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2013年9月

2013年9月29日 (日)

『ハッキョへの坂』 書評/2013年9月8日付毎日新聞読書欄(京都版)「読書之森」

 2013年9月8日付毎日新聞読書欄(京都版)「読書之森」に、『ハッキョへの坂』』の書評が掲載されましたので、以下転載します。

 

 「ハッキョへの坂」(河津聖恵著・土曜美術社出版販売)

 地に視線を落としゆっくり歩く。夢中になって進みふと顔を上げると、それまで思いもしなかった景色がぱっと現れることがある。坂や階段、路地といったありふれた日常風景は、私たちを非日常に誘(いざな)う仕掛けでもある。

  題名にある「ハッキョ」は朝鮮語で「学校」の意味。「ハッキョへの坂」とは京都市左京区北白川の京都朝鮮中高級学校に続く坂を指す。銀閣寺に向かう道を左にそれると背の高い木々に挟まれた一本の坂がある。坂の上の高台に建つハッキョは、「坂の下」から隠れて見えない。

 著者は1961年、東京都生まれ。詩集「アリア、この夜の裸体のために」でH氏賞を受賞した京都在住の詩人。偶然の出会いから同校に通うようになり、生徒の真摯(しんし)に学び生きようとする姿勢とまなざしに胸を突かれた。

 そんな詩人が朝鮮学校を高校無償化の対象外とする国の方針に憤りながら、「あなた」と「わたし」を引き裂く力に抗し、言葉を紡ぎ、本詩集を編んだ。  表題詩「ハッキョへの坂」は、「出会うべき」他者と「出会えなかった」詩人が、坂を上り下りした無数の学生(ハクセン)と出会い直す痛恨の一編だ。

 〈静かな高台のハッキョで 歌のようなウリマルを話すあなたを知らないまま 黄砂でかすんだ地上のグラウンドで もうひとりのあなたは 携帯電話を片手に佇(たたず)んでいた……もうひとりのあなたは 思わずてのひらを差しだし 花びらを受け止めまだ見ぬあなたに出会おうと 爪先立ちになる〉(「ウリマル」は朝鮮語の意)

 本詩は、「坂の下」にいる「あなた」の生き方を揺さぶってくる。また、「出会い」の素晴らしさとそれゆえの痛みも感じとれる。本詩集は計20編を収録。                                                                                                                 【松井豊】

以下は毎日jpのリンクです
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20130908ddlk26070347000c.html

2013年9月17日 (火)

2013年9月16日京都新聞新刊評・詩歌の本棚

2013年9月16日京都新聞新刊評・詩歌の本棚

                                          河津聖恵                                                                            

 「真に体験の名に値する体験とは、外側の体験をはるかに遠ざかった時点で、初めてその内的な問い直しとして始まると私は考えている。したがって私に、本当の意味でのシベリヤ体験がはじまるのは、帰国したのちのことである」。戦後約八年間シベリヤ抑留を強いられ、一九五三年に帰国した詩人石原吉郎のこの言葉は、詩と体験(時間)の関係について大きな示唆を含んでいる。苛酷な期間を「事実上の失語状態」で生きのびた石原は、帰国後詩と散文を書くことで初めて極限体験と向き合う。帰国後十五年経って書き出した散文は、抑留の日々を再び生きるという苦痛を強いたが、一方帰国直後から書き出した詩では、表現したくない現実は隠し通し、地獄の光景をリズムとイメージによって見事に昇華させた。つまり詩とはたしかに体験を隠蔽しつつ、同時に言葉の美しさによって体験を照らし出し、時間を救済する行為でもあるのだ。

 水島英己『小さなものの眠り』(思潮社)は、飛躍力のある粘り強い独白体によって、虫達の眠りを覚まさせず川べりをそっと歩むように「小さな生」の時間を照らし出す。詩集全体が、生と死の出会う「果て」の光に照り返されていく。時に至福のような柔らかな陰翳に満たされて。

「六月の庭/美しい色が生まれ、誓う声が響き、それらが一緒になり、……//ここまで歩いてきた、ここまでの時や歌の谷間の道が/二人の六月の庭にたどり着いたのだ//そして、光をあつめて新たな道へ、六月の庭は開かれる//ゆったりと深い息で/いつまでも見つめ、いつまでも語り、……//速さとおそさ、甘さとすっぱさ、まぶしさと暗さ/すべてはまだらに織りなされている、とホプキンズは言う/そのまだらの美しさを味わう日々、二人というまだらに織られる歓び」(「六月の庭―潮と郁に」)  

 さらにこの詩集の歩みは、島尾敏雄や八木重吉や堀辰雄の「場所」へも進められる。死者の止まった時間の気配を、乱さぬよう慈しむよう感受しながら。

「やはり入江だった、島々の襞の/〈深く奥へ切れこんだ入り江〉は死の匂いがした。/追いつめられた生の痕跡が//穿たれた穴のなかに格納された自殺艇(スーサイド・ボート)として/六十七年目の夏の草いきれのなか/今年も封印された出発の瞬間を夢見ている。」(「二〇一二・夏・加計呂麻―島尾敏雄の場所へ」)

