていました。)

ホテルに着くとちょっとした手続き上の行き違いがあり
もしかしたら宿がえするかなあという話にも。
初めての国でやや不安をかき立てられながらも
ツインを独り占めした部屋で
旅の疲れに埋もれるようにいつしか眠り込んでいました。

2012年8月30日 (木)

#連歌デモ2101~2145

2101放射能除去装置を取りにゆくヤマトの民よかの星あれかしと(注:国威発揚の歌ではありません。悪しからず。)

2102ふくいちにいくひとたちにとどけいのりにもにた かえってこいというねがいを

2103国よりも心ははるかユーラシアの同志と結べともに廃炉へ

2104福一という戦場に旅立てる男に叫ぶ生きて帰れと

2105安心を与える為にデマに乗り被曝を増やす愚かな善意

2106崇高とおだてて被曝強要し何故脱原発と声高に叫ぶ?

2107酷暑よと猛暑と煽りしテレビジョン予言当たりて節電言わず

2108周囲との温度差により風邪をひく放射能より世間が怖い

2109再爆発あり得と述べる記事を読みなからん奇跡を願いて祈る

2110集会の帰り横十間の手漕ぎボート5年生の君が傍らにいる気がして

2111分からない去年はあんなに怖がっていたのになぜ何も考えないことに君はしたのか

2112冷凍庫開いて桃に紅(べに)さして振舞うや即産地を問われ(意:種煮た赤いシロップがけの〈桃シャーベット〉、去年から素直に楽しめない夏になっちゃった)

2113体あり心と夢の媒に被曝に使役事為す難く/心より願いの通ず健康はしても放射線奇跡はあらず/笑う顔息する夢の浮世して目の下隈の放射能想いし/蜩の沁み入る夢の夏模様思い出未来とわに過ごして #連歌デモ.

2114残念だが君の未来あると思うなとりあへず進学してとか

2115お茶アイス出汁なにもかも辞書になく3.11 後は古米に塩だけ

2116その汚れすべて背負えと画を描く言葉の消えた土地を棄てよと

2117福島に生まれし人の帰省してにわかに撓(たお)む4号機の影  

2118核利用平和と軍事の境なしかの半島の南北思えば(注:両国は依然「停戦」状態のままですから)

2119若者たちの犬死にと犠牲の上にたつ核利用こんなものになぜ平和と名がつきしか
                                                                               (2118へ返歌)

2120夜明け前の空こそ深き闇に見えども希望に満ちた朝日見る闇夜かな

2121今も昔も夜明け前こそ暗かりき闇夜切り裂く歌こそ詠え(2120へ返歌)

2122闇夜切り裂く吾子の産声に強く泣け強く泣けと我は何度言うかな(2120へ返歌)

2123強く泣け今はただ強く泣けこの夜明け親故言える言の葉は強し(2122へ返歌)

2124この闇夜暗く冷たき夜なれど日はまた昇ると信じたき夜(2120へ返歌)

2125あゝ連歌切なき闇のかけあいにあらためて知るあつきこころよ(2124へ返歌)

.2126右翼の喋った後に左翼の人が まさかあなたの話した後でスピーチするとは と官邸前デモ呉越同舟良いじゃない いのちを守るそれが優先

2127他人事ではない子や孫が連れ去られゆく原発作業

2128正しい技術を持たぬ者に復興作業はきつかろう全国の原発廃炉はどうするの

2129設計者は描く青写真出来る物は赤か黄色の不良品

2130科学とはなんと非力か目に見えぬ放射能さえ明らかならず

2131守るべき家族のありて働ける原発作業員の家族も悲し

2132分かちあい被曝をともにさせんとす原発作業員原発瓦礫

2133原発ゆえに帰郷未定の町にして言葉も悲し「仮の町」構想(悩み深き福島県双葉町)

2134スーパーで忌み嫌われて膿んでゆく桃と目が合う福島の桃

2135向き合うは膿か桃の香かちくちくと諍うなかで実を探しつつ」(意:皆、苛立っている。けど……。2134へ返歌)

2136淡雪にいちごシロップかけてとねだりてこまらせた子らに あたりまえの日々かえしてほしい.

2137淡雪も苺も触味(そくみ)奪われて季語のみ揺蕩(たゆた)う晩夏の朝に(2136へ返歌)

2138生と死を真顔で語りたき今も慰安の笑みに埋もる心根

2139「ガンバロウ」?「絆」がどうこう?空しいね科学報道ないのかよ!

