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2013年10月

2013年10月28日 (月)

韓国・釜山市の詩誌『poempoem』59号に詩とエッセイを寄稿しました

韓国・釜山市の詩誌『poempoem』59号に詩とエッセイを寄稿しました。

月見草
―― 「いまは 嘆きも 叫びも ささやきも/暗い碧の闇に/私のためには 花となれ!/咲くやうに にほふやうに/この世の花のあるやうに」(立原道造「ふるさとの夜に寄す」)

                               河津聖恵

月見草という名を灯す
夢の終わりの草はらで
沈黙が言葉を孕み始めるころ
私からほどけた私が
蝶の口吻のような幼い手で
月見草という名を灯す
まだ来ないあたらしい言葉の夜のために
嘆きと叫びとささやきが
闇の碧をにほふ花となるために

月見草という名を灯す
唇はかすかにふるえた
夢見る瞼に
失語の真昼が煌々と重みをかける
夜は本当はまだ来ていない
夜は奪われ続けている
昇る月は本当に月だったのか
言葉は何にあくがれていたか
希望や未来や愛や平穏―
あなたや私―
眠る言葉の生き物から
言葉は静かに溶け出していた
人のかたちをまたひとまわり小さく ぼんやり残しながら

月見草という名を灯す
野蒜の尖の生まれたての手で
彼の人にも灯るように
そしてさらに彼の人にもと
瞼から瞼へ
月色の薄い伝言を送る
人のかたちの沼から沼へ
不穏な漣を贈る
人の畔に月見草という名がすっと立つように
たとえ月が消えても
あくがれ止まない自分の姿がそこに映るように
この世はむしろ失語をのぞむ砂の地平だ
そこに花のように言葉があるように
私たちが人であるように

月見草という名を灯す
煌々と重みをかける今朝の光の下で
かすかに影絵のように抗い
月見草を灯す


エッセイ 
二年半前、日本は東日本大震災に見舞われた。多くの詩人は、自然と原子力の巨大な暴力を前に言葉を失った。しかし正確にはそれ以前から言葉は力を失っていた。震災以後、その「失語の白い闇」が、加速度的に深まっているのだ。今、政治的な言葉が声高く「砂の地平」を拡げている。そこで言葉を失った人たちは、危うい言葉の抜け殻となってさまよい出している。 言葉を徹底的に奪おうとする怪物の呼び声に、誘われて。私は、そのような「失語の真昼」にひとすじの夜として、詩という花を開かせたい。人のような花、花のような人を、この世の片隅に立たせてみたい。

Poempoem


2013年10月22日 (火)

「真の〝朝〟への第一歩となる判決」(2013年10月15日付「思想運動」923号)