 三田村正彦『父の時間』(土曜美術社出版販売)は、「父が不治の難病により身体の自由を奪われてからの九年間」という「最も濃密な時間」を、詩の幻想の光によって照らし出す。やがて死者の庇護者として、生者である自分自身が未知の光へ向かう姿をも。

「父の居た瀑布の時間は過ぎ去ったのだ/のっぺらぼうの炎昼を残して//死者に成り切るまで路地を歩き続ける/背後のゆうやみに 生まれる前の僕が/父を背負って 霧雨の中を光に向かう」(「夜のジョガー」)  

 呉屋比呂志『ミルク給食の時間に』(詩人の魂社)は「沖縄詩集」。一九五九年に起きた米軍機墜落事件で殺された子供達の末期の時間を、「嘆きと怒りと無念」によって照らし出した。

「でも先生は/そんなになったぼくを抱きしめて/二つのに割れた魂を重ね合わせようと/ぼくの名を叫びながら/ぼくを呼び戻そうと/懸命に叫んでいましたね//ジェット機が墜ちてきたなんて知りません/戦争が来たのです/天が落ちてきたのです/なにか火の固まりがものすごいいきおいで/真っ赤になって墜ちてきたのです」(「先生 ありがとう」)

2013年9月 3日 (火)

8月31日辺見庸講演会「死刑と新しいファシズム」

先週土曜日(八月三十一日)、413
東京・新宿区の四谷区民ホールで辺見庸さんの講演会
「死刑と新しいファシズム」を聴きました。

今ここにある危機に(私の内部に巣くう何ものか)に
鮮やかに、そしてしなやかに膚接する言葉と声。
終始はりつめ、触発され、魂を賦活させられた時間でした。

話はウマオイの死骸の「どきりとする美しさ」から始まりました。
この美しさの描写(緑が空気にちらばる、にじむ、それだけで生きていられる…)
はありありと目の前に浮かぶほど鮮やかでした。
二時間に及ぶ話の締めくくりにもそれは立ち現れてきましたが、
この講演の時間の底には終始ウマオイの美しい緑が
透けて輝いていた気もします。

直感を語りたい―
第六感で聴いていただきたい―
冒頭から言葉は意表をつき、こちらを抉ってきました。415

「死刑とファシズム」という問題は
「ウマオイというこのあえかな緑の生き物をなぜ見せてはいけないのか」でもあるという
その鮮やかな言い換えに
聴く者の直感はおのずと誘いだされていきました。
(以下は走り書きからまとめたものであり、順序も表現も、メモをなぞりつつ講演のとおりではありません。)

死刑囚の友人から届いた手紙にあった、
八行にもわたる「黒い塗りつぶし」=「抹消削除」。
「これは何なのか?」と辺見さんは思った。
「被弾して血が吹き出し骨も見えるような、割れた石の劈開面を見るような思いがした」。
そこには自選句が書いてあったらしいが、
それらを抹消した目的と意味と意義が分からない。
特高ならば何らかの思想を言いがかりにするだろう。
しかしそれも分からない、その気持悪さ、怖さ、辛さ―

もちろん検閲を禁止した憲法21条には例外規定がありそれは受刑者の手紙が対象となる。
しかし俳句は再犯や犯罪の指示だろうか?
人はみな一人一人の主体的事情を持っている。
同じく主体的事情のある死刑囚が送ってきた俳句に関する手紙がなぜ悪いのか?
この「抹消削除」に対する血が凍るような仮説は
「この検閲と抹消には真の究極的な目的と意味と意義がない」ということ。
あるいは我々の生に、生活に、勉学にも、それらは本当にあるだろうか?
それを感じられる社会だろうか?

私たちは真の目的と意味と意義を徹底的に欠いた空無に生きている。
黒塗りがアートだとすれば、これが今のアートの水準ではないか。
社会の、文化の、芸術の所産であり、政治のリアルな水準。

空無が我々を支配しているのではないか?

自分が一番やりたいのは
この「分からなさ」を表現することである。
国家権力とか警察権力とか反動とかではなく、
もっと手触り感のある人間の言葉として、
人間の身体を言葉に入れ込んだものとして再構成できないか?

