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2014年10月

2014年10月20日 (月)

『現代詩手帖』10月号(思潮社)に「花よ、蛇の口から光を奪へ!―立原道造生誕百年」を書いています

『現代詩手帖』10月号(思潮社)に
「花よ、蛇の口から光を奪へ!―立原道造生誕百年」を書いています。
今年は立原道造の生誕百年であり、今号はそれを記念する特集号となっています。

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立原道造とはいかなる詩人だったでしょうか。

1914年7月30日
東京市日本橋区橘町(現・中央区東日本橋)に生まれました。
十歳の頃から詩作を始め、
口語短歌を経て、東京帝国大学工学部建築学科二年からソネットを作り始めます。
堀辰雄に師事し、
第二次『四季』に創刊から参加します。
また建築家としても将来を嘱望され
大学在学中に辰野賞を三度も連続受賞しています。
詩集に『萱草に寄す』『曉と夕の詩』など。
物語、パステル画、スケッチ、建築設計図も残しました。
39年3月29日、結核のため死去。
享年24歳。

私も以上のようなことならば大まかには知っていましたが、
詳しく調べてみたのは
季刊誌『環』(藤原書店)で四年前から続けている連載「詩獣たち」で
この詩人を取り上げたことがきっかけでした。
論を書く過程で書簡集を読み、
そこにあふれる詩への真率な思いに大変驚かされました。
そして思いを極限まで表現しようとする言葉のゆたかさと美しさに、
ふるえるほど触発されました。
その一行から一篇の詩を書いたこともありました。

とりわけ死の前年、1938年に綴られた手紙は
病による死を前にし
戦争へ向かってひらいた「蛇の口」の闇をまのあたりにして立ちすくみながら
つねに新たな詩と生へ「出発」しようとした
一人の人間の魂のすぐれたたたかいの記録です。
詩人は今もそこから
》蛇の口から光を奪へ!《と私たちに向かって叫んでいる。
特定秘密保護法や集団的自衛権を迫る蛇の口にも
花であることによってあらがえ、とまなざしている。

一般には、軽井沢の草むらでうたう抒情詩人であり、かつ
シティーボーイであるというイメージがありますね。
それはある面で真実です。
しかし晩年の詩人はそうした「美しいいつはりの花」をみずから手折り、
新たな詩と生を必死で模索していきます。
しかし書簡集にあるはりつめた、いつはりのない散文の美しさが
詩に結晶化する時間は与えられず
詩人は天へ引き揚げられていきました。

『日本浪曼派』やその背後にある軍国主義との関係をきらって
立原の晩年についての考察はあまりされてこなかったようです。
しかし今号は他の論考にも晩年に触れているものが多く、救われました。。

百歳を起点に、
新たな戦争の足音を聴取しつつ
詩人の晩年と私たちの現在からの逆光によって
詩人と私たちの思いが同時に照らし出されていくような
そんな立原道造の「読み方」をしていきたいものです。

「僕が詩人でありたいとねがふ日に 僕は詩人だと信じます いかなる意味ででも この志向が決める世界こそ詩人の場所だと信じます 戦ひは勝つためにではなかつた日はまだ過ぎ去らない 僕はその場所で詩人でなしに死ぬ日にさえ 詩人であつたと信じ得ます」(三七年四月一日神保光太郎宛書簡)

2014年10月11日 (土)

詩歌の本棚・新刊評(10月6日付京都新聞掲載)

 ある言葉の連なりを、私達はなぜ詩と呼ぶのか。詩は定型や規則を持たない。では何を根拠に言葉は詩となるのか。比喩によってか。テーマやリズムか。そうした詩の原理が問われなくなって久しいが、個人的には、詩には、部分と全体の新鮮な関係が必要だと思っている。思い出すのは、加藤周一氏が『日本文学史序説』で日本文化の特徴として指摘した、「全体から部分へではなく、部分から全体へ」という方向性だ。それは現代詩が先鋭化してきたものであり、ポストモダンの時代は細部の遊戯性もうたわれた。今両者の詩的関係はどうなっているのか。

