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2015年3月

2015年3月12日 (木)

李英哲「河津聖恵『闇より黒い光のうたを―十五人の詩獣たち』を読む」(2015年3月9日付朝鮮新報文化欄 )

2015年3月9日付朝鮮新報文化欄

河津聖恵『闇より黒い光のうたを 十五人の詩獣たち』を読む
                                    李英哲

 「すぐれた詩人とは、恐らく詩獣ともいうべき存在だろう。危機を感知し乗り越えるために、根源的な共鳴の次元で他者を求め、新たな共同性の匂いを嗅ぎ分ける獣」(「プロローグ」より)――著者がそう名付け、「環」誌上での4年の連載を経て本書に収められた十五人の「詩獣」たち。折しも没後70年が記念されている尹東柱からはじまり、ツェラン、寺山修司、ロルカ、リルケ、石原吉郎、立原道造、ボードレール、ランボー、中原中也、金子みすゞ、石川啄木、宮沢賢治、小林多喜二、原民喜。「詩には、人知れず被った暴力によって傷ついた者たちの呻きがひそむ。私たちが聞き届けようと身を乗り出す時、闇から光へ、あるいは闇からさらに深い闇へと身をよじる獣たちがいる。かれらは私たちに応え、私たちを呼ぶ」――。

 近現代という、偽りの光と黒々とした暗闇の時空をよぎっていったこれら詩獣たちの、孤独、絶望、痛み…そして真の光への渇望。著者はこれらを辿り、反芻し、詩獣たちのうめき声に耳をそばだてる。詩獣たちの身じろぎを、喉の震えを、悲鳴にも似た「うた」の残響を、今日という危機の時代の邪なざわめきのさなかで、感知し、聴きとろうと、自らも「詩獣を追う詩獣」となる。尹東柱の、絶望と希望が明滅するような「星を歌う心」を、現在に嗅ぎ取ろうとするのは、「東柱の時代から伏在してきた真闇が、少しずつ、気付かれないほどの薄さで、再び立ち現れてきている」から。それは人間の根源欲求である「うた」を「それが生まれる以前にことごとく塗り込めてしまおうとする薄闇」である。

 けばけばしい偽物の光が私たちを包み、忘却させ沈黙させる。特定秘密保護法案が可決された2013年の夜の街の、デモの叫びを黙殺で塗りつぶす酷薄な闇。「今を照らす偽りの光を消し、危機の暗がりから過去を見つめたい。この世を覆う不死のシステムがいのちのうたを歌いだすまで」と決意する詩人河津聖恵氏の獣性は、闇に埋められた宝石を探索するような丹念さ、哀切さといとおしさ、そして希望をもって、詩獣たちを探り当て、聴き当て、現在に共鳴させようと、自らの詩念と言葉を研ぎ澄ませる。自身述べるように、詩獣はまた次の詩獣を呼び寄せる。読み進めるほどに、十五人の詩獣たちは互いに共鳴し合う。そして「詩という希望」(本書第Ⅱ部)となって交響する。本書それ自体が、詩獣たちの声を今日へと響かせる再生器、共鳴器であり、すなわち本書全体がすでに詩そのもの、「うた」そのものなのである。

 ところで本書を読み始めるやいなや、私は中島敦の「山月記」をただちに思い起こしていた。詩人になりそこねて発狂し、虎と化した李徴もまた(そして中島敦こそは)、まさしく詩獣であったのだと思い至る。李徴は権力からはじかれ、中央政治から脱落した孤高な獣と化してはじめて詩人となり、最後の絶唱をなしえたのであった。闇の中から人間世界を脅かす詩獣の咆哮はまた、言葉を圧殺し、戦争へとひた走っていた帝国を外部からゆるがす他者の声でもあった。中島敦が見据えた闇の根っこには、少年時代を過ごした朝鮮をはじめとする植民地との出会いがあったことを私は幾度となく書いた。そして「山月記」は、朝鮮学校高級部3年生の教科書にも収録されている。権力からはじかれ続けても、暗闇の中でも、虎のように雄々しく、真の声を、「うた」を叫ぶ詩獣であれと、今年もウリハッキョから巣立っていく学生たちに心の中でそう呼びかけている。

