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2014年11月

2014年11月25日 (火)

『環』59号に「詩獣たち」第16回「ガラスの詩獣―原民喜」を書いています

『環』59号に「詩獣たち」第16回「ガラスの詩獣―原民喜」を書いています。

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原爆作家として知られる原民喜。
しかしその生涯と作品を仔細に追ってみると、
そのような括り方が乱暴すぎることが分かります。
本当は、あまりにも繊細で澄明な
まさにガラス細工のような「詩獣」でした。
その姿を私なりに今回の論で描き出しました。

どんな「詩獣」だったのでしょうか。

1905年、日露戦争勝利の年に、
(民喜は「民が喜ぶ」という意味です)。
広島市の官庁用達商の家に生まれました。
父を失った十一歳の頃から文学に目覚め、
中学時代に詩作を開始します。
慶応大学在学中は左翼運動に挫折し、自殺を図りますが、未遂に終わります。
この体験は精神的に大きな傷をもたらしました。
しかしその後結婚し、
理解ある妻に励まされ、英語教師を務めながら小説を次々発表していきます。
しかし妻の死後、
広島に疎開中に原爆の被害に遭います。
被爆直後から刻々と綴ったメモをもとに被爆体験を描いた「夏の花」は、
高い評価を受けます。
しかし戦後の生活苦と絶望に
詩獣は精神的に追い込まれていきます。
そして朝鮮戦争勃発後間もなく
トルーマン大統領が原爆の使用も辞さず、という報道がなされた後、
51年3月13日深夜、鉄道線路にみずから身を横たえ、この世を去りました。
享年45歳でした。
世界の絶望的状況が、
苦難に耐えながら、ひとすじの光を求めていた詩獣のガラスに、
最後の一撃を与えたのです。

この作家の魂は、
生涯、ガラスのように澄明で繊細でした。
全集第三巻にはならぶ美しい詩篇には、ただ胸をつかれます。

「いま朝が立ちかへつた。見捨てられた宇宙の中へ、叫びとなつて突立つてゆく 針よ 真青な裸身の。」(「冬」、詩の二年前)

ここには自身を針のように研ぎ澄ませ、死者と未来のために書こうというぎりぎりの生の意志がうたわれています。
「夏の花」以前の亡き妻との日々を描いた作品にみちる
死者への思いが結晶化して煌めく言葉もまた、
まさに散文詩そのものです。

しかし何よりも、「夏の花」から数年後、
死者たちへの切迫した祈りをこめて書いた「鎮魂歌」は、
この世界のどこかに永遠に響きつづける詩でしょう。

生きてゆくことができるのかしらと僕は星空へむかつて訊ねてみた。自分のために生きるな、死んだ人の嘆きのためにだけ生きよ。僕を生かしておいてくれるのはお前たちの嘆きだ。僕を歩かせてゆくのも死んだ人たちの嘆きだ。お前たちは星だつた。お前たちは花だつた。久しい久しい昔から僕が知つてゐるものだつた。僕は歩いた。僕の足は僕を支へた。僕の眼の奥に涙が溜るとき、僕は人間の眼がこちらを見るのを感じる。

「生きよ」は、「生きよ」と「生きるな」の双方から押しつぶされる悲鳴です。
「慌しい無造作な死」を死んだ者たちの嘆きにはやがて、
原爆投下の前年にその死が「静かな屋根の下でゆつくり営まれた」妻の、
たった一人の嘆きが重なっていくのです。

原爆の記憶が風化し、
それどころか死というものが排除され、偽りの明るさがみちていき、
それゆえにゲームのように戦争を欲望しているかに見える今の世で、
原民喜の言葉は孤独です。
しかしそれはガラスの破片、
あるいは針として、
裸身をさらして挑みつづけています。
弱者を滅ぼそうとする強者たちの、今も尽きることのない欲望に対して。
そして
「人々の一人一人の心の底に静かな泉が鳴りひびいて、人間の存在の一つ一つが何ものによつても粉砕されない時が、そんな調和がいつか地上に訪れてくる」未来を願っているのです。
そしてその願いだけは誰にも滅ぼすことはできません。

