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2014年9月

2014年9月27日 (土)

広島小紀行③8月7日

8月7日、広島滞在の最終日です。
この日は縮景園に行きました。

縮景園は、
広島藩主浅野長晟によって作られた回遊式庭園です。
茶人として知られる家老の上田宗箇が作庭しました。
梅、桜、ツツジの名所としても有名だそうです。

真夏に訪れた同園は、花こそ少なかったですが、
緑と水の素晴らしい、まさに壺中天でした。

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しかしここは、原民喜の「夏の花」に「泉邸」という名前で出てきます。
「泉邸(せんてい)」とは、縮景園の明治から戦中までの呼び名であり、
戦後になって「縮景園」が正式名称になったそうです。

「私は泉邸の藪の方へ道をとり、そして、ここでKとははぐれてしまつた。/その竹藪は薙ぎ倒され、逃げて行く人の勢で、径が自然と拓かれてゐた。見上げる樹木もおほかた中空で削ぎとられてをり、川に添つた、この由緒ある名園も、今は傷だらけの姿であつた。ふと、灌木の側にだらりと豊かな肢体を投出して蹲つてゐる中年の婦人の顔があつた。魂の抜けはてたその顔は、見てゐるうちに何か感染しさうになるのであつた。こんな顔に出喰はしたのは、これがはじめてであつた。が、それよりもつと奇怪な顔に、その後私はかぎりなく出喰はさねばならなかつた。」

木陰道に入ると、ふいに陰影深いのでした。

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「夏の花」の一節を思い出したからでしょうか。
いえ、
木々の小暗さは
聞こえない嘆きに浸透され、刻まれているのではないでしょうか。
ふと昨日慰霊祭が行われたらしい「慰霊碑」に行き当たりました。
64体の遺骨が見つかった場所だそうです。

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1987年、発掘された遺骨だそうです。
縮景園は避難先に指定されていたために、
多くの人々が逃げ込んできた。
しかしここにもやがて火が木々に燃え移り、
竜巻が起こり、
おびただしい犠牲者がそのまま埋められたのです。

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8月7日の空です。
昨日は雨空でしたが、69年前のその朝はこのような美しい夏空だったのでしょうか。

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最後に訪れた広島港です。

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こうして二泊三日の広島の旅は終わりましたが、
過ぎてゆく風景の一つ一つが、心に何かを刻んでいきました。
京都に帰ってから
原民喜論を書き出しましたが、
幼少期、夢想がちだった詩人が緑と水のゆたかな故郷で見たものを、
私も共に見ているかのように
おのずと筆は進んでいき、無事脱稿することが出来ました。
タイトルは「ガラスの詩獣」です。
広島に行かなくては感得できなかった
原民喜という詩人の、ガラスの手触りがあったのでした。

2014年9月24日 (水)

広島小紀行②8月6日

8月6日、いよいよ平和式典の当日です。

式典自体は8時からですが、7時頃までに平和記念公園に行ったほうがいいようなので、5時に起床しました。
しかし起きてみると外は大雨。
5時少し過ぎて大雨警戒警報が発令されました。
それでも式典が中止になったという情報は見当たらなかったので、
思い切って参加することにしました。
雨を押して会場まで車で連れていって下さった野樹さんの旦那様には大いに感謝です。

式典会場近くで降ろしてもらいました。
すでに大勢の喪服姿の人々が歩いていたので、
その背中を追っていきました。

式典会場はすでにごった返していました。
雨上がりで足場は悪かったですが、
開会前に、参列者一人一人の思いが熱気をかもしているように感じました。
今年は43年ぶりという雨中の記念式典だったそうです。

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荘重な音楽や美しい合唱もありましたが、以下、簡単にスピーチについてのみ。

広島市議会議長による式辞では、「集団的・個別的自衛権など、わが国の『平和のあり方』をめぐって、議論がなされています」という言及はありました。

しかし広島市長による「平和宣言」には集団的自衛権についての言及がなかったのが大変残念です。「各国政府と共に新たな安全保障体制の構築」という言葉は存在していましたが。

安倍政権に対し自発的に配慮した広島市長。
それに比して三日後、
日本政府に被爆者の集団的自衛権への不安と懸念の声に、「真摯に向き合い、耳を傾けること」を強く求めた長崎市長は、りっぱでしたね。

小さいですが安倍首相です。

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やっつけ仕事と言われても仕方のない、機械的なスピーチに終わっていました。
哀悼の意を早口でのべるといことそれ自体が、どれだけ人を不快にさせるか、分からないのだろうかと苛立ちながら聞いていました。
あとで聞いたら、ほとんどが昨年のコピペだったとか。
被爆国日本の首相として大変悲しいですね。
心なしか参列者の拍手にも熱がありませんでした。

