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2014年7月

2014年7月23日 (水)

この悪魔的な夜に詩を書くということ

私もまたSNSを発信ツールとして活用しています。
そのきっかけは、2009年のある出来事でした。
その出来事において
SNSによって悪意にもとづく偽りの情報が拡散されていて
そのことによって傷ついている人々を知るようになりました。
その過程で
まがりなりにも言葉を扱う者として
このツールの「安易さ」を野放しにせず、
むしろ逆手にとり、
自分なりの発信手段としなくてはならないことを痛感しました。
その経緯については振り返りつつ、
追って綴りたいと思います。

ところで
SNSには色々選択肢がありますが、
私はまずはブログ、それからツイッターとフェイスブックという順番で
「参戦」していきました。
ツイッターを始めるまではブログが主な発信手段でしたが、
3.11後原発の情報を得るためにツイッターを始めてからは、
いつしかそれが
自分の直接的な思いがまず向かうツールとなっていきました。
それに対しブログでは発表された文章、
あるいは紀行文など
ある程度時間をかけて整理した文章をアップするようになりました。

140字で放った「声」は
今までネットの闇に捨ててきたのですが、
詩に関する思いを伝えるものは自分のもっともリアルな言葉でもあるし、
詩論の萌芽でもあるので、
折を見ては整理加筆したものを
ブログでアップしていきたいと思いたちました。

それで以下、
一昨日から昨日「ささやいた」ものを多少加筆訂正して
備忘もかねてまとめてみました。
象徴的なものいいによる飛躍や矛盾はお許し下さい。
タイトルは「この悪魔的な夜に詩を書くということ」とでもしておきます。


この悪魔的な夜に詩を書くということ

今後さらにとどまることを知らないだろうこの悪魔的な状況の下で、
詩を書く行為とは何か。
それはやはり
清冽な人間性を発露させることにならざるをえないのではないか。
たとえそれがいかに
これまで語られてきた詩の「歴史」を
虚構化し、ガラス化することであったとしても。

責任とか平和とかいう言葉も、
内実を抜き去られてもはやガラスのようだ。
しかしそもそもガラスであるのは言葉の主体なのである。
(言葉の主体が言葉に見はなされていく)
ガラスの主体に遺されたのは、
言葉の残骸あるいははかない記憶。
しかしそのガラスもまた
いまだ壊れていないものであるかのように責任や平和を口にするかぎり
それらのイメージや観念に閉じこもるかぎり
澄明さからはほど遠い。

無数の死によってこの瞬間も、
世界は砕け散りつづけている。
もう何度滅びているのだろうか。
誰もが本当はガラスのようだ。

かつてこの国がガラスとなって一度砕け散ったあと
戦後詩が
破片を拾い上げるようにして生まれた。
しかし拾い上げるその手はどこまで、またいつまで深く傷つくことができただろうか。
焼け野原に立つ詩人たちは、
もはや詩を書く者の中にも悪魔性があるはずで、
清冽な人間性というものは虚構で欺瞞である
という前提から生き直し、
書き直さなくてはならなかったはずである。
「アウシュヴィッツ以後詩を書くことは野蛮だ」。
しかし詩が生存や持続のために変質をこうむりうるものではなく、
あくまでも清冽な一瞬であるとしたら、
それはあらかじめ歴史を超えたものでもあるというのも、真実である。

しかし今、恐らく戦後よりもさらに悪魔的な夜の時代に、
詩を書くための、
あるいは詩がおのずと生まれるための、
清冽な人間性をどのように担保し、涵養できるのか。

美しさへの生来の志向は必須である。
しかしそれ以上に何かによって
自分が打ち砕かれておかなくてはならない。
多くのすぐれた詩人が実証するように。

正確には
状況が悪魔的であるから詩が生まれないのではなく、
状況からあらかじめ距離をおき、
打ち砕かれまいとするから詩が生まれないのである。
澄明を装いつつ
不死のプラスチックへと変わる意志へとガラスが誘われるときが
ガラスの死である。


2014年7月18日 (金)

