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2013年2月

2013年2月26日 (火)

【お知らせ】『#連歌デモ』第三巻が出来上がります

『#連歌デモ』のお知らせです。

第二巻からやや間が空きましたが、来月、第三巻が出来上がる運びとなりました。
奥付の日付は3.11としています。私たちの「デモ」にとって、いわば出発地点ともいえるこの日付の前後に仕上げてもらう予定です。

今巻には、昨年の八月末から九月末の一ヶ月間(野田内閣での「原発ゼロ」への失望感が拡がった前後)から千首を収めました。この間に起こった出来事の年表も巻末に付けましたので、歌を読みつつ、そこに歌われた内容の背景を思い起こすことが出来るかと思います。

ご希望の方はkiyoe51803291@kib.biglobe.ne.jp まで、冊数と送り先を明記の上、ご連絡下さい。

なお、送料込みで1部800円となっております。多くの方々に読んでいただければ本当にさいわいです。

2001蔦(つた)の葉のごとくしたたかに絡み枯れてもまた繁らせよ核の悲劇繰り返さぬためにも

2104淡雪にいちごシロップかけてとねだりてこまらせた子らに あたりまえの日々かえしてほしい

2313この歌は民草我らが縒り合わせ原発縛る縄となる歌

2456誰がために君は泣きおり悲しくも我はこの手を握りこぶしに

2684真っ先にあげる産声それはねこの世に産まれた喜びの声

2726我が中の白骨今日も歌いけん今日を限りのいのちであると

2852青い目の子らの首に刻まれしチェルノブイリの真珠またも見るかや

2924全方位カメラに映る球形の曠野日本の幻影の街

晩夏から秋へと美しくなっていく夕焼けを背景に、私たちが見たものは何だったのでしょうか。それは誰があやつる、何のための影絵芝居だったのでしょうか。
しかしここにある歌には、一人一人の生のシルエットがたしかに刻まれています。その痕跡だけは何者も消すことはできないはずです。(「はじめに」より) 

2013年2月18日 (月)

2月16日「「尹東柱とわたしたち2013」in喫茶美術館

一昨日、2月16日(土)Yundonju2013216
東大阪市にある喫茶美術館にて
「尹東柱とわたしたち2013」を行いました。
詩人の命日に当たるこの日に
亡き詩人に捧げる朗読会です。

このブログでもご報告したように
昨夏、愛沢革さん、丁章さん、河津とで行った尹東柱の墓参の旅
に出かけましたが
あの時わたしたちが尹東柱の墓前でつつまれた、
詩に満ちた美しい時空を、来てくれた方々と共に感じたい。
そう願って、やや準備不足ながら急遽計画したものです。

告知もあまり本格的には出来なかったのですが、003
それでも多くの方が来て下さいました。
(「尹東柱とわたしたち」の「わたしたち」もちろん
来てくれる方々も含めての「わたしたち」です。)

私が居住し、東柱が留学中に過ごした京都は
朝、雪景色でしたが、昼には日差しがさしこみ、
空気がきらきらと輝いていました。
その変化がなにか、美しくもはかない詩人の詩魂そのもののようで
毎年のことながらやはり特別な日だなあと思って、会場にやって来ました。

私が東柱の詩を知ったのは、2006年冬。
それからもう6年以上がたちますが
日本社会や政治の変化をも含めた「地」の暗さがますほどに
詩人の言葉が輝きはじめるような気がしてもいます。

さて、朗読会は予定より大分遅れた午後七時から始まりました。008
聴衆と写真の東柱にまなざされながら
丁章さん、愛沢さん、私の順で朗読していきました。

丁章さんは自作「東の冬」「はらからの誓い」と
ご自身の訳での東柱の詩「十字架」。
そして、
最近世界を騒がせた隕石にちなんで
東柱の散文(詩)「隕石の墜ちたところ」。
これはなかなか知られていない詩ですが、素晴らしいものでした。

愛沢革さんは東柱の詩「怖ろしい時間」」「道」。
そして3.11をテーマとした自作「風とともに」「罪と罰」「国策」。
東柱の原詩を、思いをこめた力強い発音で読まれたのが心に刻まれました。012

それからラストは私が
「炎」「詩人の故郷」「チンダレ」を。
「炎」は書いた2月13日当日の、詩人の命日を前にした心境、
「詩人の故郷」は墓参の旅を思い起こして14日に書いたもの、
「チンダレ」は2007年に東柱のアパート近くの比叡山にのぼったとき、
ふと見かけた紫に輝くつつじに触発されて書いた詩です。

最後は聴衆のみなさんと一緒に「序詩」を声を合わせて読みました。」014

熱い一時間半を終えて外に出ると
大阪の町の上の夜空には優しい星々がまたたいています。
駅に向かい歩きながら誰かがふと
東柱が見ているようだね、と呟きました。
私も、なにか詩人がほほえんでくれたようにも思えました。

時間配分など色々反省点もありましたが、やってよかったです。
来年も東柱と東柱を愛する多くの方々と出会うために
この会を行いたいと思っています。

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2013年2月13日 (水)