 河津氏は、そのウリハッキョの生徒たちを、「光の かがやくことそのものにあるよろこび」(「ハッキョへの坂」)と詠った。まばゆさ、花びらのきらめきにあふれるこの詩は、本書中立原道造にインスパイアされた》花よ、蛇の口から光を奪え!《という叫びと響き合っているはずだ。時代の暗闇たる「蛇の口」から「光」を奪い返さんとする詩人は、「かがやくことそのものにあるよろこび」である彼ら彼女らとともにいる。氏はつい先日も、冷たい風吹く夜の街で、生徒たちとともに朝鮮学校の「高校無償化」を求める署名活動に参加していたという。

                                               (李英哲/朝鮮大学校准教授)  

2015年3月 2日 (月)

3月2日付京都新聞掲載「詩歌の本棚・新刊評」

 間もなくまた三月十一日になる。この四年間でこの国の人と社会はどのように変わったか。確かなのは、当時望んでいたような状況にはなっていないこと。だがもし自分の内側も変化しているならば、外側の変化を言い当てるのは難しい。しかし世界は悲惨な事実を積み重ね続ける。このような現在に対し、詩はむしろ「変化しないもの」を、臆せず突きつけるべきではないか。言葉の美しさと気高さが持ちうる倫理だけは、変わることはない筈だ。
 一月十八日に御庄博実氏が亡くなった。被爆者でもあり広島の医師でもあった詩人は終生、核と対峙する倫理を求めて書いた。死の直前に出た詩集『燕の歌』(和光出版)では、詩の倫理を鳥のイメージに託し、未来に向けてうたった。
「嘉屋部岬 平和の礎(いしじ)よ/チチ ハハと呼び交いながら/海に沈んだ若い「いのち」よ/いま再び いくさのにおいが流れてくる/貝になった「いのち」よ/燕になって 帰ってこないか」(「燕の歌」)
 相野優子『ぴかぴかにかたづいた台所になど』(ふらんす堂)の作者は明石市在住。処女詩集上梓からまもなく阪神淡路大震災を体験した。「きびしい現実の前で、私の詩は竦んでしまった」という。その後約十八年詩から離れた。だが東日本大震災は再び書く決意をもたらした。「世界の遠いかなたの歓びや哀しみに震える共鳴体でありたい」と。本詩集は、「小さな台所でお惣菜を作る毎日の主婦」でもある詩人として、「いちばんたいせつなことを/かろやかに かろやかに/つたえようと」する。いわば「共鳴体」の倫理がここにある。
「訪う人はささやかでももてなす/季節の野菜や魚に塩をする 酢につける/古くなったあまりものに火を入れる/ごみにするときには必ずかなしむ/ひとつくらは自分をねぎらうことがある/その場所からは続いているらしい たとえば/三途の川音が聴こえるあたりでふり返ると/はるかにいのちを見晴らせるところ/青々と伸びる雑草のあいまにも見える/水にうるおうゆたかな水田/小さな船で大海原を漁(すなど)る男たちを/こらえて見守る女たちの/いのちのふしぶしを鎮めるような唄/祖母の炊く黒まめの匂い//しみだしてゆけ/その場所から ひたひたと/腹の底にたたんできたものたち/せつなさのやわらぐ方向に 思う人に/あしたに きのうに/みちてゆけ」(「ぴかぴかにかたづいた台所になど」) 安水稔和『春よ めぐれ』(編集工房ノア)は、阪神淡路大震災の死者への追悼詩集。神戸市長田区で被災した作者は、今もあの日の揺れと炎の記憶の中にいる。言葉は本来、記憶の内側の者と記憶の外側の者を繋ぐものだ。だが時間の経過は、むしろ両者の深淵を拡げ続けた。作者は引き裂かれる心の痛みを、木の「癒傷組織(カルス)」にたとえる。
「カルス【callus】/傷ついたとき受傷部分に盛り上がって生ずる癒傷組織。/ここで質問。/この九年間ずっとこの木は焦げた樹皮を落とし/カルスを生じてきたのでしょうか。/これからもこの焼けた木は焦げた樹皮を落とし/カルスを生じるのでしょうか。/――ほんのすこしでもいい、思ってください。」(「生きのびる」)
 若松丈太郎『わが大地よ、ああ』(土曜美術社出版販売)の作者は、原発事故後も南相馬市に住む。内側にいる者だけが伝えうる彼地の荒廃。「ひとであるあかしとして」の痛みと怒りと祈り。本書は今詩の倫理とは何かを読む者に鋭く突きつける。扉の鳥の羽の放射線像と共に。引用の余裕はなくなったが、必読の詩集。

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