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2013年3月

2013年3月23日 (土)

3月18日付京都新聞朝刊・詩歌の本棚(新刊評)

3月18日付京都新聞朝刊・詩歌の本棚(新刊評)

                                              河津聖恵

 今年は宮沢賢治の没後八十年。短歌から出発した賢治は、二十六才で詩を書き始め、二十八才で生前唯一の詩集『春と修羅』を出版した。多くは戸外でなされた詩作を、詩人は「心象スケッチ」と呼んだ。心の痛みを通して見えてくる世界の輝きを、ゆたかな言葉で刻々と記した「スケッチ」は、感性による「世界の再生」の試みだったとも言えよう。例えば「永訣の朝」で詩人は、危篤の妹のかたわらで、激しい動揺のまま「スケッチ」していく。詩の最後で死は、「終わり」であることを超え、永遠の生命への「旅立ち」として輝きだす。「銀河鉄道の夜」へとつながる、祈りと共にある再生の過程としてその詩は、いつの時代も読む者の心を浄化するのだ。
 武田いずみ『風職人』(ジャンクション・ハーベスト)は、内面と外部の世界との関係を丁寧に紡ぐ、まさに微風を作るような繊細な「手仕事」の詩集だ。世界を片隅からレースのように編み直そうという、柔らかな再生の意志が満ちている。現在の暴力的な世界に、寡黙ながらも毅然と抗う姿勢がある。「風」とは、絶望の底から甦る、いのちの息そのものである。
「柔らかい植物に覆われた土地で/風を創る人/一度だけ 彼に会ったことがあります」「ほんの数十分/わたしは初めての息をしていました/体の中で/四方へ広がる風/それが彼の作品」「私は小さく努力する/そして夢見ている/代わりばえしない手のひらから/いつか風が生まれる日」(「風職人」
「けれど/おまえが生まれて初めて/外に出た春の日/病院の玄関で一瞬吹いた/つめたい風に/おまえは きゅっと/顔をしかめていた/あの時/誰よりも知っていたのかもしれない/かぜ が どこにいるのかを」(「こたえ」)

 為平澪『割れたトマト』(土曜美術社出版販売)は、ある時投げつけたトマトと共に世界が壊れた著者の、詩を紡ぐことによる魂の再生の記録だ。著者にとって詩作とは、精神の闇の底から「人に戻る」ための復活の行為であり、壊れた世界の破片を拾い上げる作業でもある。一つ一つの言葉には、人知れず流された「青い涙」が滲んでいるだろう。意味のない記号や分断し傷つける瓦礫の言葉をかきわけ、詩を探し続ける痛々しいまでのその姿には、社会から疎外されながら世界の輝きをうたった、近代以降の詩人たちが重なる。
「私たちは詩をつづる/滲んだ万年筆のインクから/本当に伝えたいのは/青い涙//眼のスクリーンに焼き付けられた/日常化する赤と黒を/鋭利な刃で記録する」「それぞれに与えられた質問用紙/青いインクは『空』を描く//胸にインクを滲ませて/私たちは寂しく停電するだろう//それでも遺さずにはいられない/記憶の森に沈まない太陽/夕映えに轟く雷鳴/稲妻のような瞬き/全ては/見開いたままで」(「眼光」)
 『シュトルム名作集Ⅵ』(三元社)は、十九世紀ドイツを代表する抒情詩人であるシュトルムの全詩を収める。シュトルムは、大国に蹂躙されようとする小国シュレースヴィヒに住み、政治に対しても、自然に対する感受性を手放さず、抒情詩によって「無理なく対抗し得る」詩を模索した。
「新鮮な朝の時代は/足元の暗闇の遙か彼方//だから、驚かずにはいられない、ひとたび光が/その深いところに差し込みでもすると。//もう吹き始めている、墓地からの微風(そよかぜ)が/それは運んでくる、秋の木犀(もくせい)草(そう)の香を。」(加藤丈雄訳「誕生日に」)

2013年3月19日 (火)

『#連歌デモ』第三巻が出来ました

『#連歌デモ』第三巻が出来ました。Rengademo32
編者がいうのも恐縮ですが、
とてもいい本に仕上がっています。
B6判変型、本文112頁です。
見返しの、ライラックとグレーの中間のような淡い色がとてもきれいです。
本文の作品も、一行に入る字数によって、フォントを変えて貰っていて
小さな注の付け方も絶妙。
印刷屋さんの苦労がしのばれます。
(印刷屋さんは私達のデモの趣旨に賛同して下さり、
ぎりぎりの予算で引き受けてくれました)

もちろんビジュアルな面だけでなく、
内容が本当に素晴らしいとあらためて思います。
一首一首がまさに「デモ」の立ち姿なのです。
第三巻には昨年八月二四日から九月二十五日までの投稿作品を
ほぼ時間の流れに従って収録しましたが、
ここにある歌々はまさに
晩夏から秋にかけて美しくなっていく夕焼けを背景とした
感情の影絵たちのようです。
どの歌がどの方のものかもう分からないのですが
それだけに思いがつよく迫ってきて、胸がつかれます。

あの民主党政府の新エネ戦略の「原発ゼロ」が
立地自治体などの反対によってなしくずされていくのを
目の当たりにしていた頃の歌々です。
しかしだからこそ言葉はいきいきと沸騰しています。
この悲しみを訴えたいと胸を打っています。
これらはあの悲しい雪崩の季節にたしかに刻まれた
一人一人の生のシルエットです。
この痕跡だけは何者も消すことはできません。 
                 