まず考えるべきは「死刑囚はそもそも人間なのか?」
「生身の人間として想像できるか?」
かれらは人でありながら人であろうと願ってはいけない存在。
人外な何者か。
むきだしの生。
死刑執行のその時まで
薄暗がりの中でただうずくまっている影でいなくてはならず、
歌ったり叫んだり自己表現したり
その人自身の生きたい気持をその人独特の方法で奮い立たせる手立てを踏みにじられている存在。
しかし「そんなことがあっていいことか?」

死刑囚と類似性があるのは畏れ多くも禁中である。
双方に対する情念は非合理的、非言語的な「薄明」の明度において似かよう。
我々日本というツタ社会にはりめぐらせた微細な「神経細胞」が
それらを見ることをタブーとすることにより
生まれる「薄明」である。

今、歴史ががらがら音立てて崩れていく。
神奈川県教委が国旗国歌の記述で実教出版の日本史の教科書を高校に変更させた事件。
しかし驚くべきことにNHKは神奈川のローカルニュースで報道し、
同じ日の全国ニュースのトップはある雑誌の景品の当選者数のごまかし事件だった。
我々は受信料を払わせられながら
ファシズムを買っているのではないか?

個のたたかい=ドツキ合いが今、マスコミにはなくなっている。

実は我々は自由を求めていないのではないか?
むしろ不自由を求めているのではないか?
不自由の方が何をしようか考える必要がなく、暮らしやすいから。

在日朝鮮・韓国人いじめは許してはならない。
我々はもう属格(主体)のないマスメディアに頼ってはおれない。
私の友人に危害が迫ってきたら必ず守る。
これが自分の個人的自由権である。

戦端を開かねばならない。
個として、殺意をもって、不正義をにらみつけて。
今「間違いなく注意しなさい、今は歴史的瞬間ですよ」という声が必要なのに、
声だけでなく、崩壊しているという実感が何者かに奪われている。
一番怖いのはそれである。
                     
終わって言うのは誰でも出来る。
実時間に戦端をひらく、つまり
実時間に負け戦を、どつきあいを平気でしなくてはならない。

怖ろしい秘密保全法案もこのままでは通る。
法律には全て例外条項をつけ、例外状態を常態化する。
新聞は書かないが実際はクーデターが起きている。

様々な断片をつなぎ合わせるとやはり立ち上がってくるのは
「戦争可能な国家にしたい」ということだが、
しかしそこには
誰と? 何のために? がなく、
ただひたすら戦争に向かっているだけである。

ドツキ合いは恥ずかしいが今致し方がないのでは。
徒党ではなくまず一人でやる。
まず一人で違うのではないかと声を上げる。
「我々」「みんな」という集合人称を信用してはいけない。
そういう幻想への忖度や気遣いがいかに事態を悪くしているか。

私たちは「すべてはそんなに悪くはない」と誤解するように仕向けられているが、
そこで一人で意見を語る。
時に声を荒げて。
それが空しいこと、かっこわるいことであると
私たちは毎日毎日いいきかせられているのだが。
そのように日本という国はあらかじめのファシズムの国なのだ。
だからすべてのことが通っていく。
死刑制度、天皇制、民主主義、戦後左翼の情念の絡まった、
融合と生成と時間的連続性があるのではないか。
これを破るのは個でしかない。

この国は相当ヤバイと思っている。
1989年1月7日昭和天皇が亡くなった時、
誰が関与した訳でもないのに
沖縄の二紙を除いて全新聞が「崩御」という表現を使った。
さらに崩御から10日目、
寝殿から殯宮へ棺が移動し、
それから一ヶ月間、昼夜ろうそく一つを絶やさず、
誰か一人がつきそう儀式がある。
そこをマスコミが取材することは決してない。
私たちの中にも「そこまではやってはいけない」という感情がある。
私たちの内側にも殯宮の一本のろうそくのようなものがあり、
論理を曖昧にし、そのままにし、放置しておく。
それが培養されて今ファシズムになって立ち上がってきている。

中国・朝鮮の人々が今非常に恐れているのは正確である。
訳の分からない日本人の怖さを誰かが切開しなくてはならない。
殯宮に日を射させなくてはならない。
その中身を覗くまでは陰湿なファシズムは治らない。

「なぜ死刑囚にウマオイを見せてはいけないのか」
「なぜ受賞に「おめでとう」と言ってはいけないのか」
孤立者がいない。
例外がいない。
それはファシズムであり、不自由である。

一人でやれることをやる。
一人でじっと嫌な奴をにらむ。
例外になる、孤立することは、深い自由だ。
死刑囚に、子供に、
ウマオイを見せる心の自由を個人的に持つべきだ。
…………

以上、とりこぼした内容や表現がたくさんあって、文脈も分かりづらいかもしれません。
しかし今私が詩を書き、考える上で、
本当に重要な視点と問題意識をいただいた2時間25分でした。

また危機に膚接するというにふさわしい表現の数々と息づかいも素晴らしく、
話を聴きながら、まさに刻々と戦端=先端が開かれていく思いがしました。
恐らく多くの聴衆がそのように解放感を与えられたことでしょう。
それぞれの明日のたたかいへ向かう気持を鼓舞されながら。

しかしもちろん一方では
このような真剣な言葉を聴いた者の「責務」の重みも
じわじわと感じられてきています。
もっと深いたたかいがしたい、というあらたな欲望と共に。

辺見庸さん、本当にどうもありがとうございました。
またお話が聴ける日まで私たちもがんばっていくつもりです。

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