2140百年(ももとせ)の 歪み(ひずみ)の種は 収穫の 象(かたち)あらわし目覚めうながす

2141目覚めたる麦の穂陰に収穫の象を歪め核の塵降る(2140へ返歌)

2142朝顔や藍とひとつに澄む身かなひとの気持ちは別れ散れども(注:藍と愛とをかける)

2143別れ散る人の想いもやがて会うこの闇の空必ずや会う(2142へ返歌)

2144世間並家庭の幸に背を向けてわれ核夫となる自由をも想う

2145脱原発デモの先には何やある政治を変える算段を(*`へ´*)

#連歌デモ2051~2100

2051私(わたくし)の腕に疲れてねむるちいさな子よ忘れないで笑顔と勇気を

2052君の手に手を重ねて歩むよ 闘い方は違えども 君もまた未来を願う同志だから

2053現在この時に絶望の淵を歩く者たちに寄り添う心根あらば闇も明けように(2051と2052へ返歌)

2054放射能驟雨に流れ行く先の淀みの魚の食卓の美味

2055半ば溶け匙を立てるやしゃりしゃりと悼みと涼を氷菓“声”にす(注:3.11以来氷菓のたてる音でさえも悲しい。).
....
2056涼求む小旅行先より便り歌無し翌日(よくひ)のデモが歌詠ませ(意:〈連歌デモ〉って、つくづく市民デモだと思う。)
.
2057世の中はこんなものよと追随し泣きを見るのは我が身なりけり

2058アイナメはあれかこれかの違いにてあれは食材これは猛毒

2059正道の取り澄ましたるしたり顔ヨノナカァソンナモンデアラスカァ

2060新聞もテレビも止めてツイートチェックそのほうが世の中わかりやすい

2062君の体の中にあるよかれと思う本能(さが)が凶器になる濃縮という名前の暴力.

2063青白き臨界のひかりなぜまた人の運命(さだめ)を狂わせるのか.

2064いづれのち平和の意味を知るでしょう 核の惨禍のかの国も朝焼けの鮮やかな国もまた

2065驟雨きて稲妻ひかり声もなく(すべて流れろ)(流れ去りゆけ)
.
2066言の葉の響き揺れ往く愛の夢いのちの全て繋ぎ集いて/もの欲しく裏表とてこの世夢いのちの大きく愛に満ち溢れ/独り往く愛の響きの連れ添いに全ての命深き呼び声/生きる夢溢れる愛の祈りして罪穢れをも抱きしめられて

2067格別の事をせむとて忌むは暗し 松明(たいまつ)が是れ政(まつりごと)なり
.
2068汝(な)が肝に日輪ひとつ染め抜かば恐るもの無し世界ぞ同胞(はらから)

2069耐へ抜きて一仟二百有余年変はらぬ物を変へむとぞ思ふ

2070晩夏なれど憤怒のマグマ身を灼きて 赤き涙の瘡蓋(かさぶた)を剥ぐ

2071子どもらに残してゆくのが悔やまれる原発拡散許せし我ら

2072 嬰児はすべて許せり抱かれる君の笑顔に笑顔で返す(2072へ返歌)
.
2073熟練の技術者減りぬ全国の原発作業員のいのちも惜しむ

2074産地見てため息一つで菓子戻す子らに漂ふ諦め悲し

2075自滅の道よりも生きる道を探したい立場は違えどあなたとともに

2076子どもらに手渡したけれど故郷の 海山川は放射能にまみれぬ.

2077粛々とこの国のひと従いぬ原子力政策破綻はすぐそこ

2078ひとの手に余る物をば作りだし恩恵受けるは誰にかあらむ.

2079食(じき)求めむずがる子にゆめある時を渡したい生きるとは食べることだから

2080来たるべき明るい未来の核融合「あれ使おうよ」と空を指さす

2081海越える猛者ありてこその新大陸されど故郷は長閑なりけり

2082宇宙(そら)越えるためのみにあれ原子力故郷の星長閑なままに

2083原発の立地条件満たす土地?あるよ。火星か月の裏なら(注:ホントどっか余所の星でやってくんねぇかな)

2084紫峰の頂きがたくさんの街を庇うように死んだ3.12

2085ホチキスが一本みつかりゃ全回収ほら入ってないでしょと言われてもねー
 
2086けばけばが嫌いと一応いっておく。産地偽装でなんだかわからん

2087カネありて人無き土地に死の光命なくしてカネは無価値

2088無関心捨てて守ろう孫の夢己の子孫無上の宝

2089子の笑顔守るは大人の務めなり見えざる脅威を隠す輩へ

2090「短歌が政治を歌うのは危険だった」の論調に深夜秘かに激しく怒る

2091人麿は政治を詠いぬ防人はふるさとおもいていくさをなげきぬ(へ返歌)

2092なきがごと強弁しても歴然と汚染はありき五輪は笑止

2093現実を見据えることの恐ろしさ次第に育つ脳内目蓋

2094汚染されし木の実なれども山のけものにせめて今年の豊作祈る

2095原発もガレキもACTAも要りません笑って暮らせる世が欲しい

2096明日もまた笑い暮らせることもなく3.11後の時間は流れる(2095へ返歌)

2097原発を止めんがために我歌う子どもたちよと我歌う

2098嬰児(みどりご)の目が我の顔じっと見る無邪気さに 妻は涙す被曝をさせて申し訳ないと

2099働けば働くほどに悪貨産む汚れちまった歯車の気分

2100地は汚れ空張り裂けて水澱むとも荒地に刻め吾は生きると

#連歌デモ2000~2050

2000蔦(つた)の葉のごとくしたたかに絡み枯れてもまた繁らせよ核の悲劇繰り返さぬためにも

2001蔦ならばどこにでも這うて生きてゆくそのしなやかさで生き抜け子らよ(2000へ返歌)