ちなみに今回の原民喜論で、連載「詩獣たち」は最終回です。
来年一月末には、連載をまとめた単行本が
藤原書店から刊行されます(タイトルは変更し、他の論も加えます)。
またお知らせしますので、
ご記憶下さればさいわいです。

2014年11月18日 (火)

11月17日付京都新聞掲載「詩歌の本棚・新刊評」

 「水俣に生まれた人間として/水俣に育った人間として/沈黙することは罪である/世界へ数多くのことを語り伝えていかねば/人間の愚かさのために自ら悲劇を作り出したことを伝えねば/また人間として今何をなすべきかを知らない人に/水俣を伝えなければならない」坂本直充氏の詩集『光り海』(藤原書店)の一節である。元水俣病資料館館長の坂本氏は、水俣病の証言者であろうとして詩を書き続けてきた。その姿勢がもたらした澄明な言葉の力で、水俣病の被害を受けながら生き抜いた人々の尊厳を、神話的な海の光と共に詩に刻み込んだ。
 今詩を書くこととは、声なき痛みの証言者になろうとすることではないか。

 渡辺洋『最後の恋 まなざしとして』(書肆山田)は、「透明で巨大な暴力」で世界が覆われ、多くの人が「資本にばらばらにされることを受け入れているという無力感」に静かにあらがう。今「あらたな連帯」の歌が必要だが、歌はもう不可能かも知れない、しかしみずからが「歌になる」ことは出来る――この詩集は空虚の重さに潰されかけながら、痛みの中から歌おうとする。無力感によって囚人のようにつながれた人々の心の底へ、「地下水のようにしみこんでいく」ために。
「悲しみを捨てるバケツをください/怒りを燃やしつづけるコップをください/叫びつづける本棚をわたしのまわりにめぐらせてください/これ以上言葉の瓦礫で空をふさがないでください/傷ついた夢に雨を降らせてください/暴力がわたしをくぐりぬけて/涙になってあふれるまで/時計を遅らせてください」(「三月のために」)

 山本英子『杏』(私家版)は、親子の愛の不在というテーマに挑む。それは今の社会がもたらす砂漠であり、人の根源にある飢渇でもある。その「死」から蘇生するには、自身の幼少期に向き合う必要がある。そのためこの詩集は散文的、物語的な文体をとるが、ふと立ち現れる神話的=詩的イメージは鮮烈だ。老いた義父と再婚した若い女性の面影を描く作品から―。
「せめてもの思いで私は夫に代わりその人を訪ねた 遺品の腕時計だけを受け取るとその人はようやく私の問いに答え「私たちは眼の黄色い種族ですから」と笑った//私の中でその人は後姿でいる その人は義父の車椅子を止めて 桜の海に立っている 桐の花の下に 藤の下に 石榴の花火を見上げて 森のような椿の落下を前にして 暗い火の血が燃えるのを見ている」(「みっしょん」) 

 河井洋『河井洋詩集』(土曜美術社出版販売)の作者は、建設業界で働いていた高度成長期に詩作を始めた。近代を問いつつ「自己を常に問う」姿勢が、「とまどい」と「書かなければならない」という苛立ちの葛藤をもたらしている。
「ぼくたちの民主主義が/いまだ途上にあるということ、/教えるなどという態度の驕慢さを恥じるのは/ぼくたちの風土的倫理だ。と、/あるいは/ぼくたちの「原罪」と/今日の問題は切り離すべきだろう。とか、/それは、いつも、/たぶん、という形で正しい。/そしていつも ぼくたちのとまどいは/結果として権力者の擁護でしかない。」(「もう一つの八月十五日」)

 山根悠謳『生命(いのち)、ささやく』(澪標)の作者は元理科教師。小さな生命たちの時間の証言者である。
「地蔵川の川面をそっと撫でてゆく微風/涼やかなせせらぎの音/悠久な川の流れの中で/梅花藻は揺籃歌を奏でる/時間の花は/寝息を立てて揺れている」(「時間の花」)

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