2月9日京都朝鮮高級学校朗読会「あなたへの想いを言葉にのせて」

先週9日の土曜日、Dsc00610_2
京都朝鮮高級学校で朗読会がありました。
昨年2月から11月までの三回にわたり同校で行わせていただいた
詩の授業のメルクマールとしての記念イベントです。

ちなみに去る1月24日には
第四回目の授業を中級部三年生を対象に行いました。
比喩という詩の力の根幹を作る技法を中心に入門的な話をし、
実作としては福島から避難された方の絵を見ながら
原発事故の苦しみに思いを馳せて書いてもらいました。

また高校生を対象にした三回の授業で生まれた作品は
先生方が写真のような美しい冊子にして下さいました。
「あなたへ」(他者に宛てた詩)二冊と「ことば」(言葉をテーマとした詩)一冊。
あらためて読み直すと、生徒達のテーマとの真摯な向き合い方に心打たれます。
他者と言葉は、詩にとってまさに主題そのものです。Photo_2
この授業と実作の経験をとおして
誰もがもつ詩というものの力を
少しでも実感してもらえたならばうれしいと思っています。

そして今回の朗読会。
朗読とは詩の力を声としてあらわす、思いを声をのせる、という試みです。
書いた詩は、必ず声にすることが必要だと私はずっと思っています。
詩はそもそもうたであり、言葉とは音声なのですから。
でももしかしたら忙しいハッセンたちに負担をかけるんじゃないかな。
あるいは恥ずかしいのに無理に読んで貰うんじゃないかな。
とやや不安に思ってもいたのですが、
それはまさに杞憂でした。
ひとりひとりの生徒がそれぞれの清冽さでりんと胸をはり
堂々と思いを声に乗せてくれました。
本当に真剣に詩を書いてくれていたのだということが こちDsc00633_2らの心にダイレクトに届く声から伝わってきました。

この朗読会に向けて先生と生徒さんとで
何度もリハーサルを行ったそうです。
この学校の誠実でひたむきな気質を感じます。
先生方は授業を行う際もいつもきっちり準備をして下さり、
毎回本当に気持よく思う存分授業をさせていただいています。

これからも同校で授業を行う予定ですが、
恐らく毎回同じテーマをぐるぐるめぐるのだと思います。
詩とは何か。
比喩とはなにか。
他者とは、言葉とはなんだろう。
この世にはそうした根源的な問いかけが存在すること自体を伝えたい。
私自身もともに考える中で
そして生徒さんたちの反応を見て
多くのことを学んでいくと思います。

それでは最後に、当日朗読された詩の中から一作を。

君へ
              呉星澤

ありがとう
君にはその言葉しかでてこない
今の僕があるのも、君のおかげだから・・・
君はいつも見守ってくれてたね
母のように時には父のように温かく、
そして厳しく見守ってくれた
落ち込んだ時には友のように手を差しのべてくれて、
雨降るように涙が止まない時は優しく、
ただただ抱きしめてくれたよね
ありがとう
君がいてくれたから僕はいるから
君のおかげで素敵な仲間に出会えたから
桜舞い散るころ友と出会い、君と出会い
半袖で遊びまわった頃も
色変わり行く木々達を眺め
降る雪に凍え身体寄せあった日も
君と僕らは、同じ季節を過ごし同じものを見て感じて
いつも一緒に歩んできたよね
僕らがそうしたように先輩達も、後輩達も
そうしてきたんだろう、そうして行くんだろう
君は僕にとって数少ない帰る家
安心して帰れる家
何年かしたら君はいなくなるのかな?
ちがう
幾年も僕らを、僕達を見守り育ててくれたように
これからも君は頑張るんだろうね
僕らにしてくれたように
どんなに歳をとって、見栄えが悪くなって、
姿が変わっても、君は君だから