17日夜は祇園祭の宵山に行きました

17日夜は祇園祭の宵山に行きました。
十年ぶりくらいだったでしょうか。

闇に映える鉾の姿がとても美しかったです。
1200年近く続いてきたこの祭は
やはりどんな人出があっても静かで優しい印象が残るなあと思いました。

疫病の流行がつづいた古えの京都で、
悪霊を祓うために行われたのがはじまりといわれます。
鉾の美しさも悪霊をおびきよせ移し宿らせるらしいです。
大文字の送り火ともつながる
死の悲しみと、それに裏打ちされた生の深い喜びに満ちた
祭だと思います。

梅雨明け間近の
蒸し暑い夜であるはずなのに
歩行者天国となった四条通では
ふいに秋風のような涼しさも感じました。

なぜ十年ぶりに人混みもいとわず見物に行ったのか。
古えから変わらないもの、美しいものを、
無性に見たかったのかもしれません。

しかしその祇園祭も
応仁の乱と第二次世界大戦では中断されました。
町中で響くコンチキチンはまさに平和の旋律だといえるでしょう。

祭の美しさは
各山の保存会の方々の努力の賜物ですが、
私自身が抱く戦争への不安の意識が
奪われてはならないものとして、光の美しさを倍加して見せたのかもしれません。
どこか三島由紀夫の『金閣寺』の修行僧が見た
金閣寺のように。

以下、写真をいくつかアップします。

八坂神社近くの四条通で子供たちが鷺の舞を
神社に奉納していました。
鷺は鴨川でよく見かける鳥です。

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八坂神社の近くで獅子舞をやっていました。
2匹の求愛行動のように思えました。
獅子舞のリズムは何だか我を忘れさせるなあと思いました。

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やはり八坂神社への奉納の舞を舞っていた舞妓さん。
みめかたちと舞の美しさがあいまって、まさに妖精そのものです。
非現実的だからこそかけがえのない美しさ。

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鉾たちの美しさも舞妓さんと同じ夢の世界に属するものに思えました。
死者たちもまた人混みに紛れて見惚れ、癒やされていたのかもしれません。

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2014年7月13日 (日)

現在のガザの状況 土井敏邦さんによるラジ・スラーニ氏・インタビュー(7月10日)

ある方をとおして拡散されてきた、土井敏邦さんによるインタビュー記事です。
土井さんは、ガザ在住の人権活動家ラジ・スラーニ氏に、現在のガザの状況について7月10日、スカイプでインタビューしました。
「多くの方に知っていただきたいガザの現実です。
この記事の拡散にぜひ力を貸してください」とのことです。

ラジ・スラーニ氏・インタビュー(7月10日)
                               土井敏邦

(Q・今のガザの状況を教えてください)
 この新たな「戦争」は、3人のユダヤ人入植者が誘拐され殺されたことのきっかけですが、 イスラエルは事件があったヨルダン川西岸のヘブロン市だけではなく、西岸全体またガザまで攻撃の対象としたのです。西岸では大量にハマスの指導者たちを逮捕し、ヘブロン市とその周辺の村々に外出禁止令を敷き、家を一軒一軒捜査し始めました。また住民の家々を急襲し、住民を脅迫し侮辱し、ハマスの指導者たちの家屋を破壊しました。さらに以前ガザで誘拐されたイスラエル兵(シャリート)との捕虜交換で釈放された元政治犯のパレスチナ人を再び逮捕しました。その数は数百人に及びます。イスラエル軍はパレスチナ自治政府の治安警察も無視して、少しでも不審だと思ったら、たとえ自治政府の人間でも射殺します。彼らはフリーハンドなのです。
 3人のイスラエル人少年の誘拐・殺害後はイスラエルの中に怒りが渦巻き、パレスチナ人少年が犠牲になりました。モハマド・アブクデール(16歳)です。それがまた西岸で怒りと暴力の新たな波を引き起こしたのです。
 また同時に、西岸の事件とはまったく関係のないガザ地区でも、イスラエルは繰り返し、ハマスの指導者たちを暗殺すると脅迫しました。それも公にです。そしてイスラエルの世論は復讐を要求したのです。

