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2014年6月

2014年6月22日 (日)

詩「夏の花―鄭周河写真展『奪われた野にも春は来るか』に寄せて」(5月3日立命館国際平和ミュージアムにて同展オープニングトーク中に朗読しました)

夏の花 ―鄭周河写真展「奪われた野にも春は来るか」に寄せて  
                              河津聖恵                                        

                                                  
世界が静かにめくれていく
何者かに剥ぎ取られるのではない
おのずからめくれ上がり裏返るのだ
それは焼亡というより
深淵の夏の開花
季節を超えてしまった下方へ
冷たい暗闇を落ちながらひらく花弁の感覚
あの日以前も背をなぜてそれは
そっと過ぎていったではないか
指先や眼球や鼓膜にも
言葉と感情はいわずもがな
沈黙と闇へだけひらく花々が咲き
そのたび唇は何かを言おうと
かすかにひらいては閉ざされたではないか
「長い間脅かされてゐたものが、遂に来たるべきものが、来たのだつた。」
あの日
飼い慣らせなかったタナトスの蹄の音がきこえた
あいまいだった黒い馬の影はついに百頭の怪物となって実在し
季節と花々をたやすく踏みにじった
世界が世界の外に飛び込もうとした刹那、
白煙と黒煙が上がった
あれもまた花々だった
悪の花―つかのま永遠の喪失を罪びとたちの額に刻印して
それは忽然と姿を消した
夢の強度だけを
野という野にありありと残し
あとは誰しもの故郷のような
うち捨てられた美しさが増していった
世界が世界を剥ぎ取る痛み
秒針が世界の肉を刺す苦しみ
しかし
そのただなかから懐かしさは光りあふれやまなかった

**

「わが愛する者よ請ふ急ぎ走れ」
不思議な声がきこえた
末期に空へと向き直る
夏の花々の声らしい
呼ばれているのは蝶や燕であるはずだが
異様に澄んだ響きに私は呼ばれてしまう
私をどこかに喪った私のまなざしだけが
畦道を烈しく進み出す
私を呼ぶ花はどこか―
私が呼ぶ花はどこか―
まなざしはかすかに息をつき
寒さにかじかむ茂みや木々の葉を吹いて暖め
蘇らそうとするが
「苦悶」もなく「一瞬足掻いて硬直したらしい」
錆びたサッカーゴールや廃墟のコンクリートの壁
「ギラギラ」しない太古の暗い「破片」
草むす薄闇色の鉄路に
まなざしは長い長い腕で触れていくのだが
凍れる秋の花は現れても
愛しい夏の花は見つからない
やがてまなざしは
ふいに広く広くまなざされる
「純粋母性」のように輝く太陽が
乳のように煌めかせる川と
生命の彼方から死の岸辺へ寄せる海によって
屍体もなく血もなく
「空虚な残骸」だけが散らばる浜 あるいは
「魂の抜けはてた」地上
ここに花は咲くのか なぜ咲くのか
雲深い空にまだわずかに
あかあかと護られてある一滴の涙のためか
「無として青みわたる宙」に
今なお無数の星が生まれるからか
「星をうたう心」が「虚無のひろがり」に抗い身をもたげれば
死の破片の下からも花は咲くだろう
名もない「黄色い小瓣の可憐な野趣を帯び」た
夏の花の幻は咲くだろう
「何か残酷な無機物の集合のやうに感じられる」
人間の故郷に淡い影を添わせて