 杉本秀太郎『駝鳥の卵』(編集工房ノア)は、部分を際立たせ、また全体を部分に陥入させることで、巧みに詩を不思議な小宇宙として現実から遊離させる。全体としてシュールレアリズムの詩風だが、書く行為自体をテーマとしたり、書かれている当の詩が作中に出現したりと、いわゆる自己言及的な手法も 見られる。その一方で「小宇宙」は、現実からの危機をつねに感受する。戦争や原発事故による破滅の予感が、「駝鳥の卵」を下から突き刺そうとしている。だが作者は、美しく煌めく部分によって、暗い全体を包み返そうする。次の詩では、無数の部分が流動しあい浸透しあって、全体は部分の関係性によってゆたかにいきづかせられていく。
「運河の水は/何気なく/気づかれにくく動いている/わたしのポケットから落ちた紙きれを/むこうの橋のさかしまの影がアミーバのように/ゆっくり包摂し締めつける/その無言の時をみたして/橋下にすけた弓形の空の映像のなかに/わたしのポケットの紙きれが/沈まず もとのまま押し出される/――次第に小さく/ちらちらとした/かすかな暖(ぬく)みのある光をともしながら/わたしはその青ずんだ/心もとない明るさを目に収め/地図の上にさぐりあてたユダヤ街にむかって/鳥獣剥製 製本機械類 砂糖菓子/まことの花も仇花もならべている運河の家々をとおりすぎる/帆柱のない船のようにゆっくりと/わたしはとおりすぎる」(「アムステルダムの正午」)

 中筋智絵『犀』(私家版)は、研ぎ澄まされた詩的感覚で、部分を全体から静かに解放していく。「犀」とは「ひとり歩み続ける」存在だが、それは部分の自立を追求する作者自身の姿ではないか。次の作で千手観音の手は、地獄や民衆の苦悩の換喩となっているが、換喩もまた部分で全体を捉える修辞法なのだ。
「宝物館 沈殿する緑青の冷気に立ちすくみ/私は黙って仏像を見つめた/片隅の暗がりに座った警備員/茫洋とした暗い目は、長い午後 何を思って見つめるのだろう/千手観音の 奇怪に飛び出た無数の腕たちを/その赤銅色にうごめく針山地獄は 差し伸べられた救いの手には見えない/何かを掴んでいるものもある 掴もうとして泳いでいる手もある/幾多の戦乱を経た民衆たちの 苦しげな息遣いを一身に背負って/仏像の豊かな胸板は少し汗ばんでいる」(「東寺 千手観音」)

 名古きよえ『名古きよえ詩集』(土曜美術社出版販売)にある作品「雫」は、一滴の雫が日常全体を映し出しつつ、優しいリズムとして照らし返すさまをうたっている。 
「玉の輪から広がり 波動して 深部にまで届く/その光は/眠っている人を呼びさます/誰かの手のように 一つのあたたかいリズムを備えている/つつつ……っと導かれて昇っていく意識に/早や 明るい空間が生れ/わたしの肉体(からだ)は軽く抱かれている」

2014年10月 9日 (木)

『環』58号(藤原書店)に「詩獣たち」15回「白鳥の歌 ボードレール」を書いています

『環』58号(藤原書店)に
「詩獣たち」15回「白鳥の歌 ボードレール」を書いています。

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ボードレールとはどのような「詩獣」だったか-―

詩獣は1821年4月9日、パリに生まれました。
フランスの詩人としては珍しいようです。
しかも生涯の大半をパリで過ごしました、
そして都市の生活から着想とインスピレーションを得て、詩を書き続けました。
成人後、亡くなった実父の遺産を継ぐことが出来てからは、
自由奔放な生活を謳歌します。
でもまるでこの世に反抗するかのような多額の浪費は家族を驚かせ、
愛する母によって法定後見人を付けられてしまいます。
(その時のとても痛々しい手紙が残されています。)
エドガー・アラン・ポーにとても心酔して、
このアメリカの詩人を初めてフランスに紹介しました。
無政府主義に惹かれ二月革命にも参加します。
生前唯一の詩集『悪の華』を出版するも、
風俗壊乱の罪で一部削除と罰金刑を命じられます。
67年8月31日、梅毒の症状悪化(と推測される)により亡くなります。
46歳でした。

そこにいつぞや、動物の見世物小屋が掛かっていた。
そこに私は見たのだ、ある朝、つめたく明るい
窓の下で、〈労働〉が目を覚まし、道路清掃の車が
沈黙した空気の中に、陰鬱な旋風を起こす時刻、

檻から逃げ出して来た一羽の白鳥が、
水かきのついた足で、乾いた敷石をこすりながら、
でこぼこの地面の上に白い羽衣を引き摺ってゆく姿を。
                       (「白鳥」)

今回の詩人論は、この詩から始まります。
何かとても痛々しい詩ではないでしょうか。
当時ナポレオン三世による第二帝政が始まり、
近代都市として大きく変貌を遂げていたパリの片隅で
白鳥は水を求め彷徨っています。
水のない側溝の埃に翼を浴(ゆあ)みさせて、
残酷な青空をふりおいで
「水よ、いつお前は雨と降るのだ? いつ轟くのだ、雷よ?」
と呪詛しながら・・

そのような痛みと聖性を魅惑的に、そして不敵に煌めかせる
まさに詩そのもののような生の翼――
資本主義が台頭し、通俗的になっていく世を逆なでし
象徴の森としてざわめかせていった
ひとりのダンディな白鳥の美しさを
多くの人に知っていただきたいと思い、書きました。

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