 イスラエルは10日前(6月30日)からF16やドロン(無人飛行機)、アパッチ・ヘリコプターなどによってガザの攻撃を開始しました。いわゆる「クリーンな爆撃」と彼らは言います。それはガザ南端のラファから北端のベイトハヌンまで空爆し、個々人を標的して住民を殺すことはせず、ただ住民の間に恐怖心を植えつけるというのです。そしてガザ全体には安全圏はないと感じさせるようというのです。
 しかしこの「戦争」の最初に、イスラエル軍は6人のハマス武装メンバーを殺害しました。つまりもはや「クリーン」ではないのです。ハマスはそれを受け入れることができません。イスラエルは自らの宣言を破ったのです。それでパレスチナ人側は報復しています。つまりイスラエルが挑発し、この「戦争」は始まったのです。
 それがこの「戦争」の引き金なのです。イスラエルは当初から、ハマスが反撃を開始することを望んでいました。それに応戦し降伏させようと考えていたのです。その空爆のやり方は、気が狂ったように猛烈に激しい爆撃です。ガザ全体を爆撃し、標的にした者は確実に殺害し、破壊する。イスラエルは新たな作戦を作り上げ、12時間の間に24人を殺害し、220人を負傷させました。また85軒の家を破壊しました。その作戦は、例えば私、ラジ・スラーニがハマスがイスラム聖戦のリーダーであったとすれば、私がそこにいようといまいと、私の家を爆撃するのです。F16によってです。ガザ中部のハンユニスのアブ・カワレ一家がその一例です。5人の子どもを含む7人を殺害し、28人を負傷させました。ベイトハヌンのハマッド一家も同様に、近所の男性がコーヒーを飲んでいて、傍にハマッドの妻と母親がその部屋にいました。そのとき空爆され、孫たちを含め6人が死亡したのです。
 
 イスラエル軍は住民、家族を破壊し抹殺しようとしています。破壊とテロです。軍事的な攻撃目標などないのです。これまで犠牲者の中にハマスやイスラム聖戦のメンバーは6人から多くても10人ほどです。他の犠牲者は一般市民で、その数は今のところ87人です。その数は時間ごとに増えています。武装組織のメンバーたちの大半が地下にもぐって表には出てきません。だからイスラエル軍は彼らの家、農園、インフラを狙って攻撃するのです。そこに人がいようがいまいが構わないのです。住民の殺戮と負傷によって、住民に恐怖を植え付けようとしています。それが、200万人が暮らすこの360平方キロの広さしかない狭いガザ地区で起こっているのです。ここは世界でも最も人口密度の高い地域です。イスラエルにはF16やアパッチ・ヘリコプターがあり武装艦船を持っています。それを用いて24時間、砲爆撃を繰り返しているのです。それだけでは満足せず、ある地域では地対地ミサイルまで用いています。誰も満足に眠ることができません。夜に動くものは、車でもモーターバイクでもすべて爆撃されます。即座に、です。夜の間、ガザをマヒ状態にしようとしています。日中でもガザでは普通の車を使うことが困難です。私は今60歳ですが、こんなことは私の人生の中で一度も経験したことがありません。
 
 この「戦争」、爆撃の前からガザ地区はとても特殊な状況に置かれていました。これまで2度もイスラエルの激しい攻撃にさらされ、多くの建物は再建されてはいません。また封鎖によって、ガザは経済的にも社会的にも窒息状態に置かれています。その封鎖の影響はあらゆるところに及んでいます。ハマスとファタハの連立政府が成立したばかりですが、ヨルダン川西岸から新たな政府要人がガザへ来て業務を引き継ぐこともできません。ガザ地区は非常にひどい状況下にあるのです。
 現在、イスラエル軍の地上侵攻についての噂が大きくなっています。イスラエルには大きな政治的な意見の分裂があります。ネタニヤフは気が狂っているかようです。もしイスラエル軍がガザ地区に侵攻してきたら、多くのイスラエル兵が殺されます。今は空爆によって、ガザはまさに「象が侵入した庭」のような状況です。しかしイスラエル軍がガザに侵攻したら、何千人という兵士が殺されます。一方、ガザ住民は少なくとも1万から1万5千人が殺されることが推定されます。イスラエル軍はガザに侵入すると流砂の蟻地獄のような状況になります。だからイスラエルの軍や諜報部門は侵攻を望んでいないのですが、政府が圧力を加えています。しかもまったく仲介者がいません。ハマスはエジプト政権に、「我われはあなた方と話をしたくない。あなた方はイスラエルの側に立っていて、我われはあなた方を信用しない」と言っている。そのハマスの指導層の大半は地下に隠れています。彼らが表に出てくれば、即座に暗殺されるでしょう。
 