2002病葉のごときものかな人ひとり消えゆけどヒト在り続けたるらむ

2003病葉のやがて幹から根にいたりヒトとて姿を消し行くものを(2002へ返歌)

2004病葉は自ら落ちて樹を守る守られて哀しむ一心同体(2003へ返歌)

2005ミルク飲む嬰児(みどりご)の無邪気な姿に己が知らされぬこと無知なことに怒り覚える

2006亜州起つ為が捨石となる覚悟もって核の墓場に挙手をや

2007十兆円の核燃サイクルの欲にまみれ原発を死守したい(らしい)グループの闇

2008ひそり咲く美しき花よあなたは知っている わたくしたちの愚かで無意味なあらそいのいみを

2009今もなほ原発殖ゆる大陸と列島小さき島を争ふ

2010政治的判断というその前に従うべきは命の倫理(2009へ返歌)

2011大飯志賀玄海伊浜川内も福一目指す自由競争

2012ピーマンの空洞剪つて立つ風のいよいよ軽き大臣の言

2013一国の総理になれど千葉県の駅頭でぶつ如きスピーチ(2012へ返歌)

2014かなかなの夕べ岬の沈みつつ大飯へくらげ集ひ来る頃

2015今日も声揚げし我らは明夜(みょうや)の旧暦(くれき)の七夕見据え“歌”研ぐ(意:火に油を注いじゃったね。野田総理、菅前総理)
.
2016微笑みて叛旗掲げる友がいて研ぎし歌あり放つ歌あり

2017通辞なき異邦人(とつくにびと)との会話かな野田の耳に念仏虚し(注:反原連と首相の面会)  

2018死なせないその言葉をたったひとこと君に伝えたい君が生きたいと願う限り(福島の子供たちによせて)

2019下々に馬脚を晒した大メディア 3.11以後はなりふり構わず(by 制作下請け)

2020為すべきは避難すること守ること子供のために傷負う互いで

2021老医師が原爆から被曝を見つめ悟ったものはウチナンチューと同じヌチドゥタカラなり.

2012水俣の毒 一心に背負うて骸になりし児のいのちに誓わん この事実を風化させじと

2013名などなく番号で扱われし児のいのちをなぜ忘れられようか おのれの身代わりに死に至ったと知るならば

2014たくさんの児ら水俣の十字架を背負いて生まれけむ 大人はそれを知らぬ仏罰といいて

2015凛としてすすみ入りたる官邸で枯れずに萌えよ紫陽花の群れ(注:断固支持:首都圏反原発連合=官邸突入(きわめて平和的な・・))

2016大地に根を茎に葉つぼみとはぐぐみて祈りをかたちに紫陽花の群れ(2015へ返歌)

2017凛として花を咲かせり紫陽花の季節巡りて大輪となる(2016へ返歌)

2018経済(しのぎ)より生命(いのち)は軽(かろ)し福一に櫛比するのは見えざる墓標

2019渋々と「大きな音」に会う総理「ことば」を受けて瞳泳がす

2020会談は平行線でもかまわないあとは選挙で我らが決める(2019へ返歌)

2021われわれの声を「音」と例える野田総理次の選挙で落としてあげよう(きっと大きな音がするはず。2020へ返歌)

2022福一で山ほど浴びた放射線死してもなしや因果関係 (急性白血病で亡くなった作業員の方に)

2023水俣の漁師はうおを喰らいけり水銀入りてうまかと笑い(注:石牟礼道子『苦海浄土第二部』より)

2024経済が先じゃあない目の前の小さな子どもを食べさせて笑い声を聞くために私は生きてる

2025ここにまた棄民のためしありにけり治らぬ者はリハビリ停止(注:『言霊』多田冨雄・石牟礼道子往復書簡集より)

2026敷島の大和の国は美しの国放射能にて穢してはならぬ

2027悲しみは悲しみであり涙落とせ怒りは常に身の内にあり

2028亡くなりしは父兄弟息子なり彼の命の散るを悲しむ

2029まろやかな塩味欲す夏のデモ塩飴転がし歩く力へ

2030塩飴を君はすぐ齧り「次の味!」夏のデモでは皆が塩飴」(2029へ返歌).
.
2031食べ物が無いなら車を買えばいい財界人は民に呟く

2032永遠は変わらずあるも儚きにこの世の夢の輝きすれば/愛忘れ愛の中にて恐れ往く呼び声聞くや愛を報せて/祝福の世の中忘れ崩れ往く心の夢のいのちの祈り/時流れ未来の姿幸せの想いは同じ愛の絆と