 2013年10月15日付「思想運動」に在特会の京都朝鮮第一初級学校襲撃事件の地裁判決について、エッセイを寄稿しました。

真の〝朝〟への第一歩となる判決    河津聖恵                                            
                                            

  2013年10月7日京都地裁において、在特会による京都朝鮮第一初級学校への襲撃事件に対する民事裁判の判決が下された。2009年12月の襲撃を皮切りに同会が翌年3月まで学校周辺で繰り返した、誹謗中傷と他者憎悪(ヘイト)行為の損害賠償として、約千二百万円の支払いと街宣差し止めが命じられた。
 街宣差し止めが生徒や父兄や教師に大きな安堵を与えたのは、言うまでもない。さらに損害賠償が一千万円を超えたことは大きな社会的意義がある。重要なのは中身の大部分(弁護士費用と有形損害を除いた千百万円)が、無形損害賠償額であることだ。判決文は1983年国連の人種差別撤廃委員会が日本政府に対し「憎悪的及びレイシズム的表明に対処する追加的な措置、とりわけ関連する憲法、民法、刑法の規定を効果的に実施すること」を求めたことを考慮して、名誉毀損等でも人種差別撤廃条約が「無形損害の認定を加重させる要因となる」としている。つまり無形賠償額を高額とすることで、在特会のヘイトスピーチと街宣、さらに動画をネット配信した行為を、人種差別行為として明確に断罪したのだ。北朝鮮バッシングや表現の自由を理由とする在特会側の自己正当化は一点も受け入れられなかった。
 今回の判決は以上のように、ヘイトスピーチが人種差別撤廃条約違反として裁かれた点でまさに画期的なものだった。判決は在特会の差別行為を抑え込むだけでなく、1995年に人種差別撤廃条約に加入しながら、差別禁止法等をいまだ制定しない日本国家に対しても、無視できないプレッシャーを掛けるだろう。また今後の同様の裁判においても、人種差別撤廃条約を踏まえることがおのずと要請されるはずだ。
 だが手放しでは喜べない。なぜなら判決文はこの事件を人種差別と認定したにも関わらず、朝鮮学校が一貫して訴えたもう一つの主張である「民族教育権の保障」については、一切言及していないからだ。無形損害について学校業務への妨害には触れつつも、民族教育権が侵害されたというさらに重要な被害についてはスルーしている。国策に関わるので物議を醸すと考えたからか、それとも言及せずとも判決が暗示するとしたのか、その意図は分からない。だがいずれにしても、朝鮮学校が襲われたのはたんに「朝鮮人がいる学校」だからではなく、そこが「民族教育が行われる場」だったからだ。「朝鮮学校、こんなものはぶっ壊せ」とがなり立てた在特会の快楽的で身勝手な憎悪の背景には、民族教育への無理解の闇を深める世間があり、朝鮮学校を無償化除外によって差別し続ける国家の真闇が厳として存在する。真の解決にはそこに光を射し込ませるしかない。
 満員の法廷を感動で揺さぶったオモニの証言を思い出す。「朝鮮学校に入り、先生が黒板に『朝鮮』という文字を書き、朝が鮮やかな国、と教えてくれた。朝鮮人であることは恥ずかしくないのだ、という自尊心は、朝鮮学校へ行かなかったら得られなかった」。在特会は控訴方針を打ち出した。まだまだ戦いは続く。だが今回の「勝訴」をきっかけに、多くの人々が朝鮮学校に関心を持ち、民族教育に対する理解の光が日本社会の闇に射すことを願ってやまない。

Shisoundo


2013年10月 4日 (金)

詩「沙羅双樹」(「阿吽」9号)

沙羅双樹

    ――花であることでしか/拮抗できない外部というものが/なければならぬ
                                (石原吉郎「花であること」)
                                                  
                                         河津聖恵                                                                 
                                                        

雨あがりの門扉がひらく
葉々を擦る傘の影に
落下する無数のしずくの無数の影
影の重みを脱け
梢で真白く花は我に返る
すでにもう
花弁のやわらかなしぐさは
かすかに虚空を掻いている
眉をこえる花の白までが
命をかぎる世界の余白だ
もうすぐすべてが終わる
いや
すべてはすでに終わってしまっている
花のうちふるえる輪郭は
ちりちりときこえない鈴の音(ね)で
空の奈落に
この世をかすかにつないでいく
あるいは放ちはじめる
存在の息をつめ
傘をとじるひとの
よこがおの眉は
頭上の花の白さのみえない昂まりに
ふしぎに応じわずかにひきしぼられた
なぜこんなところで
透きとおってしまったか
傘の先からふいに泣いたか
けれど当惑はもう
花の内部だ
黄色い雄蘂が
なつかしそうにいっせいにかたむき
ふりあおぎ傘をたたむよこがおの
しずくのかがやきが
花の見るさいごの花となる

空の白に呼ばれ
白が白をこえたとき
花は真っ白に世界をたちきる
すべては花の外部としてよじれ
巨大な闇をひらいていく
よこがおのまま
永遠の下方へつれさられるひとは
逆さまな鐘の音とともに
大いなる者の涙にもどった花に
あたたかく包まれ
            (連作「花」)

Photo_4

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