 この事態は短期間では終わらず、長期化すると私は思います。とても困難で、血にまみれたものになるでしょう。何日かではなく、何週間も続きます。
 ガザの住民はまだ抵抗を支持しています。ハマスに対する不平・不満はなく、イスラエルと彼らがやっていることに対して激しい怒りを抱いています。またイスラエルを支持するアメリカやヨーロッパなどの立場と対応に怒っています。2008-2009年、また2012年のガザ攻撃で犯した罪によってもイスラエルは何の罰も受けなかったので、自分たちは免罪され、やりたいことは何でも自由に行動できると思っている、と多くのガザ住民は感じています。
 ここで起こっていることは簡単です。ここは法が支配する世界ではなく、ジャングルの掟(おきて)が支配している世界なのです。一般市民を保護する基本的で原則的な法さえ欠落しているのです。
 私は今国際的な組織と接触をとっています。彼らは住民が標的にされ、多くの人が殺され、負傷していること、ガザ全体に医療品が不足していること、また病気や負傷した人が封鎖によって治療にエジプト側に出られないことをとても心配しています。
 あらゆるガザ住民が不安に震えています。まったく展望が見えないからです。イスラエルはここでは「全能」です。住民は苦しみ泣いています。それは道理にかなったことです。私は最悪の事態が起こることを恐れています。時間が経つごとに、前よりさらに事態は悪化し、今日は前日よりもひどい状態になっています。
 
(Q・夜は動くものが標的にされる中、救急車は動けるのですか)
 爆撃は四六時中続いています。24時間ずっとです。夜に動く物体や人は全て爆撃されます。
 
(Q・もし夜に負傷した場合、どうやって負傷者を病院に運ぶのですか)
> とても難しい状況です。動くのがとても困難なのです。昨夜、ハンユニスの海岸で爆撃がありました。住民はただカフェに座っていただけです。電気もなく、テレビも見られない状態でした。それに対してイスラエル軍は海上の艦船から砲撃したのです。5人が死亡し、20人が負傷しました。病院に駆け込むことができなかったからです。その1人は脚が切断され、本人がその切断された脚を抱えてジャーナリストたちに見せたのです。とても困難な状況です。まったくイスラエルはガザ住民の被害など気にかけない。女性や子どものこともまったく気にかけないのです。

(Q・薬品や食料が不足しているとのことですが、説明してください)
 ガザの保健省の大臣が昨日(7月9日)私のところに電話をしてきて、病院で必要な医薬品の種類の25%が不足しているとのことでした。さらに他の25%も明日までに底をついてしまうというのです。今朝(7月10日)までの負傷者は520人です。その負傷者のすべてに薬品や手術、縫合糸が必要です。その基本的な薬品がないのです。とても深刻な状況です。いつもなら、エジプトとの国境が開かれ、エジプトやトルコやチュニジア、フランス、英国から医薬品や医者や看護師など医療関係者たちがエジプトから入ってくるのですが、今は誰も救援に来ません。国境が封鎖されているからです。もちろんイスラエル側の境界からも入ってこれません。だから殺戮、負傷、破壊がさらに深刻なレベルとなっているのに、明日(7月11日)までに医薬品の種類の50%が底をついてしまうのです。
 ICRC(赤十字国際委員会)ガザ支部の幹部と昨日話をしましたが、2、3日の間に医薬品を搬入しようと試みていますが、それはわずかな量で、不足している薬品全てを補うものにはならないとのことでした。それさえできなければ、深刻な事態になります。
 それ以外にも、手術や透析のための電気が不足しています。またガザ全体が燃料不足の状態です。だから事態はとても複雑な状況です。これは人工的に生み出された大惨事です。
(Q・食料は?)
 今のところ、食料は大丈夫です。もちろんいい状況ではありませんが、人々はなんとかしのいでいます。ガザ地区では野菜や果物などが生産できます。しかし長期的にはわかりません。イスラエル側から物資が入ってくる検問所は今、機能していません。だからまもなくこの問題が深刻になるでしょう。ガザ住民の85%に食料を配給しているUNRWA(パレスチナ国連難民救済事業機関)は深刻な危機にあります。深刻な財政難のためであり、食料を搬入できない状態です。すぐに食料配給ができない状況に追い込まれます。しかも今はラマダン(断食月)です。
 