多くの方々に手に取って頂きたいと思います。
申し込みの方法と内容の一部は下記の記事を御覧下さい。
http://reliance.blog.eonet.jp/default/2013/02/post-8234.html

なお、『女性のひろば』4月号にJosei
「#連歌デモ」についてのエッセイ
「原発という悪意に歌で立ちはだかる」を書いています。
機会があればぜひ読んでいただければうれしいです。

2013年3月16日 (土)

3月13日京都朝鮮学校襲撃事件第17回公判

なんだか久しぶりのブログです(_ _)。Image451
色々書きたいことはあったのですが、
冬から春にかけての陽気の変化も作用してか
やや精神が弛緩し、機を逸した出来事がたくさん。

出来事から受けた感情や感覚が平板化しないうちに
書きとめなくてはいけませんね。

さて今日は3月13日に京都地裁で行われた
在特会による京都朝鮮初級学校への襲撃事件裁判について。
もう第17回公判になります。

この裁判はほぼ毎回傍聴しているのですが、
いつも異なる側面から事件の真相に生々しく迫っていきます。
実際裁判に立ち会うと
万の言葉よりも分かることがあるんだなあと実感します。
語られる内容や説明からだけでなく、
被告や原告の姿や声、そして息をこらす傍聴人たちの熱気から
ダイレクトに分かってくるものがあり、
真実とは事実よりも深いものだと実感します。

今回はオモニ会の会長さんである女性が証言に立ちました。
あの日に何が起こったか、その戦慄と共にあるリアリティを
彼女の言葉はまざまざと伝えてくれました。
私がこの事件について知ったのも
事件直後に『ヒロシマ・ピョンヤン』という映画の上映会で
このオモニが訴えたのを聞いたのが始まりでした。
(なおこの経緯について触れたブログ記事は次にあります→  http://reliance.blog.eonet.jp/default/2012/02/post-2144.html

あの時もこのオモニがチマ・チョゴリを着て、
涙を目に一杯浮かべて必死で訴えていた姿から
私は「何か大変なことが起こっている」と一瞬で知らされました。
今回の裁判でも
オモニが、恐怖の日々を思い出す辛さに耐えながら
沈黙からためらいがちに選ぶ言葉の一つ一つが
声のかすかなふるえと共に
まさに真実の言葉として
私の胸をつらぬいていきました。
真実とは客観的現実ではなく
内面の揺れ動きそのものだと痛感しました。

話の内容は詳しくは書きませんが、
事件の連絡を受け車で駆けつけようとしたオモニの焦燥の場面では
私自身もまた身の内から震えを覚えていました。
堤防を行ったり来たりしていたこと。
寒くて窓を閉めていても、学校から怒号が聞こえてきて
「大変なことが起こっている」と思いながらどうにもならなかったこと。
子供が中にいると思っただけで、頭が真っ白になったこと。
認識が甘かったという苦い後悔に一人で耐えていたこと・・

そして事件の後うちひしがれながら
辛い日々の連続を、恣意的な暴力者によって背負わされていた─

事件当日の恐怖、そしてその後警備に奔走し、恐怖を感じ続けた日々のつらさ。
思い出しながら涙を必死でこらえる人の背中が語るもの。
沈黙の重さが私の心にものしかかってきました。
本当に申し訳ないと思いました。
日本社会全体が負うべき闇を、少数の人々にこれほどまでに背負わせてしまっていたことに。
在特会側の弁護士が誘導するように
朝鮮学校を北朝鮮という日本が敵視する国家と同一視するのは
全く卑怯なことだと思います。
そこにいるのはただ日々を大切に生きようと望む人間であって国家ではないのです。
何を言っても傷つかない強者などであるわけがないのです。
そのような市井の片隅に日本全体の闇を背負わせていることを
社会は知らなくてはならないはずです(いえ、よく知っているはずですが、よく知っているのに、というそのことを)。

オモニ自身、朝鮮学校の出身です。
幼い頃「朝鮮人」という言葉が悪い言葉として使われることがある、と
知らされた。
しかし朝鮮学校に入り
先生が黒板に「朝鮮」という文字を書き、
朝が鮮やかな国、と教えてくれた。
その言葉をかみしめて、歌を歌った。
朝鮮人であることは恥ずかしくないのだ、という自尊心は
朝鮮学校へ行かなかったら得られなかった─
オモニの言葉に
私にもその「朝」が見えてくるようでした。

私は、多くの人にもっと朝鮮学校に近づいてほしいと思います。Image329
生徒や先生やオモニやアボジに会ってほしい。
そこにいるのはごく平凡な人たちです。
市井に生きる誰しもと同じように
日々が平穏に続くことを願い、かけがえのないものを守るために生きる人々です。
そしてその持ち物が少ないだけに
その思いは強いということも知ってほしいのです。

2013年3月 2日 (土)

東柱の命日2月16日に喫茶美術館で朗読した詩です

東柱の命日2月16日に、喫茶美術館で朗読した詩です

「炎」「 詩人の故郷──二〇一二年夏、尹東柱の故郷明東村を訪ねる」 河津聖恵 « 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト http://shiika.sakura.ne.jp/works/jiyu/2013-03-01-13544.html

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