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2016年10月

2016年10月28日 (金)

『現代詩手帖』11月号に「現在の空虚に放電する荒々しい鉱脈」を書いています

『現代詩手帖』11月号に「現在の空虚に放電する荒々しい鉱脈」を書いています。『燃えるキリン 黒田喜夫詩文撰』(共和国)のやや長めの書評として綴ったものです。

今号の特集は『黒田喜夫と東北』です。生誕90年を迎えたこの詩人を振り返り、評者それぞれの身体が反応しまだ生々しく詩人がそこに生きているかのように、時に感情をさらしつつ語っているのが、面白い。この詩人は、死してなお時代というより個の身体を撃つ力があるんですね。

今号は東北というテーマでしたが、さらに「黒田喜夫と〇〇」はいくらでも浮んできそうです。あるいは、今後共和国から全集も出るのに合わせて、詩人の用語集もあったらいいのかも知れません。この詩人の一見異貌な難解さも、現実を一人の身体をかけて潜り抜けたからこそ難解なのであって、じつは非常に一貫した言葉使いをしているのですから。

また共和国社主の下平尾直さんが編集したアンソロジー「毒虫誕生まで」は、うならされました。冒頭の「最上川に捧ぐ 若き労働者のうたえる」は、正統派すぎるような詩でもありますが、初期の詩人にとってまずは書くべき、歴史へ参与する詩だったのでしょう。ストレートな言葉の力で、最上川という存在がその辺りの底なる民にとって、とれほど大きな存在だったを読むものに突きつけてきます。ちなみにかつては北前船で最上川から運ばれた紅花が、私の住む京都の舞妓さんの唇を彩ったと聞いたことがあります。

また今号では、水島英己さんが昨年12月に出た私の詩論集『パルレシア』の書評を書いて下さっています。拙著の動線を丁寧に辿りながら深くから浮き上がらせてくださり、また「パルレシア」ということばに何とか導かれたこの著の、さらにその先を指し示して頂きました。

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2016年10月25日 (火)

11月11日-12日、京都で開催される「疑問形の希望」プロジェクト第一回にぜひご参加下さい。

来たる11月11日-12日の2日間、
アートイベント「疑問形の希望」の第一回が、京都で開催されます。

これは韓国のキュレーター文裕眞さんが企画した、画期的な日韓交流アートプロジェクトです。

このプロジェクトの基軸となるのは、なんと「詩」です。

「疑問形の希望」というテーマは、2014年に出た作家徐京植さんの著書『詩の力』(高文研)から引き出されたもの。

この「疑問形の希望」というテーマを軸に、韓国と日本の若いアーティストたちが『詩の力』を読み、本に収録されている詩や文章または文献を、各自の方式で再解釈し、制作として解くという、大変刺激的なプロジェクトです。

今回の京都でのキックオフイベントを皮切りにし、2018年までソウルと京都を行き来し、展示、パフォーマンス、出版などの形で持続させることを、現在計画しています。2018年までの3年間にわたり、プロジェクトの形と方向性を維持させウェブサイトも継続的にアップデートされていきます。

光栄にも私もゲストとして、両日参加することになりました。12日は、パク・ジョンホンさんの白磁の石を磨く、観客参加型のパフォーマンスの中で、PolarMさん(今月10月の京都αステーションのスプラッシュブレイクとして新作「DANCE」が繰り返し流れています)の即興音楽と共に尹東柱「序詩」と斉藤貢「汝は、塵なれぱ」を朗読します。11日も、詩の力について今自分が考えていることを、語りたいと思っています。

詳しくは、公式HP をご覧下さい。
(サイト内で参加申し込みが出来るようになっています。)

画期的なプロジェクトに、多くの方々が参加されることを願っています。

2016年10月23日 (日)

『びーぐる』33号に 「『世界』の感触と動因ー解体を解体する『武器』をつかむために黒田喜夫を読む」 を書いています。

『びーぐる』33号(特集:黒田喜夫の世界性を問いなおす)に、
「『世界』の感触と動因ー解体を解体する『武器』をつかむために黒田喜夫を読む」
を書いています。

今年は詩人の生誕90年。
遺された言葉は、どれも詩=革命の瞬間を求めて今も生き、
声のまなざしをこちらへ伸ばしてくるのです。
あくまで一人の表現者という内部、そして民衆の底から、
政治に向き合い続けたその日本語の生命力は、
今非政治的=非詩的に書かれる全ての言葉を
打ちすえやまないのではないでしょうか。

「今全世界において村落共同体、一人の民衆(プロレタリアート)、身体性、背理と両義性がことごとく解体されようとしている。残念ながら「世界性」がそのような内実を持たざるをえない時代だとしても、半世紀も前に黒田がそれらを思考し続けたのが、それらが失われゆく哀しみではなく、すでに「欠除」している痛覚においてだったことを想い起こせば、どうだろう? 「欠除」と「根源」がスパークする痛覚の閃光に共振し、ふたたびこの詩人を読むならば、私たちは世界の解体に裂け目を作り、解体を解体する「武器」をたしかに手にするに違いない。」(末尾部分)

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