(Q・ラファとエジプト側との地下トンネルはどういう状況ですか。機能していますか。イスラエルがトンネルも爆撃していると聞いていますが) 
 全体としてトンネルは機能していません。物資の搬入は枯渇しています。この2、3日間、ガザ・エジプト間の14キロの国境線沿いの地域全体をイスラエル軍は爆撃しています。しかも特殊な爆弾によってです。とても大きな重量の爆弾です。
 
(Q・外国のジャーナリストはガザにいるのですか)
 昨日から外国人の存在を確認できました。昨日になってやっとできたのです。BBCワールド、BBCチャンネル4、BBCラジオ、それに「シュピーゲル」などドイツのメディアなどです。だから昨日から外国のメディアの存在について話ができるようになりました。特派員たちがガザに入ってきています。
 
(Q・2012年のガザ攻撃と今回では何か違いがありますか)
 空爆のレベルも質も違います。今回はF16、ドロン(無人飛行機)、アッパッチ・ヘリコプター、地対地ミサイルなどあらゆる武器を用いています。また標的もガザの指導者たちの大半の家を攻撃しています。すでに125軒のハマス指導者たちの家が破壊されました。ハマス指導者たちは誰もがその家を破壊され、さらに死傷者が出ています。
 もちろん2012年のガザ攻撃もひどいものでした。しかし今回は住民を心底からの恐怖に陥らせています。前回はイスラエルも一般市民の被害を避けようと注意を払っているようでした。しかし今回は誰もがこの攻撃から自由にはなれないのです。自分の家に留まっていたとしても、比較的静かな地区に住んでいても、家が空爆の衝撃で揺れるのです。家の天井が自分の頭上に崩れ落ちるのでは感じるほどです。非常に危険な状況です。
 この状況は前例はありません。こんな事態に直面したことがありません。
 
(Q・なぜイスラエル軍はハマスの指導者たちを攻撃できるのですか。情報をイスラエル側に流すパレスチナ人の「協力者」がいるのですか)
 「協力者」(collaborator)はいつでも存在します。占領者がいる所には必ず「協力者」がいる。彼らが占領者イスラエルの眼、耳、鼻、手となっています。とりわけF16やドロンには協力者が必要です。「協力者」たちは標的の家や車を特定します。その動きや武器倉庫などの情報をイスラエル側に流します。
 イスラエルはハマスやイスラム聖戦のメンバーたちに「死刑判決」を下し、それを実行しています。しかもそれを彼らの権利だと思っている。例えばラジ・スラーニを殺そうと思えば、私の家を爆撃し破壊する。そして家族を殺す。これは戦争犯罪です。誰も暗殺する権利はないのです。組織の指導者たちを「懲罰」するためにこれほど冷血な手法で殺害し、家を破壊することは許さないことです。ジュネーブ条約や国際刑事裁判所でもこれは戦争犯罪です。これは全く違法な行為です。
 