2033きみの手がいのちの重さ確かめてわが子抱けること切に願わん 福島の悲劇知るゆえに

2034時きぬと目にはさやかに見えねども「大きな音」に牙城も揺らぐ

2035老いてなお被曝と向き合う医師のまなざしに 原爆の惨禍に巻き込まれし方たちの命を問う眼差しに見えて

2036闇に葬られし誕生(流産・死産)をなぜ受け入れられようか たかが核開発や電気のために

2037電気より大切なものすべてなり生命を削る核発電(2036へ返歌)

2038議員バッジをガラスバッジに付け替えてふくいちにゆけ税金泥棒 

2039歩む人涙嘆きも絶望も変えて未来へ安らぎの国 

2040始まりは小さきものと弱きもの崩壊はゆく生き物すべてに

2041旗振りて海の孤島は守りしに福島落とすな忘却の淵へ

2042ふざけるな脱原発なるお題目半減期と期限を競うか

2043人生の右も左も識らないで思想の左右を論じる右の児よ 愛から始めよ世界が変わる

2044福島の悲劇は隣にあるものぞ水色の箱パンドラの箱

2045生きる智恵求めるひとの少なしを現代という言葉に隠す

2046現代の防人ならむ防護服特殊マスクで君らは闘う

2047議員バッジをガラスバッジに付け替えてふくいちにゆけ税金泥棒

2048ヘリウムガスと抵抗の歌詰めて高く揚れやま白きバルン

2049悪夢ではなくこれは現実魚も茸も次々と自然の恵みが禁忌になる国 福島の桃を野菜を牛肉をすべて購え為政者たちよ

2050綱引き大会最後の参加に集まりし各地に避難の浪江町の子ら

#連歌デモ1951~1999

1951地蔵ほど慈悲深き菩薩なし 闇にさ迷う人すら救うと佛亡き後を任される菩薩なり おのおのの心に宿る優しき心を照らし出す 菩薩のような慈悲のひかりで福島を照らせ

1952さらば我慈悲の水面に漂ひて子らを守りぬただ人なれど(1951へ返歌)

1953この蒼き空三日月も輝きぬ 同じ風吹く福島清し

1954一筆に民の名記す署名簿は民を害するものに迫るを

1955 我が名持て子どもを守れと名乗りしは地蔵菩薩の化身にありぬ

1956真正に略奪されし領土とは永遠(とわ)に戻らぬ福島ならずや

1957炎天の地を駆け抜けり鬼子母神追われし民の無念背負いて(注:先頭で頑張りぬいた一人、上越の橋本圭子さんはじめ県内どこでも女性の皆さんが主役の全県運動、初の「原発」県民投票に向けて「たたかい」はまだまだ続く)

1958虚勢張り国の防衛宣するも民は見棄てり汚染の奈落に

1959どこからも火の手があがる原発に六万筆の民意も参じ(「原発」新潟県民投票の実施実現目指して健闘した皆さんに)

1960量よりは質なりと云う理は在れど六万筆の造反有理(注:6月からやっていた「原発」新潟県民投票の署名運動 まだ終わった訳ではないけれど、6万筆以上を集めた。成功させよう。「みんなの会」の皆さんに敬意を表します)

1961国すがた語る虚しさなぜならば人の血あらず暮らしもあらず

1962被爆した牛たちが生かされ草を食む絶望の町の「希望の牧場」

1963繋がれぬものにしあれば青々と夏草の中駆けゆけいのち(1962へ返歌)

1964土地土地にひとの愛あり言葉あり 中央と驕り高ぶることの浅まし

1965当てのなき旅路なるかな命さえ既に形を見失ひたり

1966終わりあるいのちゆえ 真実を語り継がむ 碧い惑星(ほし)のあまたのひとが生き残るために(1965へ返歌)

1967大切ないのちすら無意味と無視する現在(いま)のまつりごとを 怒りとともに過去の繰り返しかと嘆く今日もまた(1966へ返歌)

1968失われたいのちに問うならば生きる意味を問うてみて 生きてほしいとささやくから(1967へ返歌)

1969我がいのち誰のためなり何のため生きてゆくのか知る為生きゆく(1968へ返歌) 

1970死は常に親しく身近に寄り添ひて微笑み絶やすことぞなかりき

1971真夜目覚めまだ息あるを思ふだに申し訳なき心地こそすれ

1972この身とていつか朽ちゆく定めゆえ内にすべてを抱きつ歩まん

1973七夕の夜や数多の星々のひとつひとつが吾らが願ひ 

1974短冊と筆ペン渡し女性(ひと)の衣に「〈まんとくん〉?」「いいえ。子は博多へ」(1973へ返歌)

1974原発は事故ればそのまま処分地よその覚悟で誘致してんの?