***

そしてまなざしはほどかれ
無数のまなざしとなって満ちていく
海と空 夢と現実のあわいに
夏の裏側を焼かれていく冬の白さに
雪虫のように
誰のものでもないまなざしは放たれていく
何もかもが〝みている〟のだ
遙かな過去からふりむき
死者が生者を目撃するように
ここに〝みられる〟ものはもう何もない
神話のように
枯れ枝の先にすら祖先の眼がみひらき
摘みとる者のいない柿の実にみえない赤子は目覚める
墓に刻まれた名も
癒えることのない雪に埋もれた家々の窓も
時間の鉄条網のような送電線も
すべての生き物の救難信号のような黄色いハンカチも
無の巣のような枯れた叢も俯く老婆の銀の髪も
世界の内奥では
あの頽れた四つの鐘がみずから鳴り始めた
鐘は獣であり
何万年の未来まで あるいは古代まで
傷ついたもののうめきを響かせていくつもりだ
その残酷な悲しみを置き去りに
故郷は世界の外へまた一歩静かにしりぞこうとする
世界の縁では
ひとのような塔のようなシルエットが呆然と見送るしかない
どんなに夜が深まろうと
それらを闇に描きだす漆黒の絵の具は
世界に尽きることがない
見送るひとかげは増え
遙かな塔はあくがれるように林立をやめない

だが死ねない四頭の犠牲獣の
咆哮を聴き届けるのは
獣らを取り巻く忘却の河のほとりに密かに咲き誇る夏の花だけ
世界の苦い泥についに生まれた
反世界の小さな裸形の花だけ
あるいは花という極小の
世界の追憶、追悼の祈りのすがた

注:
「純粋母性」(藤島宇内「原民喜の死と作品」)、「無として青みわたる宙」(辺見庸「それらの骨のなかにある骨」)、「星をうたう心」(ユンドンジュ「序詩」)、それ以外は原民喜「夏の花」。


2014年6月 8日 (日)

【告知】7月11日に詩の集い「尹東柱とわたしたち・2014」をひらきます

来る7月11日に詩の集い「尹東柱とわたしたち・2014」をひらきます。
昨年は、詩人が殺された日付である2月16日にひらきました。
今年は、
詩人が逮捕された日付(7月14日)に近い日を選びました。
71年前、要監視人のいとこと行動を共にしたために、
そして何よりも朝鮮語で詩を書いたために、
詩人は治安維持法によって逮捕され、やがて解放間際に虐殺されます。
その事実と、事実の奥底に秘められた詩人の覚悟に
みなで想像を馳せる一夜にしたいと思います。

なお私も話をすることになっています。
タイトルは講演「詩人の覚悟-尹東柱と立原道造」。
今年生誕百年を迎えた立原道造は
日本に留学中に東柱が愛読した詩人。
立原もまた「覚悟の詩人」でした。
結核による死を予感してから、あるいは戦争前夜の暴風を感じてからずっと、
「詩人の覚悟」というランプを掲げて生き尽くしたのでした。

時代の闇に抗い、比類なく美しい詩を生きた二人の詩人の覚悟は
今を生きる私たちに何を突きつけてくるのでしょうか。

以下は丁章さんが喫茶美術館のHPでアップした文章です。
申し込み先なども記載されていますので、ご覧下さい。

多くの人のご参加をお待ちしています。


      詩の集い「尹東柱とわたしたち・2014」

     出演者 : 愛沢革 河津聖恵 丁章 ほか

     7月11日(金)午後6:30~午後9:00 (受付6:00~)

     1500円(1ドリンク付)定員50名(要予約)


    尹東柱が治安維持法により逮捕された1943年の夏、7月14日。

    そして71年後のこの夏、おなじ7月に、

    詩人を死に追いやった時代と相似するこの時代の中で、

    今こそ、わたしたちは尹東柱の詩の響きに心をふるわせたい。

    自己の生きざまを見つめ直すために。

    太初の朝を蹂躙しながら流れ込んでくる

    時代の闇を押し返すために。


【プログラム】

《尹東柱に想う》

講演「詩人の覚悟-尹東柱と立原道造」 語り手・河津聖恵(詩人)

《尹東柱とわたしたち》

詩朗読と語り「“優しい表現”と詩人の覚悟尹東柱と菅原克己」

 愛沢革(詩人・翻訳家)


司会・丁章(詩人)

その他のプログラム《尹東柱の詩》《尹東柱の音楽》など出演者多数

お申し込み・お問い合わせは、            
06-6725-0430(TEL/FAX) または waneibunkasha@yahoo.co.jp にて承ります。 

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