(Q・世界の眼はイラクやシリア情勢に向き、ガザの情勢だけに注目しない状況です。また3人のイスラエル人少年の誘拐と殺害が事の発端であると報道されています。このような国際社会の見方にあなたはどう反応しますか)
 シリアやイラクの問題はあります。イエメンやエジプトやチュニジアの問題もあります。パレスチナだけが特別な問題ではないことはわかっています。
 しかし我われはこのタイミングを自ら選んだわけではありません。
 もう1つ忘れていけないのはブラジルでのワールド・カップです。世界の関心がそこに向かっている時期です。
 しかし私が腹の底から感じるのは、今のガザの状況の特別な“空気”です。一般に国際社会が事態を理解するのに2、3日を要します。今ここで起こっている事態を国際社会がやっと把握し始めています。
 今回のようにテルアビブやエルサレム、昨日のディモナ(イスラエルの核施設のある町)、ハイファへのパレスチナ側のロケット弾攻撃はこれまでにない事態です。テルアビブはマヒ状態にあります。多くの市民がシェルターに隠れ、この3日間は学校や仕事に出られない状態です。イスラエル人はこの事態に怒っています。
 彼らは今ジレンマに陥っています。セキュリティー(安全)に不安を感じ、今は「抑止力」について話を始めています。しかし誰も抑止できないのです。ガザからのロケット弾攻撃はずっと続き、ガザ住民は降伏もしません。自分たちの強靭さを自覚しています。もちろん住民はイスラエルの攻撃に苦しみ、恐怖に怯えています。
 しかし同時に、この攻撃を甘受し何の抵抗もしない「いい犠牲者」でいいと思っている者はだれもいません。中にはこの被害を自分たちが求めているものを手に入れるための“代償”なのだと考える者さえいます。我われは「いい犠牲者」にはなりません。

 他のアラブ世界からも連絡が届いています。エジプトからもです。この2日間に驚いたことにエジプトの知人から電話をもらいました。彼らは「パレスチナ・ガザへの連帯」と言うのです。彼らもとても動揺し、とても後ろめたく感じています。これがパレスチナとそれを取り巻く“空気”です。パレスチナで起こっていることを誰も無視できません。これまでイスラエルといろいろ共謀してきた自治政府のアブマーゼン(大統領)でさえです。西岸のパレスチナメディアも変わってきています。パレスチナTVは24時間体制でガザの状況を伝えています。西岸のメディアがです。
 西岸の住民はガザ攻撃に抗議するデモをやり、イスラエルに対する抗議行動を起こし始めています。国連の安全保障会議では、私はナンセンスだとは思うけれど、協議が行われています。国際刑事裁判所もイスラエルを非難し始めています。アブマーゼンはイスラエルを非難し始め、「この事態は決して受け入れがたいことだ。ひどすぎる」と公言しています。彼ははハマス指導者のメシャルと電話で会談し、またエジプト側に国境を開けるように要請しました。

(Q・昨日、あなたは私に「人間の尊厳が命より大切だ」と言いましたが、爆撃で家族を殺された住民の中には「ハマスのロケット弾攻撃のために自分たちはイスラエルの攻撃によって、さらに苦しまなければならない。後生だから、ロケット弾で攻撃するのは止めてくれ」という住民も少なくないと思いますが)
 もちろん多くのガザ住民は「人間の尊厳が命より大切だ」ということに賛同しないかもしれない。我われは弱い人間だし、個人の利益を最優先に考えがちです。「人間の尊厳が命より大切だ」というのは、私自身について言っているのです。ただ私だけではく、私の周囲の理性的な人もそうです。この封鎖や攻撃の後は、ガザは“動物農場”のような状況です。封鎖、失業、貧困、分断、爆撃、殺戮、流血・・。下水道も管理できず、下水を海に流さなければならず海を汚染している状態、自分の運命も自分で決められず、建設的な生活をすることもできず、普通の人間のように行動することもできない。だからガザの人々はもう失うものはないのです。この悲惨な状況、非人間的な状況に置かれているのです。私たちは今すぐにはパレスチナを解放できなことはわかっています。しかし少なくとも人々はイスラエルの抑圧と攻撃を甘受するだけで抵抗しない「いい犠牲者」ではありたくはないのです。人間としての“誇り”と“強さ”を持ちたいのです。たしかに人々は流血し、気を失い、すべてを失ったという絶望感もある、それでも人々は自由と人としての尊厳を大切に思っているのです。そして自分の子どもたちの眼に、羞恥ではなく、“誇り”をみたいと願っているのです。

2014年7月12日 (土)

詩の集い「尹東柱とわたしたち2014」(7月11日喫茶美術館)

昨夜東大阪市の喫茶美術館で
詩の集い「尹東柱とわたしたち2014」が行われました。

前回の2013年の会は
詩人の絶命した2月16日に行いました。
今回は
1943年に逮捕された7月14日の3日前です。

詩人は
適用範囲を広げて改正された治安維持法によって
その命を奪われました。
何の罪もないのに、要監視人の従兄といたというだけで。
あるいはただ朝鮮語で詩を書いたというだけで。