1975わたくしの命の器に注ぎこまれし凝縮された君の命の水が 刹那とともに足元を濡らすとき 被曝という見えぬ傷跡をなぞるかな

1976鹿児島に西郷隆盛ひとありて座右の銘は『敬天愛人』(鹿児島県民に寄せて。1977~1979も同じ。)

1977台風の銀座となりて桜島噴火の害に耐えてきた民

1978薩摩には川内原発既にあり大隅までも汚したもうな

1979外様には外様の意気あり心あり地方自治の闇を拓けよ

1980夜空にきらめく星々のようにあまたの人たちの心に宿る星は平和を求める限りない数なり

1981人材は人財なりぬ人災の波に呑まれて灰塵と帰す

1982この地球我等は借りし者共ぞ長きを思わば原発止めよ

1983夕焼けの空に三日月地にはひと月も頂点後押しをせむ

1984汗に濡れ涙に濡れぬ金曜日ただびと達の哀しみを聞け

1985子どもらの未来を全て呑み込んで肥え太りゆく原子力産業

1986今まさに君を戒むデモありて何をか言わん福島語れ

1987昨日まで正気の沙汰でなきことに悪夢の明日はみなが熱狂(注: 戦争を推進することに加担し、後で「騙された」と言ったのも国民)

1988辺境をつくりし中心妄想よ汚れを島の端に押しつけ

1989なにをして中心というこの国のあらゆる場所が中心のはず(1988へ返歌)

1990中心や都心に心はあらずきと思へる今宵七夕の空(1989へ返歌、伝統的七夕の日に)

1991無意識の波の間に間に漂へる水母は海の意志の憑坐(よりまし)

1992海月には思想なきと言われども海が意見を伝えに来にけり(1991へ返歌)

1993パパに電話してとねだる君の顔がすこしだけ彼の顔に重なって見える蝉時雨の午後

1994委員会規制どころか焼け太り原子力ムラの牙城堅固に

1995水俣病イタイイタイ病ヒ素ミルク またも企業の欲のため被曝す

199640年経て悲しみの繋がれり水俣の苦しみ福島の苦しみ(1995へ返歌)

1997公害の歴史に悪名連ねるは常に国県行政なりき(1996へ返歌)

1998無人町碧空かなし影呆けただ風渡り澄み切るのみぞ 

1999苔の庭光が融ける影融ける現世の毒も融かさざるかと

#連歌デモ1901~1950

1901闇いよよ深くしあれば一筋の光射し込む季の嬉しや

1902福島の幸は我らが決めるにあらず 共に生き抜く未来を描く

1903何もかも想定外と言い抜ける己が身のみは安泰として

1904明日しれぬと思い今日をなにげなく過し未来の仕事を受くる

1905きみのこころがだれにもとられぬようにいまはまもるよ いつかえみがうかべられるように

1906てぃんさぐぬ花(ホウセンカ)のようにこころに染めたい ひとのいのちの意味 尊さを

1907内部から腐り始めたこの国に何処まで群がる魑魅魍魎

1908魑魅魍魎たち蠢く世に闇は深くあれども信じたいひかり輝く明日が近きことを(1907へ返歌)

1909ふるさとを追われしものの悲しみをふるさと持たぬ女が想う

1910この国に勢いがあれば断固たる覚悟で汚染封鎖したでしょ

1911関開く佞臣いて外圧などほんの少しで国滅ぶ理

1912ふくしまの幸みな奪われたりと嘆く世になどて無人の岩山を思うらん

1913テロならば戦争ならば標的に発電騙(かた)った自爆装置

1914はからずも生きた見本をまのあたり巧言令色少なきかな仁

1915クムイウタ(子守唄)の言の葉に込めた子への想い知れば隣の国も同じだと思えるのにね

1916小泉に衆愚踊った夢芝居またも懲りずに維新ブームか

1917維新とは己が身を捨て成し遂げた 関電ごときに負けて名乗るな(1916へ返歌)

1918自民党原発濫造に頬被り政権復帰即推進か

1919むずがるきみのためにでんでらりゅうば歌おうね こわいものは出てこん出てきたくとも出られんけん

1920長じても尚吾子のせがみけん 母そのまた母の唄いし子守唄 (揺りかごの夢に白い月がかかるよ ねんねこねんねこねんねこよ) (1919へ返歌)

1921空港について見ゆるは桜島緑深き南国の国

1922甑島深き蒼の海なりて魚と戯れ波に涙す

1923旨い物自慢はかるかん白熊黒豚知覧茶忘れじの薩摩揚げ

1924鹿児島の人の情けの篤ければ再びまみえん鶴丸城にて

1925知覧には黙して語らぬ若人の「聞けわだつみの声」平和を夢見て

1926どの子にも父母あり友あり幼あり生きる望みを託されけにきり

1927戦争にあらずや政争具となりて町の情けの割るるを悲しむ

1928大隅のいのちは民のものなりて触れずば子孫の宝となりぬ

1929響くときいつも嘆きの海神(わだつみ)は万葉昭和そして福島

1930辺境をつくりし中心妄想よ汚れを島の端に押しつけ

1931そこかしこ蘇生の力溢れ来よいざ衰頽の島を潤せ(1930へ返歌)

1932新しき目をもて立ちぬ絶望も失せよ辺土に力漲れ(1931へ返歌)