もう別れか、今までありがとう
そしてまた会おう。
今度は僕が、僕らが君へと恩返しをするよ
何ができるかわからないけど
いつの日か、
かならず・・・

【付記】
なお私は先日文科省へ下記のようなパブリックコメントを送りました。
ご参考までに。

「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則の一部を改正する省令案に反対します。この改正によって、朝鮮高級学校が法的に排除されることになります。自民党が同校の排除方針を打ち出していますから、明示されていなくとも、今回の改正が同校の排除のためであるのは一目瞭然です。
 しかし自民党と文科省、あるいは政治と教育は、別物であるはずです。政治による教育への介入などという憲法違反行為を文科省が率先して行うようなことがまかりとおってしまえば、社会の根本的な部分が崩されてしまいます。さらに、子供を大人たちの外交や政治の失策の犠牲にするというのは本末転倒です。当然ですが私達大人は、この社会を、子供という財産がまず何をおいても煌めく社会にしなくてはなりません。この国を、どんな民族の子供も、それぞれの知性の成長と感性の深化を理不尽に妨げられることなく、育まれる国へと進歩させなくてはなりません。その不断の努力こそが、広い視野と長いスパンに立つ国民の義務であるはずです。そしてマイノリティこそは、そんな社会や国を切望しています。朝鮮学校の生徒も先生も、そう強く願っています。そして文科省こそは、そのような願いを最も手放してはいけない教育行政の主体ではないでしょうか。
 重ねて言えば、高校無償化法に対抗する規則改正をすることで、朝鮮学校を排除するのは、憲法違反です。国民への背信行為です。しかも朝鮮学校はすでに十二分に情報を開示しています。同校はこの三年近く、文科省が同校に何度となく課してきた無償化(支援金支給)までの書類手続きを、不備なく果たしてきました。むしろ情報開示すべきは、当時の政府関係者の側ではないでしょうか。2010年2月になぜ、前年末にすでに文科省が予算化していた同校の無償化を、一拉致大臣の発言がひっくり返すことができたのでしょうか。当時の中井拉致大臣や鳩山首相こそ、その経緯を説明する責任を決して免れないはずです。
 文科省は当初同校について無償化方針だった筈です。大臣の政治的な見解によって教育の普遍的な理念がねじ曲げられることは、貴省の存在意義を疑わしくさせるほどの事態ではないでしょうか。
 以上の理由から、省令案を撤回することをつよく求めます」

2013年2月 4日 (月)

2月4日京都新聞朝刊・詩歌の本棚(新刊評)

                                      河津聖恵

 昨年十一月、没後二十年を記念して『北村太郎の全詩篇』(飛鳥新社)が刊行された。北村は鮎川信夫などと共に『荒地詩集』に参加した。その詩の基底には、戦争から戦後にかけての切実な実存感覚がある。散文脈の行分け詩によって、小さな生の時間の軌跡を、日常の次元から歴史へと巧みに刻み込む。すぐれた直喩と共にあるその手法は、新たな戦後詩とも言える3.11後の詩に、大きなヒントを与えるだろう。
「何によって、/何のためにわれわれは管のごとき存在であるのか。/橋のしたのブロンドのながれ、/すべてはながれ、/われわれの腸に死はながれる。/午前十一時。/雨はきしる車輪のなかに、/車輪のまわる音はしずかな雨のなかに消える。/街に雨はふりやまず、/われわれは重たいガラスのうしろにいて、/横たえた手足をうごかす。」(「雨」)
 北村真『ひくく さらに ひくく』(ジャンクション・ハーベスト)は、言葉が詩という圏内に引きこもらず、みずからの生の時間と低く静かに重ね合わせられる。その接点としての比喩やイメージが、散文脈を詩へとふうわり浮上させる。そして隠されていた現実の深さと生の高度が回復される。3.11以後の詩のあり方としての「ひくく さらに ひくく」。そして「低く」は「深く高く」。
「さらにです/ひくく もっと ひくく/高度をさげてください//フェンス越しに/六号機の建屋が見える森のなかを/さらに ゆっくり/ゆっくりと 降下してください//ひんやりした/風がながれている岸辺の草花に/幼い指がふれようとするあたりまで/おりてきてください//日々くりかえし/わずかな被曝をうけ変色する/おしべの毛がみえる場所まで//おともなく/においもなく/洩れつづける/放射線をあびながら」(「ひくく さらに ひくく」)
 照井良平『ガレキのことばで語れ』(詩人会議出版)では、故郷陸前高田の瓦礫の原という原点に立ち続けようとする意志で、新しい詩の次元を模索する。表層的な散文でもなく、現実から遊離する象徴や隠喩でもない、「ガレキのことば」を探している。、「ことばのガレキ」など存在しないから。人間は今なお、あるいは今こそ、言葉を与えられた責任と僥倖を、想うべきだから。
「ガレキの中を歩けば/とげとげしく突き刺すガレキのことばが/容赦なく生き身の身体を/四方八方から襲い/八つ裂きにし/たまらず 傷口が/ふつふつと湧く虚なことばで溢れだす/ところかまわず狂い咲く/そこまで/どっぷりガレキに浸かるまで歩いて探せ/ことばがないなどとは言うな/ことばで語ることができないならば/ないことばで語れ/ガレキのことばで語れ/ガレキの涙のことばで語れ/そこに遺影がある/ことばの/遺影がある」(「ガレキのことばで語れ」)
『言葉の花火2012』(竹林館)は、二〇〇〇年から三年ごとに刊行されてきたシリーズの第五集。今回から全て横組み、日―英見開き頁となった。多くがストレートに伝わる散文脈だが、翻訳され世界へ発信する意識がそこにあるのだ。
「もはや一年が経ってしまった/啓蟄を過ぎたばかりの土のなかからは/蟻も みみずも 蛙も 蛇も 出てこない/得体の知れないボロや瓦礫だけが掘り出される//うなだれた頭を左右にふって仰向くと/寒い夜空に震える光線を送ってくる小さな星たち/下界の生きものに無言でまばたく/果てなく生きつづけている魂の星たち」(有馬敲「星鎮めのうた」)

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