しかしその詩は暴虐の風に身をさらしふるえながら
あるいはふるえるがゆえに美しい。
詩人の魂は一つ一つの言葉を今も
風にふるえる星のように煌めかせている。
この今という時に深まる闇の中で
尹東柱の詩の言葉はさらに輝きをましていく―

今回はネットでの告知も功を奏したのか
前回の2倍を超える50名ほどが集まりました。
また、逮捕の日に合わせて企画したので
特定秘密保護法がいよいよ施行されるという状況の中で
多くの人の関心を引いたということもあったのでしょう。

しかしそうした政治的な次元を超えて
会場に放たれる言葉の一つ一つを
みなが真剣に、それぞれの心で受け止めていました。
(私の話に出たリルケの表現をかりれば)
ミツバチがそっと訪れる花のように。

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全てはプログラム通り、進行しました。
『尹東柱評伝』の訳者愛沢さんの話、
力強い歌声と演奏、
そして各朗読者の、尹東柱への思いと、
創作詩にこめた思い―
それらすべての声と音に
この凍りつかんとする社会を底から溶かす、
熱を感じました。
詩をとおして人としてまっとうに自由に生きようとする意志が
静かにたしかに伝わってきました。

以下、写真をアップします。
歌とピアノ演奏だけは、シャッター音がじゃまになるので撮るのを控えました。

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私は第一部の最後に「詩人の覚悟―尹東柱と立原道造」という話をしました。
東柱はすでに中学時代から立原を読んでいたという推理から出発し、
同じくリルケに惹かれながらも
やがて時代と宿命の暴力がもたらした死の予感の中で
両者はリルケから別れ
蜜を断念したミツバチのように
それぞれの絶望に裏打ちされた「希望」の光へと
向かっていった―
そのような文脈で話をしていきました。

2014

立原は1938年9月
「戦争詩の夕べ」に参加しました。
そして宮城前での万歳三唱にも加わりました。
その背景には、この年8月、前年肋膜炎という診断だった病が、肺尖カタルと告知されたという事実があります。
自分という個の死が刻一刻と迫ってくるという危機的な状況の中で
一瞬、「散華」に永遠への希望を見出したのだと推理しても、
それはまったくの間違いとは言い切れないと思います。

話の最後に
同じ39年9月10日頃に書いたといわれる
次の詩を朗読しました。
この「うたへ」とは誰の呼びかけなのでしょうか。
「声」「闇」「光」とは何でしょうか。
1938年9月に絶望の底から立原が掴んだ「覚悟」=「希望」とは―


「この闇のなかで」   1938年立原道造

この闇のなかで 私に
うたへ と呼びかけるもの
この闇のなかで だれが
うたへ と呼びかけるのか

時はしづかだ 私らの
ちひさいささやきに耐へぬほど
時はみちてゐる 私らの
ひとつの声で 溢れ出るほど

とほい涯のやうに闇が
私らを拒んでゐる つめたく
身體は 彫像のやうだ

しかし すでに この闇の底に
信じられない光が 信じられる
私らの聲を それは 待つてゐる!

2014年7月10日 (木)

詩の集い「尹東柱とわたしたち・2014」

詩の集い「尹東柱とわたしたち・2014」

出演者 : 愛沢革 河津聖恵 丁章 ほか

7月11日(金)午後6:30~午後9:00 (受付6:00~)

1500円(1ドリンク付)定員50名(要予約)


尹東柱が治安維持法により逮捕された1943年の夏、7月14日。

そして71年後のこの夏、おなじ7月に、

詩人を死に追いやった時代と相似するこの時代の中で、

今こそ、わたしたちは尹東柱の詩の響きに心をふるわせたい。

自己の生きざまを見つめ直すために。

太初の朝を蹂躙しながら流れ込んでくる

時代の闇を押し返すために。

【プログラム】

《尹東柱に想う》

講演「詩人の覚悟-尹東柱と立原道造」 語り手・河津聖恵(詩人)

《尹東柱とわたしたち》

詩朗読と語り「“優しい表現”と詩人の覚悟尹東柱と菅原克己」

愛沢革(詩人・翻訳家)

司会・丁章(詩人)