1933流氓となるやもしれぬ島人の希望は小さき隅々に棲む(1932へ返歌)

1934被曝の惨禍にいる人 流民になり生きる人を 人よわすれるな国よ忘れるな(1933へ返歌)

1935この惑星(ほし)の青さは国を越えても同じ青さ ひとの祈りもこころもなみだも同じごとく

1936ひとなれば赤き血潮のあふれけりその熱を持て変えゆけ世界(1935へ返歌)

1937ハングルの文字にも沢山の祈りと愛の言葉あり きみもまた平和を願う同胞なり

1938故郷は身の内にありこころありいずこにありても血が懐かしむ

1939諸々の思いは胸の奥なりや声を一つに叫べや今は

1940方法は違えど同じ熱さにて全国に広がる金曜日デモ

1941去年の夏心まだ乱れ“この夏”に歌と歌とに出逢い舞い歌い

1942あのお空はどこまで続くの?と尋ねる子に 避難で離れたおうちにもと答えるかな

1943古里(コリ)でまた原発とまりし報せ聞きふと思う 若者よ原発のためになど死ぬなよと

1944震災と原発危機とは別物と分析して悦に入る旧き人あり

1945最初で最後の大きな願い君と叶えむ原発なき世を

1946いつの日にかその大きな夢を叶えし君にそっと手渡そう 福島の涙から学んだ核のなき世の中を(1945へ返歌)

1947竹島も北方四島樺太も国境変われど大地は生きる

1948核汚染大地死しても福島を塗りつぶすまじ日本の地図から

1949人だからこそ深き痛みに思いをはせられる 心に泪と怒りをためていつしか意思を貫くなり

1950キャンドルに亡き闘士達も集まりぬこんな日本に誰がしたかと

#連歌デモ1841~1900

1841核を弄(もてあそ)ぶ大国の野心に核の悲劇つきつけたい 住めぬ大地と化したあの日の悲劇から思うこと

1842焦土と化した広島から見えぬ悪魔の爪痕探す運命(さだめ)負った医師の言葉にいのちの重み知る

1843底知れぬ泥より花を結ぶこと蓮の如くに大熊ならん

1844伝来の土地にしあれば捨てられぬ故郷という響きの哀し

1845まず謝罪そして反省罪償ういずれも出来ない東京電力

1846産業が危ない次は学問が廃れるという原子力ムラ

1847君が声我が身に届く今日ありて福島思うこころつなげん

1848呟ける死ねばいいのに簡単に死ねるひとなく死ぬるは悲し

1849反核を訴え続けたこの思いいつかは届け人の心に

1850どけゴルァいつかは歯牙にかけてやるイカす俺様の白いRV

1851またデモー?! わたし信号渡りたいのに何このひとたちしねばいいのに

1852キエフより汚染の酷いこの街にかげろうの命いまさえよければ

1853〈季語〉のみの季節逃れて土地離れ「おもろいおっちゃん」に出逢えて夏が

1854違いはあれど同じ空の下で生きているそんな気持ちになれたなら核を持つ野心や不安もなかろうて

1856屋根越しに響きぞとどく遠花火連歌つなげし詠み人おもう

1857桃果ある卓の白昼翳淡く唇ふれてよしやなしやと

1858蜩や天に崖ある日暮れどき集いし影とまけぬ声あり

1859色容(いろかたち)花は年々相似れど同じからずやこの惑星(ほし)の今

1860向日葵の空に向かいて今朝咲けど恨むが如き空に眼差し

1861花に葉に根にまた茎に愚かなる人の創りし毒蓄えて

1862人の世に原発要らぬ核要らぬ群星の如歌を連ねて(注:ひさかたに甲州の満天の星の下で。1863と1864も同じ)

1863自が為詠いし歌が拾われて銀河を創る塵の歓び

1864かにかくに瞬く星の多けれどたった一つの愚者たちが星

1865旧暦の七夕の夜の星星に見つめられているこの星の現在(いま)

1866星星に願いは言うな今はただ悪魔の竈明日こそ絶やさん

1867たかが「領土」このクニの幾多の民の明日をこそ護れ

1868暗き夜にも電子の風は運びくる数多の想い籠めしその歌

1869人を愛す想いが故に人詠う対極に立つ炉は要るまじと

1870人も郷土もクニさえ殺し続けんや悪魔の燃やすその暗き炉は

1871行水とともに夜濯ぎしぼり水蒸し暑き夜もここちよきかな

1872 握りたるこの手の中に入りたる 子どもらの笑み壊すまじ我

1873南相馬の享平医師(せんせい)闘うは放射能汚染とお役所仕事

1874自らは抗がん剤治療を受けながら子どもを守れる明日を目指す(1873へ返歌)
1875 きみとともに未来の絵を描きたい この惨禍を生き抜くために 未来にいのちつなげるために

1876君もまた未来に蒔かれた大切ないのちだから伝えたい 核の無意味さと核に弄ばれる怖さを

1877厚顔は専売特許メディア顔エログロ込で秀吉じゃ

1878老いてなお被曝の臨床に立つ老医師に医師の姿と気骨を教えられ.