終了後、野樹さんとの待ち合わせまでまだ時間があったので、
周辺を散策しました。
色々目にしたものです。

平和の鐘に刻まれてあった言葉は「自己を知れ」。

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原爆の子の像のそばで、禎子さんの物語を紙芝居で高校生が語っていました。

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また近くの別の場所で子供たちが平和への宣誓を行っていました。迫力ありました。

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この日の原爆ドームは、長い眠りから覚めているように思えました。
花を透かせてドームを眺めることができました。

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平和記念公園の北にある相生橋です。
二つの橋が「T」字型に組み合わされています。
そのユニークなかたちから、原爆投下の目標にされました。
被爆後この橋の付近や川には死体が無数に散乱し、
地獄のような光景だったといいます。

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被爆二世の方々の集会も行われていました。

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野樹さんと市立図書館で合流し、
原民喜の生家跡へ向かいました。
恐らくここだろうという中区幟町付近です。
原家は当時、陸海軍御用達の繊維を扱う商店を営んでいました。   
「民喜」という名は、1905年に生まれたために、日露戦争勝利を祝って付けられたそうです(=民が喜ぶ)

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生家跡近くの京橋川に面していた次兄の家跡にある、被爆柳です。
川べりにありましたが、不思議に輝いているように見えました。
ゆたかな生命力を感じました。

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それから市電に乗って、円光寺というお寺に行きました。
民喜と妻貞恵が眠る、原家の墓所です。   
「夏の花」は妻の初盆に花を手向ける場面で始まります。
その場面から私が想像していた墓と、ほぼ違わぬ佇まいでした。

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「夏の花」に出てくる、被爆死した甥の文彦さんの名前も刻まれていました。

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墓石にはあの原爆ドーム近くの詩碑に刻まれていたのと同じ絶筆の詩
「遠き日の石に刻み/砂影おち/崩れ墜つ/天地のまなか/一輪の花の幻」
も刻まれていました。
この墓地の他の墓石にも、多くの「昭和二十年八月六日」が刻まれているのが目につき、胸がつかれました。
八月六日以後、遠くない日付も多かったのでした。

夕方から夜にかけて、
土手に座ってとうろう流しを眺めました。

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じつは朝、私もとうろうを一つ申し込み、メッセージも係の人に渡したのですが、
これほど多くのとうろうでは、どこにあるのか分かるはずもありません。
一つ一つが、一人一人の平和への思いを浮かべて流れていきます。
遠目にはとうろうは不思議なイキモノのようにも思えます。
死者を慰めるために、生者が灯した美しいともしび。たましい。
あるいは涙。そして祈りそのもの。

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2014年9月 9日 (火)

広島小紀行①8月5日

もう一ヶ月前のことになってしまいましたが、
8月5日から7日まで広島に行きました。
この一ヶ月の間に広島は大規模土砂災害に遭い、
多くの人命が奪われました。今も行方不明の方がいます。
避難所暮らしを強いられている人々も大勢います。
どれほどの無念と悲しみがそこにあるのでしょうか。
テレビで家々を押しつぶした土砂を見るたびに、
その重量を想像し、胸が塞がれる気持になります。

犠牲者にとってその時天が裂かれたのではないでしょうか。
天が裂かれる、というイメージは原爆投下と同じです。

それから何秒後のことかはつきりしないが、突然、私の頭上に一撃が加へられ、眼の前に暗闇がすべり墜ちた。私は思はずうわあと喚き、頭に手をやつて立上つた。嵐のやうなものの墜落する音のほかは真暗でなにもわからない。手探りで扉を開けると、縁側があつた。その時まで、私はうわあといふ自分の声を、ざあーといふもの音の中にはつきり耳にきき、眼が見えないので悶えてゐた。しかし、縁側に出ると、間もなく薄らあかりの中に破壊された家屋が浮び出し、気持もはつきりして来た。(原民喜『夏の花』)

今回、広島を訪れたのは、『環』での連載「詩獣たち」の最終回として
原民喜をとりあげるためです。
(ちなみにこんなにブログが遅れたのは、同論を書いていたというのもあります・・というのも言い訳がましいですが)

この詩人論の連載では、これまで可能なかぎり、詩人たちの詩と生をはぐくんだものを感じとるために、可能なかぎり「故郷」や「ゆかりの地」に足を運んでいます。今回は最終回でしっかり書きたいということもありますが、原発事故がいまだ収束されない不可視の闇が広がるなかで、原爆という「原点」に立ち戻りたいという思いがあり、8月6日の平和記念式典にはどうしても参列したいという気持になりました。