その他のプログラム

《尹東柱の詩》

読み手・嶋津貴敬 田中弘 朴守恵 申麻美

《尹東柱の音楽》

歌い手・姜錫子  ピアノ・柳水香

《尹東柱とわたしたち》

詩朗読と語り・下前幸一 金吉浩 なんどう照子 胡桃澤伸

お申し込み・お問い合わせは waneibunkasha@yahoo.co.jp

http://www.geocities.jp/waneibunkasha/event-bungaku.html

2014年7月 9日 (水)

7月8日付京都新聞 詩歌の本棚/新刊評

7月8日付京都新聞朝刊 詩歌の本棚/新刊評  
                                   河津聖恵

「詩人は沈黙してはならない」という帯文が眼を引く徐京植氏の新刊『詩の力』(高文研)は、今詩と詩人について考える際に大切な視点を提示する。「この社会に『疎外され傷ついた人々』が存在している以上、詩人の仕事は終わっていない。いまの時代が詩人たちに新しい詩(うた)を求めているはずだ。」、「思うに、これが詩の力である。つまり勝算の有無を超えたところで、人から人へなにかを伝え、人を動かす力である。」、「『詩の力』とは『詩的想像力』のことである。」―今詩人は時代が求める声に真剣に応答し、傷ついた他者へ自己を開き、「新しい詩」を模索する必要がある。その詩の力こそが、共感の波動を人から人へ密かに、たしかに伝えるのだ。
 田中国男『今、なぜ高校生の詩なのか―コップの中の水をめぐって』(はだしの街社)は、高校教師だった著者が、十六年前に行った「創作授業」の記録をまとめる。授業では水の入ったコップを、生徒たちに眺めさせたり触れさせたりして詩を書かせた。「書けない人もあるかも知れません。それはそれでいいのです。では、なぜ、そこに見たものがことばにできないのだろうか。これまでなら、素直に書いていたであろうことが、いま、こういう状態や空気の中では、どうしても書けない、それではなぜ、ことばにできないのか、そのことを自由に書きなぐってみてください。」授業の目的は、情報化社会で弱まった「自分から他者(対象)へ内側の世界を広げていこうとする力」の回復にあった。だが完成した生徒たちの作品は、「身体から発せられることば」の力でむしろ教師自身を救った。かれらの詩からは、自分を閉ざすものを壊したい、世界へ開かれたい、という叫びがたしかに真っ直ぐに伝わってくる。
「ガラスという名の/透明な囲いの中から/出たい 出たいと/叫んでいる水たち//水たちは知っているのか/囲いから出たとたん/蒸発して消えてしまうことを//勉強や親から/逃げたいと叫んでいる/私たちが逃げたらどうなるのだろう//このコップの中の水で在り続けることで/辛うじて私たちで在り続けるのだろうか」
「私はもうコップの中の/水の気持ちになっている//私は水である/水は私である/私の心の叫びは水である//私はもうコップの中の/水の気持ちになっている//誰の耳にも届かない/たえまない水の死」
 塩嵜緑『魚がきている』(ふらんす堂)は、言葉の繊細な指先で世界の静けさや沈黙に触れる。世界は言葉によってかすかな振動を与えられ、美しさを増しつつ何かを問いかけ始める。死者の声の気配がする。ふと見上げる読み手の「水」も、透明度を取り戻していく。
「蒲公英は羽を持つ種子を手放し/今も残る黒いゲートを行き来する//丈高い木々はつづき/長いゲートまでの砂利道を絵画のように見せている//雲雀はいつまでもうたう/抗わぬ民族たちはしずかにここに居る//独逸語がまだ死者たちを眠らせない/ARBEIT MACHT FREI/働けば自由になれる//すべてのゲートから離れたところに/おびただしい数の蒲公英が花をつける/陽の色をして/ふかい火の色をして」(「ほろんでいるもの」)
 リジア・シムクーテ『想いと磐』(薬師川虹一訳、竹林館)は、英日対訳詩集。リトアニアの詩人の、『間(ま)』の芸術」ともいうべき絶妙な短詩が収められる。
「鏡文字で隠すものを/探し求めて/かすめるように/水面を離れる//何かが空中に渦巻く」(「水鳥たちが」)

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