1879愛の意味なぞらう時にあなたといたいと願う 核の傷あとに毅然と立ち向かう朋友(とも)だからこそ

1880幼子をモルモットと化す狂医師がよもや現実(まこと)に存在せしとは

1881幼子のいのちより名誉に走る医師たちよヒポクラテスの誓いを忘れたか(1880へ返歌)

1882微かにも響き無きしや色香りいのちの運び病むべきやと/とてもして遥かな響きとわいのち儚き浮世断ち消え行方/私来て私亡びて私成るいのちの行方愛の儚きに/留め往く愛の響きに一つ夢自由と平和真実叶え

1883不可触の建屋に来るやまた津波祈る以外に手だてはなしか

1884関電を敵に回して人気取りヤバくなったら再稼働OK

1885亡き殻と病気の子供を盾にしてそこまで儲けて逃げるとこあるか

1886消費税あげて被ばくもさせてみて負担は全部庶民に丸投げ

1887核兵器たくさん持ってるとえらい国これから持つと袋叩きさ

1888原子力世界中みな支配して病気も死者も知らぬ存ぜぬ

1889宇宙から放射能いっぱいきてるから俺が瓦礫を燃やすのOK

1890市民らが言うこと聞かねえうっとおしい大阪捨てて国を支配だ

1891府庁舎の耐震性がやばいので移転したらば地震で壊れた

1892デモするな俺の評判落ちるだろ俺が選挙で勝てないだろが

1893瓦礫でも燃やしてやろう市民ども俺の野望の邪魔だてすんな

1894我が身など捨て去りたくなる今日ありて 子らの明日の為に生きゆく

1895台風の襲来多きときなりて原発建屋の無事を願わむ

1896真夏日を乗り越えたまいし同胞の節電の努力原発不要

1897転ぶなら一人で坂をゴロゴロと なれど子どもを盾にする醜悪

1898政策もさながらコスプレ某市長脱原発も着脱自在

1899鴻毛の羽より軽き言の葉に言霊の国の荒れるを嘆く

1900困民の頭上を滑る言の葉の枯れてからからまろびゆくなり(1899へ返歌)

#連歌デモ1798~1840

(注:前記事の1789~1800は欠落していた867~869へ移動しました。)

1798それぞれの願いとどけるパブコメに原発はゼロの87%の意思

1799政府期待の原発15%は民意にあらず僅か1%の支持を得るのみ (1799へ返歌)

1800なぜここまで日本の人を煽り歪ますのか十有余年前の書籍に問いかける

1801停めるのみそれしか我ら出来ぬれど“負”の火を二度と弾けさせまじ(1723「原発をゼロにしてから死にましょう我ら大人の後始末」)

1802青き灯に突進やまぬ蛾の本能我が遺伝子も受け継ぎたるや 

1803(返歌)来て(返歌)に(返歌)うたびとの化学反応座の力かも

1804やわらかな息は部屋には戻らない病の種を隠すあいだは

1805まっすぐな息はマスクに屯して夏を病んでは秋の佇む(1804へ返歌)

18063.11この災いに観て取れり原発すすめる悪の枢軸(by 凡人大衆).

1807あおい けんと さくら そうた ゆうなと子供たちの名前で考えてみて 被曝の悲惨さが嫌なくらいわかるから.

1808こころの奥に 誰しもがしまっているきれいな一輪の花 どうかその花を核のために枯らさないで

1809優しくて全てを包む愛の中とわに変わらぬ夢を見つめて/果てしなき進歩の夢の浅ましきいのちの価値を量り数えて/科学して自然のいのち畏怖するや置き忘れらし愛の在り処を/祈りして言の葉揺れる吐息して魂からの響き亘れと 

1810待ってたんだねあの日もきっとお留守番だと思って ちいさな骸になった子に謝ることさえ酷すぎて

1811あれに慣れこれに慣れたり震災後子どもの笑顔の明るさに慣れず

1812その上の放射線技師の誇りなるガラスバッチを子らがつけゆく

1813子どもらの上に降り続く放射能ガラスバッチは冷たく量る

1814老朽も活断層もお構いなし踊り続ける死の核ダンス
1815政治色映るが蹴るないたづらに我が身かわいく流れ見る間に

1816流れ見て竿さしている過信あり時代は移りぬ滝壺目前(1815へ返歌)

1817被爆した牛の白骨累々と野犬の漁るは正に地獄図

1818野犬といふ呼び名は哀し昨日まであなたやわたしの家族なりしを(1817へ返歌)

1819せめて生きて欲しくて鎖外したの野生の力のあるを信じて(1818へ返歌)

1820原発さえなければという福島の声原発さえなければ原発さえなければ

1821真紅の布も雪の如く白くなると いう言葉さえ慰めにならぬこと知る初秋 (注:聖書のイザヤ書の一節から).