また、広島には一緒にコラボ集を出した、歌人の野樹かずみさんがいるので、お忙しい中、三日間つきあっていただくことになりました。野樹さんとご主人のおかげで、大変効率よく回ることができ、充実した旅になりました。本当にありがたかったです。

5日、広島駅に昼過ぎにつくと、そのまま市電で原爆ドームに向かいました。(じつは原爆ドームを訪れるのは三回目です。しかしこれまでの二回は、何か他人事のように通過してしまった気がします。)

小雨が降るなか、69年目の命日を明日に控えたドームは、読経に包まれていました。その光景は何かとても胸が衝かれるものがありました。大勢の人が集まり、反戦のための寄せ書きや原発反対と書かれた横断幕もありました。

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原爆資料館に入りました。入館料は50円という、それ自体がアピールとなっている安さです。

内部は指定以外は撮影可でした。
8時15分で止まっている腕時計です。

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原爆投下直後の広島の光景の再現模型です。
原民喜の『夏の花』の描写はシュールレアリズムがかっても思えましたが、それは、原がただ「地獄を超えた地獄」の記憶に、みずからの手持ちの言葉を必死ですりあわせた結果であるのだと分かりました。
ちなみに『夏の花』は、被爆直後から目の前の光景を書き留めた『ノート』をもとにしています。
『夏の花』では突然、描写がカタカナの「詩」になるところがあります。それは最も被害のひどかった場所を記述する場面です。模型は、この箇所が語る非現実の光景を想起するための土台になると思いました。

ギラギラノ破片ヤ
灰白色ノ燃エガラガ
ヒロビロトシタ パノラマノヤウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキメウナリズム
スベテアツタコトカ アリエタコトナノカ
パツト剥ギトツテシマツタ アトノセカイ
テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
ブスブストケムル電線ノニホヒ

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被爆直後の人々の様子を再現した人形です。
写真で見るよりも実際はもっと鬼気迫るものがあります。
角度によって、生々しさが変わり、死者の魂がたしかに宿っている、あるいはその苦しみを、象徴的にたしかに表現していると感じさせました。

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しかしこの人形を広島市が撤去しようとしているそうです。
なぜなのでしょうか。
たしかにこの時も同じく見ていた周囲の人々の中には、「怖い、見られない」と友達の背中に隠れる女子中学生もいました。
そうした「怖い」「子供に見せるには不適切である」というような意見が反映されて撤去の方向となっているのでしょうか。

もしそうならば理解しがたい話です。
観客に原爆の悲惨さを伝えるのがこの記念館の役割であるはずなのに、
その悲惨さは恐怖をもって受け取られて当然、あるいはむしろそうあるべきなのに。
それとも何か他に理由があるのでしょうか。

「人影の石」です。
この階段は、原民喜のエッセイによれば敗戦後もずっとそのまま階段として使われていたそうです。「原爆ドーム」も戦後取り壊しを望む声があったとききます。
つらい記憶は忘れてしまいたいものですが、しかしとりわけ原爆被害は果てしなく、このように普遍化して全人類の共有する記憶となしえたことは、本当によかったと思います。無数の死者と後に生まれる世代が救われました。

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以下、被爆の資料(遺品)です。

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12才で亡くなった佐々木禎子さんが折った折鶴です。

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大体一時間半くらいの資料館滞在だったでしょうか。

その後、野樹さんと合流しました。しばらくドームの周辺を歩きました。

原爆ドーム近くの被爆アオギリです。

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原民喜の詩碑です。
「「遠き日の石に刻み 砂に影おち 崩れ堕つ 天地のまなか 一輪の花の幻」
この絶筆の詩についてだけでも、語ることは山ほどあるかもしれません。
野樹さんは記憶の中ではこの詩は中空に書かれていた気がすると言っていましたが、
それはまさに原民喜の詩の世界を言い当てている感触だと思います。

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その後、広島大学時代の思い出の場所などを案内してもらいました。
お食事は「ドバイ」というお店でお好み焼きをいただきました。とても美味しかったです。

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この日の最後は、「ブラジルに生きるヒバクシャ」という映画を、
サロンシネマという映画館で見ました。
古い映画館でしたが、映画好きならたまらないと思われる、素敵な空間でした。
近々取り壊しになるということでしたが、
こんな美しい天井は保存ものではないでしょうか。

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映画も広島の原爆被害者とブラジルの核汚染の被害者が、共に立ちあがっていく姿を描いたもので、まさにこの夜に見るべき内容だったと思います。

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