1822物づくりひとの暮らしを良くせむとたどりし果てが原発爆発

1823再稼働の関電の罪は未来への罪電力あまるこの年の夏

1824見えぬものにてあれば畏れ敬う国民なれば放射能恐れる

1825永遠という言葉あり形見ゆるオンカロという核の処分地

1826流れ見て竿さしている過信あり時代は移りぬ滝壺目前

1827桃果にいのち注ぐひとの心見るたび思う核とは共存できぬと きみに食べさせたかったよ 福島と茨城のうまい米を 塩さえあれば何もいらないという米だったんだ

1828桃果には固き種ありその中の柔らかな未来守り育てる(1827へ返歌)

1829桐の葉や斜陽の中で落ちにけり誰がためなど知らぬ顔して

1830地元の祭礼に足遠のきて緋と白は宵の心の宮で舞い(意:「やめろ!被曝させるな!」とは言えないけど、地元の神社の祭礼……、行けないよ。やっぱ)

1831おまかせの民主主義とはさようなら原発しかり基地しかり

1832帰り往く愛の響きに想いして誰も棄てるないのちは光/還り往く愛の呼び声響きしていのち豊かな秋は近しと/返り往く儚き夢の残照を一息の愛とわに流れと/そして往く誰しも同じ愛の中光にとわに全てに統べて

1833オオフクシマ…青き瞳は哀れめりジャパン?に頷く小さき我を(注:中国・延吉の食堂で、ロシアの若い女性二名がテーブルから立って声を掛けてきた。1834も同じ)

1834「グッドラック」ジャーニーならずラックなり後で気づきてふと立ちすくむ

1835廃棄など考えもせぬプロジェクト後戻りせぬ公共事業
.
1836我が国は神国なれば滅ばぬと思いおりしか導きし人

1837汚染されしアイナメの恨みはらさんとクラゲ集いて配管塞ぐ 

1838他人事 対岸の火事 傍観者 無関心こそ原発の温床

1839原発に寄生し肥える人々に規制ゆだねるわけにはゆかず 

1840夜空に咲く花よこころに咲く花になれ 平和願ういにしえの人たちの想い忘れぬために

2012年8月29日 (水)

中国吉林省・延辺朝鮮族自治州をめぐって①

8月20日から27日まで、中国に行ってきました。
中国東北部の吉林省・延辺朝鮮族自治州にある都市延吉に滞在しながら、
同市を基点に周辺の地を巡りました。

在日朝鮮人の詩人である丁章(チョン・ヂャン)さんのご一家4名と
『空と風と星の詩人 尹東柱評伝』(宋友惠、藤原書店)の訳者でもある詩人の愛沢革さんと私の、
総勢6名での旅となりました。
延辺朝鮮族の詩人たちとの交流も深い丁章さん、
中国語の堪能な奥様、
そして朝鮮語の堪能な愛沢さんには
本当にお世話になりました。
私も朝鮮語を習い始めて一年以上経ちますが、
なかなか身につかず、今回も通訳して頂くばかりでした。
今回語学の必要性があらためて身に染みて分かっただけでも
収穫だったかも(苦笑)。

さて今回は以上の大変心強いメンバーとの
様々な言葉と思いを交わしながら彼地の文化や自然や人の心を感得する
大変濃厚な旅の時間となりました。
朝鮮族の聖地であり、中国の名勝地の一つである長白山(白頭山)。
戦時中日本に留学して亡くなった詩人尹東柱の故郷である龍井と明東村。
中国と朝鮮との国境地点である図們、
さらにロシアとの国境でもある防川。
そして朝鮮族と漢族と他の民族の共生する延吉のダイナミズムも、
詩人や作家や一般市民の方々と交流しながら
じっくり堪能することができました。

さて、出発日の20日は折しも国際情勢的に厳しいニュースが報道された日です。

Imgp0833日本と中国の双方の新聞の一面は右のようでした。

この日までも事態は緊迫化していてこうした事態は予想されたことでしたが、
いざ自分が行く段になるとやはり不安はよぎります。
しかし、北京行きの中国国際航空の飛行機は
日本人ビジネスマンで一杯でホッとしました。
乗り換えで降り立った北京でも「ようこそ」の日本語を見つけてさらに安堵。
ちょっと神経過敏すぎたようです。Imgp0355

日本にいて報道だけを聞いていると中国の印象は恐ろしくもありますが、
市井の人同士が出会わなければそれも無理ありません。
どんな国と国にせよ
互いに国家という制度だけを前面に強調しあえば容易に戦争に至ってしまう。
相手が同じ地平に立って泣き笑いしている存在であると現実的に認識することは
とても必要だと実感しています。
今回はそんな出会いがいくつもきらめく旅となりました。
このブログで少しずつ綴っていこうと思います

2012年8月20日 (月)

#連歌デモ アップ一時中断のお知らせ

本日20日から27日まで在中国です。それで アップは一時中断します。この間投稿数が多ければ別にストック頂き27日以降私迄お送り下さい。尚akira0000kさんがでまとめて下さってますので上記期間の閲覧はこちらでお願いします。

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